唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 煩悩の心所 (8) 瞋の心所 (1)

2014-02-08 22:20:36 | 第三能変 煩悩の心所について

 明日は、午後三時より、旭区千林の正厳寺様にて、唯識の講義をさせていただきます。
 先月は阿頼耶識の三義について考えさせていただきましたが、今月はさらに深く考えてみたいと思っています。そして因相である一切種子識について触れてみたいと思います。『成唯識論』においては、種子というのは「本識の中に親しく自果を生ずる功能(クウノウ)差別(シャベツ)なり。」という定義があります。この定義の意味するところを少しでも触れられるように話せればと思っています。よろしくお願いいたします。

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 煩悩の心所の二は、瞋の心所について説明されます。

 「云何なるをか瞋(シン)と為す。苦と苦具との於(ウエ)に憎恚(ゾウイ)するを以て性と為し、能く無瞋を障え、不安と悪行との所依たるを以て業と為す。」(『論』第六・十三右)

 どのようなものを瞋の心所というのか。(答え)苦と苦具に対して、憎恚することをもって、その本質的な働きとし、よく無瞋を障碍して、不安と悪行の所依となることを以て業とする心所である。

  •  苦 ー「苦とは即ち三苦なり」。苦苦・行苦・壊苦の三種の苦のこと。詳しくは後に述べます。
  •  苦具 - 苦を生ずる因。 
  •  憎恚 - にくみいかること。

 「瞋」について考えてみますと、「苦と苦具とに於いて」、瞋という煩悩が生起するのだといわれています。苦は四苦八苦といわれますように、今の自分が壊れるのではという不安からくる苦(壊苦)。それから近頃は寒い寒いといいますね、それが苦になるのです(苦苦)。それから行苦です。自分が常にあるという思いがありますが、本来は無常・無我ですね。そのギャップに苦しむのだといわれているのですね。この三苦を苦とあらわしています。苦具は苦に備わったもの、苦を生んでくるすべてですね。それが心を激しく乱すわけです。怨みですとか、嫉妬ですね。これ等が激しく心を乱し怒りを生んでくるのです。性は「憎恚するを以て」といわれます。憎み怒るということです。怒るということはもう鬼の形相ですね。相手を睨みつけて、威嚇していますね。怒ったときを想像してみますと、眼を見開いて睨みつけていますでしょう。この心を瞋というのです。そして根に持つということがありますね。いつまでもですね。これを恚というと教えられています。『成唯識論』には「苦・苦具とに於いて、憎恚するを以って性と為し。能く無瞋を障へて、不安と悪業との所依たるを以って業と為す。謂く瞋は必ず身・心をして熱悩して諸の悪業を起さ令む。不善の性なるが故に」と教えています。

 『演秘』には、『瑜伽論』巻第五十五の中に瞋が発生する縁に十あることを挙げ、また五十八には、四種あることを挙げて説明しています。

 「論。云何嗔等者。五十五中由十事生。一己身。二所愛有情。三非所愛有情。四過去怨親。五未來怨親。六現在怨親。七不可意境。八嫉妬。九宿習。十他見 又五十八云。謂有四種。具如疏列。略爲二釋。一云。一於損己他見。二損己他有情。上損己言談下兩處。一云於損己。二他見他有情。餘二可悉。」(『演秘』第五本・三十二左。大正43・917b)

 瞋というのは、『瑜伽論』巻第五十五の中に、十事に由って生ずことを明らかにしている。

  1.  己が身(自分自身)
  2.  所愛の有情(愛する有情)
  3.  非所愛の有情(愛していない有情)
  4.  過去の怨親(過去の恨みと親しみ)
  5.  未来の怨親
  6.  現在の怨親
  7.  不可意の境(自分の意に叶わない対象)
  8.  嫉妬
  9.  宿習(シュクジュウ)過去世における繰り返し行ってきた行為で、「宿習を縁として煩悩が現行す」と云われています。
  10.  他見

 以上、ありとあらゆるものを縁として瞋は起こってくるのだということを教えています。己が身が総相であり、開くと二以下ということになりましょうか。自分自身の背景に瞋が有る、瞋というコンプレックスにさいなまれながら、瞋を覆って生きていますから、心が安らかにならず、そして悪を為すことの所依になってしまうのですね。忿・恨・悩・嫉・害という随煩悩は瞋の分位仮立法なのです。 (この項つづきます)


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