唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

釈尊伝 最終回

2010-09-27 21:40:00 | 生きることの意味
『釈尊伝』 質疑応答より ・ 最終回
 「朝日新聞でみましたが。京都府亀岡市矢田町の寺院で世襲制をやめるということを発表したと。山本現雄という若い住職が世襲制をやめるというわけで、朝日新聞に記者会見の模様がでていました。本人は大谷大学中退だそうです。やはりこの今まで知っているということに対して悩まれたわけですね。そしてそのあげくが大学もやめて寺に帰って、寺もやめるというて寺をでようともしたというようなことから、やがて友松円諦氏の真理運動というものに参加したというのですかね。そういうことから増谷文雄氏などの教えにも遇うたりして、それでタイトルが「釈尊にかえれ」というのだったのですね。釈尊ぬきの仏教になっておると。釈尊にかえるということでなくてはならんということで、まあ檀家にむかって、檀家は自由にどこへでもついてくれというたというようなことで、はじめは大変だったと。人々はあれは一派をたてるつもりじゃないかなんていったというのですね。よくよく聞いてみると檀家は二十軒ばかりしかないのですよ。それじゃ一派をたてるもありませんですが。それでも努力してだんだん若い人もくるようになって、会員組織にしたというのです。普通の家庭は一ケ月に二百円、それから未亡人とか年寄りだけの家庭は百円ということにして、なにか土曜日だけ寄り合うのですかね。それから一ケ月に一回だけ会費をだすのですかね。そんなことをしてきて、今では会員が二百五十人ほどになっているというのです。そんなことが書いてありました。
 これは、考えぬいたあげく思いきってやられたのだろうと思います。ある意味で仏教は釈尊にかえれというよりほかにないということでしょうね。釈尊にかえれというよりほかにないのだけれども・・・・・・。また、お経をあげてくれといわれれば、浄土三部経にかぎらず、般若心経でもどんなお経でもあげるというのです。そのお経もわからんからわかるように訓読であげると。三部経をあげてくれといわれると三時間あまりかかるそうですね。大変ですね。そういうようなことがでておりました。ある意味で、一つの考えぬいたあげくにふみきったのでしょうね。
 ただ、ここのところに、これはこれでいいと思いますけれども、問題は依然としてあるのですよ。死んだ者にお経をあげる必要はないと。これもわかります。生きた者にあげるお経が、今の訓読で読むところのわかるお経なんです。本当に来た者にあげるのだろうか。来たものにあげるのだったら仏壇に向かわずに来た者に向かってあげなければならんですね。あげられたものはたまったものではないですね。(笑)
 だから読んでみますと問題がありますね。本当に寺院規則改正ということは、まともにはいえんことなのです。これはやはり規則にしたがって変更しなければならんので、やはり総代会にかけて、そしてやらなければならん。とにかく反対しても通らんですよ。
 とにかくこれを読んでいろいろ感じましたが、仏教というのは、釈尊にかえれというのが仏教じゃないのです。釈尊というのは、これは歴史的人物です。これでは釈尊にかえるということを本当に思うのなら、釈尊の教えに従ってやっぱり比丘にならなくてはならんでしょう。そうでなくて寺におって釈尊にかえれというのでは口だけですよ。批判しますとね。寺を捨てて、どうか自分は住職をやめますから、新しい住職を選んでくださいと。自分は一比丘になって修行をはじめるからというて、やっぱり十二因縁を感ずるとか、八正道を行ずるか、とにかく釈尊の教え通りに行じなければならないでしょう。ですから釈尊の教えにかえれというのはかならずしも仏教ではない。やはり仏教ということでは、どこに着眼点を置くかと申しましたら、なんというても、われわれが今ここにおる。ここにおらなければどこかに帰えれば帰ったところで、ここにおると。そこに仏が今自分はどういうものであるかということを、それをみるべく教えているということです。
 そういう意味で真宗というものはたっておるわけです。今後の仏教というものの展開は、今申しあげたところからでないと本格的な展開はできないと思います。しかし今そういう話がでてきましたように、どうしても今までわかっている仏教というものでは、仏教そのものは依然として埋れておって遠く考えるよりほかはないでしょうね。それだけはいえますね。
 そういう意味では、こうして集まってくださったことはありがとうございました。こうしていろいろお話をしながらもわからしてもらうことが多々ございました。どうもありがとうございました。 (完)
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 『仏陀 釈尊伝』の内容及び質疑応答の一部を書き込ませていただきました。私は1966年の育成会に参加させていただき、蓬茨先生の講義を一週間泊まり込みで聞かせていただく機縁をいただきました。その当時の様子を思いだしながら書き込みをさせていただきました。私にとっては、自分を尋ねる初めの一歩でありました。迂余曲折を経て今日に至っておりますが、その感慨は身が覚えてくれています。補導にあたられた宮城先生には大変よく指導していただきました。その恩を仇で返してきましたことは慙愧に堪えませんが、その先生も先年他界されました。蓬茨先生の選集が出版されましたように、来年、宮城先生の選集が出版される予定であると伺っています、楽しみにしています。

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