三法展転因果同時(サンポウチンデンインガドウジ)を述べる。
「能熏の識等は種より生ずる時に、即ち能く因と為して復種を熏成す。三法展転して因果同時なること、炷(シュ)の燄(エン)を生じ、焰生じて炷を燋(ショウ)するが如し。亦、束蘆(ソクロ)の更互に依るが如し。因果倶時なりと云うこと理傾動(リキョウドウ)せず。」(『論』)
本科段は、「三法の喩を挙げて三法の体に喩う」(『述記』)といわれています。
三法とは、種子・現行・種子の循環性を現します。種子生現行・現行熏種子です。更互に因と為り、果と為る。現行は種子が表に現れた相であり、種子生現行であり、同時に表に現れた行動が種子として蓄積されていく、この面を現行熏種子いわれています。この関係が同時因果であるのです。
黒板にも書きましたが、種子が因と為って現行が果として生じ、生じた現行が因と為り、阿頼耶識の中に果としての種子を熏ずる。
因としての、種子
果としての、現行
} これら三つからなる因果の連続が
因としての、現行 同時に起こることを三法展転同時因果
果としての種子 と云う。
「現われた自己は隠れた自己である。」
(太田久紀師)
「諸法をば識に於て蔵す。識を法に於ても爾り。更互に
果性と為り、亦常に因性と為る。」
(『阿毘達磨経』)
種子が現行を生ずる場合には、生ずる縁が介在するわけです。さまざまな縁に依って生起してくるわけですから、衆縁(生)に依る、衆縁に依らない場合には現行は起こらず、種子は種子として阿頼耶識の中に蔵せられます。種子生種子として。
喩が出されています。
- 炷焰の喩 ー 炷とは灯心のことで、ともしび。焰はほのお、炷の焰を生ずるのと、焰の炷を燃やすのと同時因果である。
- 束蘆の喩 - 甲乙日本の蘆を束ねて立てる時、甲乙二つのものが互いに相い依って立っていることに喩えられる。甲は乙を因とし、乙は甲を因とし、相互の同時因果に依ることを表しています。
以上で、概略ではありますが、種子と熏習について説明をおえました。次は阿頼耶識の行相・所縁が考究されてきます。今回は一応ここで区切りとさせていただき、第三能変のつづきに戻らせていただきます。またいずれ折をみて行相・所縁に学びたいと思っています。 尚、15日(木)は聞成坊様にて、唯識入門講座に出講させていただきます。ご聴聞よろしくおねがいします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます