本科段は『荘厳経論』巻第一(大正31・591a)を引用して、大乗は仏語であることを論証します。
「聖慈氏(弥勒菩薩)は七種の因を以て大乗経は真に是れ仏説なりと証したまえり。」(『論』第三・二十左) 『荘厳論』の頌は弥勒菩薩の所説で、長行は世親の所為であるといわれています。
弥勒菩薩は七種の理由を挙げて、大乗経は真に仏説であることを証明しておられる。
一通り読んでみます。
「一には先に記せざるが故にと云う。若し大乗経は仏滅度の後に有余の正法を壊せんが為の故に説くと云はば、何が故ぞ世尊当に諸可怖(ショカフ)の事起こるべしというが如く先に預め記別したまわざりし。」(『論』第三・二十一右)
一番目の理由は、あらかじめ記録されていない(先不記)というものです。
小乗仏教側の批判があったのでしょう。「大乗経は是れ正法を壊せる者の所説なるが故にと云う」大乗経は、仏滅度の後に、お釈迦様が説かれた正法を破壊する者が説いたものである。大乗非仏説という批判ですね。
「若し爾らば何が故ぞ世尊預め記別したまわざる」
この問いかけは大変重いことを言っています。仏陀は仏滅後の教法を正・像・末の三時に分けて予言をされています。大乗仏教興起の折は像法の時ですね。この時に大乗仏教が正法を破棄するとは予言されていないのである。従って、大乗仏教は仏の直説である、というものです。
二番目の理由は、本倶行(本より倶行(並行して)するが故に)と云う。
『荘厳論』には、同行(大乗と小乗は)であると。同行とは、同一時に行ずること。大乗教と小乗教とは並行して説かれるべきものであって、大乗だけが非仏説と云われるのか、と。
「二には本より倶行するが故にと云う。大・小乗教は本よりこのかた倶行す。寧ぞ大乗のみを独り仏説に非ずということを知るや。」(『論』第三・二十一右)
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『解深密経』序品第一の記載と『摂大乗論』の十八円満の記載を記します。述べ書は後日にします。
「如是我聞。一時薄伽梵。住最勝光曜七寶莊嚴。放大光明普照一切無邊世界無量方所。妙飾間列周圓無際。其量難測超過三界。所行之處勝出世間。善根所起最極自在。淨識爲相如來所都。諸大菩薩衆所雲集。無量天龍藥叉健達縛阿素洛掲路11茶緊捺洛牟呼洛伽。人等常所翼從。廣大法味喜樂所持。作諸衆生一切義利。滅諸煩惱災横纒垢。遠離衆魔過諸莊嚴。如來莊嚴之所依處。大念慧行以爲遊路。大止妙觀以爲所乘。 大空無相無願解脱爲所入門。無量功徳衆所莊嚴。大寶花王衆所建立。大宮殿中。」(『解深密経』大正16・688b)
「論曰。復次諸佛清淨佛土相云何。應知如菩薩藏百千契經序品中説。謂薄伽梵住最勝光曜。七寶莊嚴放大光明。普照一切無邊世界。無量方所妙飾間列。周圓無際其量難測。超過三界所行之處。勝出世間善根所起。最極自在淨識爲相。如來所都。諸大菩薩衆所雲集。無量天龍藥叉健達縛阿素洛掲路荼緊捺洛莫呼洛伽人等常所翼從。廣大法味喜樂所持。作諸衆生一切義利。蠲除一切煩惱災横。遠離衆魔。過諸莊嚴。如來莊嚴之所依處。大念慧行以爲遊路。大止妙觀以爲所乘。大空無相無願解脱爲所入門。無量功徳衆所莊嚴。大寶花王之所建立大宮殿中。如是現示清淨佛土。顯色圓滿形色圓滿。分量圓滿方所圓滿。因圓滿果圓滿。主圓滿輔翼圓滿眷屬圓滿。任持圓滿事業圓滿。攝益圓滿無畏圓滿。住處圓滿路圓滿。乘圓滿門圓滿。依持圓滿復次受用如是清淨佛土。一向淨妙一向安樂一向無罪一向自在。」(『摂大乗論』大正31・376c)
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