有部の論者は「原子の集結したものは互いに結合する」と主張をしているのですが、『二十論』で世親は、原子が集結し結合することの不合理性を明らかにしています。つまり、不合理性を明らかにすることに於いて原子の実有性を否定します。
第十二頌で外界実在論者の主張の矛盾を指摘しているのです。
原子は細分化できない最少の元素を表しますから、「極微は六と合せば、一は応に六分と成るべし」と、部分を有するものとなります。これは矛盾するわけです。部分を持つとなお細分化できるわけですら、最少の元素ではなく、部分を有するものは仮有なるものであるということになります。仮の存在ということですね。これによって、外界実存論者の考え方は成立せず、否定されます。
しかし、この論主の答えに対して有部が反論をしています。
原子は細分化できない最少の元素なので、原子そのものは部分を持たないことから、直接には結合をすることは無いが、原子が集まった色形などは実有であり、部分を有したものである、と。それらは外界に存在すると主張しているわけですね。
ここも矛盾します。部分を持たないから結合することは無いといいつつ、原子が集まったものは部分を有するという。世親は、この矛盾を問いただして、原子そのものが結合しないのであれば、それが集まったものも結合することは無いはずである、と。
しかし、考えてみてください。物は何らかの形で粒子が結合してできているわけです。それを私たちは捉えています。そして実在すると認識をしています。
現代の物理学でも「原子が互いに結合して分子を造り、それら分子がさまざまな形で結合して様々な物質が造られる」としています。
原子は原子核+電子。陽子と中性子からなる原子核を中心にして、その周りを電子が回っている。ここから核融合そしてブラックホールと呼ばれるところで、物質は消えていくと考えられています。原子の実在性の否定です。(皆さん方は現代物理学を勉強してください。)
世親は次の第十三頌において原子が実在するとすれば、それは部分を有するのか、或は部分をもたないものなのか、いずれにしても大きな過失があると論証します。
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