基本図書としてお薦めです。
前回は心不相応行法について概略を述べていましたが、参考文献として良遍著『法相二巻鈔』を引用させていただきます。いきなり原文で申し訳ありません。
「不相應二十四ト云ハ。又百法論ニ列タル二十四ナリ。是皆假法也。此二十四ヲ名不相應事ハ。五蘊ト申ス法門アリ。色・受・相・行・識是也。此五ガ中ノ第四ノ行蘊ニハ。諸ノ心所并得・命根・衆同分等ノ法ヲ攝タリ。其中ニ。心所ハ心王ト相應スト云ハ。其ト親ク相ヒ共ニ並ブ義也。此得等ノ二十四ハ。心王ト不相應故ニ。不相應ト名ク。サレバ具ニハ心不相應行法ト名ク。此二十四ハ。心ニモ非ズ。色ニモ非ズ。色法心法ガ上ニ所ノ有義分也。更ニ別ノ體ナシ。故ニ二十四ナガラ皆假法也。」(『二巻鈔』大正続諸宗部71・112c18~c29)
各論について以下に述べられます。
「暫ク得ト云ハ。人ノ物ヲ得タルト云ハ。其得ラレタル金銀等ノ物モ正キニ非ズ。能得ル人モ正キ得ニ非ズ。又取ラスル人モ得ニ非ズ。能得ル人モ得ラルル物モ。元ヨリ有時。ソノ中ニ得タリト云事ハ候ゾカシ。サレバ是ハ假法也。命根ト云ハ。命也。命ト云物ハ。別ノ體ナシ。只生タル間。一期ノ身心ヲタモテル用也。殘ノ三衆同分・異生性ナレドモ。皆カ樣ノ事也。人ノ身人ノ心ヲ初トシテ。馬牛蟻蝳。食物着物。舍宅田園。山河石瓦金銀。日月星宿。雲霧雨土。是ニ不限。一切ノ諸ノ物ノ體ヲ案ルニ。八識心王・五十一ノ心所・十一ノ色法ニ離タル物ハ一モナシ。二十四ノ不相應ハ。是ガ上ニ立タル也。物ニサマノ名アリ。物ニクサノ數アリ。其モ此不相應ナリ。四方四角四季十二時モ。皆此ノ不相應ナリ。更ニ別ノ體有ル事ナシ。能々案ジトカセマシマスベシ。」(『二巻鈔』大正続諸宗部71・112c29~113a19)
解説は、横山絋一著『唯識とは何か』P235~244)を参考にしてください。
不相応行は詳しくは心不相応行法というのですが、これに二十四数えられます。出典は『大乗百法明門論』になります。
『成唯識論』では破不相応行として「不相応行も亦実有に非ず。所以はいかんぞ」として(『選注』ではP18~20)説かれています。
「破」というのは、有部が実有の法として説く五位七十五法を。実有ではないと破斥している科段になります。そしてその二に「心不相応行法を破す」一段があります。この中の第四に「二無心定及び果を破す」一段が述べられ、ここが「不相応行は食に非ず」と結びついてくるのですね。
二無心定は無想定と滅尽定ですが、無想定は凡夫の無心定なのです。第七末那識が相応しています。滅尽定は第八地以上の聖者ですから、第七識は滅しています。「果」とは無想定を修して無想果、つまり無想天に生まれるということ、無想定が因として生無想天が果で、無想異熟といいます。
この二無心定及び果においては意識は現起しません。いうなれば、意識を現起させないのがこの二無心定及び果なのですね。ですからこれらを心不相応行法としてたてられるのです。
結論としては、心不相応行法の二十四は心でもなく色でもなく、色法と心法の上に立てられた仮法なのです。大事なのは、色法と心法の上に立てられた仮法であるということです。色と心と無関係に不相応行が立てられているのではないということに留意が必要だと思います。
本論に戻りますと、
「段等の四食に摂めざる所なるが故に、」(『論』第四・二左)
段等の四食の前に(~)をいれなければなりませんね。(~)に入るのは、「二無心定及び果」の不相応行法は、段食などの四食には収めないものだから、という説明です。
本科段はもう少し説明を要しますので、また後日にしたいと思います。
前回は心不相応行法について概略を述べていましたが、参考文献として良遍著『法相二巻鈔』を引用させていただきます。いきなり原文で申し訳ありません。
「不相應二十四ト云ハ。又百法論ニ列タル二十四ナリ。是皆假法也。此二十四ヲ名不相應事ハ。五蘊ト申ス法門アリ。色・受・相・行・識是也。此五ガ中ノ第四ノ行蘊ニハ。諸ノ心所并得・命根・衆同分等ノ法ヲ攝タリ。其中ニ。心所ハ心王ト相應スト云ハ。其ト親ク相ヒ共ニ並ブ義也。此得等ノ二十四ハ。心王ト不相應故ニ。不相應ト名ク。サレバ具ニハ心不相應行法ト名ク。此二十四ハ。心ニモ非ズ。色ニモ非ズ。色法心法ガ上ニ所ノ有義分也。更ニ別ノ體ナシ。故ニ二十四ナガラ皆假法也。」(『二巻鈔』大正続諸宗部71・112c18~c29)
各論について以下に述べられます。
「暫ク得ト云ハ。人ノ物ヲ得タルト云ハ。其得ラレタル金銀等ノ物モ正キニ非ズ。能得ル人モ正キ得ニ非ズ。又取ラスル人モ得ニ非ズ。能得ル人モ得ラルル物モ。元ヨリ有時。ソノ中ニ得タリト云事ハ候ゾカシ。サレバ是ハ假法也。命根ト云ハ。命也。命ト云物ハ。別ノ體ナシ。只生タル間。一期ノ身心ヲタモテル用也。殘ノ三衆同分・異生性ナレドモ。皆カ樣ノ事也。人ノ身人ノ心ヲ初トシテ。馬牛蟻蝳。食物着物。舍宅田園。山河石瓦金銀。日月星宿。雲霧雨土。是ニ不限。一切ノ諸ノ物ノ體ヲ案ルニ。八識心王・五十一ノ心所・十一ノ色法ニ離タル物ハ一モナシ。二十四ノ不相應ハ。是ガ上ニ立タル也。物ニサマノ名アリ。物ニクサノ數アリ。其モ此不相應ナリ。四方四角四季十二時モ。皆此ノ不相應ナリ。更ニ別ノ體有ル事ナシ。能々案ジトカセマシマスベシ。」(『二巻鈔』大正続諸宗部71・112c29~113a19)
解説は、横山絋一著『唯識とは何か』P235~244)を参考にしてください。
不相応行は詳しくは心不相応行法というのですが、これに二十四数えられます。出典は『大乗百法明門論』になります。
『成唯識論』では破不相応行として「不相応行も亦実有に非ず。所以はいかんぞ」として(『選注』ではP18~20)説かれています。
「破」というのは、有部が実有の法として説く五位七十五法を。実有ではないと破斥している科段になります。そしてその二に「心不相応行法を破す」一段があります。この中の第四に「二無心定及び果を破す」一段が述べられ、ここが「不相応行は食に非ず」と結びついてくるのですね。
二無心定は無想定と滅尽定ですが、無想定は凡夫の無心定なのです。第七末那識が相応しています。滅尽定は第八地以上の聖者ですから、第七識は滅しています。「果」とは無想定を修して無想果、つまり無想天に生まれるということ、無想定が因として生無想天が果で、無想異熟といいます。
この二無心定及び果においては意識は現起しません。いうなれば、意識を現起させないのがこの二無心定及び果なのですね。ですからこれらを心不相応行法としてたてられるのです。
結論としては、心不相応行法の二十四は心でもなく色でもなく、色法と心法の上に立てられた仮法なのです。大事なのは、色法と心法の上に立てられた仮法であるということです。色と心と無関係に不相応行が立てられているのではないということに留意が必要だと思います。
本論に戻りますと、
「段等の四食に摂めざる所なるが故に、」(『論』第四・二左)
段等の四食の前に(~)をいれなければなりませんね。(~)に入るのは、「二無心定及び果」の不相応行法は、段食などの四食には収めないものだから、という説明です。
本科段はもう少し説明を要しますので、また後日にしたいと思います。
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