唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第二能変 所依門 (69) ・ 倶有依 (45) 浄月等の説を述べる

2011-04-04 23:04:13 | 増上縁依(倶有依)

   ー  浄月等の説をまとめて述べる ー

 前七識の倶有依については安慧等の説と同じであります。しかし、第八識の倶有依について説を異にしています。その理由は第八識も余の七識と同様に識類であるから倶有依がなければならないというものです。

 初に、現行第八識の倶有依について説明され、後に種子の第八識の倶有依について説明されます。

 「是の故に蔵識は、若し現起ならば、定んで一の依有り、謂く第七識ぞ、有色界に在るときには、亦色根に依る。」(『論』第四・十九左)

 (このことから蔵識(第八識)は、もし現行し生起するならば、必ず一つの依がある。つまり第七識である。もし第八識が有色界に存在する時には、能く身を執受するから五色根をその不定依とするのである。)

 「述して曰く、第八は現起なり。定んで恒に一依に依る。常に一識と倶に転ずるが故に。即ち第七識なり。此れは三界に通ず。有色界に在る時は亦色根にも依る。即ち現行の第八識なり。此れ(色根)は定まらざるが故に、此の二の倶有依あり。」(『述記』第四末・八十四左)

 第八識は第七識を以て定依とする、何故ならば第七・八識は恒に倶転するからである。

 第八識が有色界に存在する時には、能く身を執受するから五色根をその不定依とする。

 また、現行第八識が第七識を倶有依とすることは三界に通じて言える。欲界・色界・無色界という三界に通じて第八識の所依となるのは第七識であるが、欲界と色界という有色界に存在する時には、第七識の他に五色根をも倶有依とする、という。無色界には五根が第八識の倶有依とはならない、というのが浄月等の説になります。