ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

アイ・コンタクト

2008年06月02日 | 気にかかる
           昔からの日本のアジサイ
            少なくなりました
     園芸種と言う自然の無くなった花が増えました
         わが家でもこれと真っ白の他は
      奇麗だが包み込む様な優しさのない花々です

今日から関西も入梅だそうです。一日中降ったり止んだり、放送を聞くまでに「入梅かな?」と思いました。

別に取り立てて不満があるわけでも無いのに、何となく心が落ち着かず、重い気持ちを抱えていました。昔からこんな気持ちになる事はありました。突然訪れるこの状態を私は「憂いの雲がやって来た」と称していました。2・3日で通過する事もありますが何ヶ月も居座る事もありました。このたびは一寸長かったようです。

朝目覚めると「憂いの雲」は過ぎ去っていました。「あれ!どうして?、あんなに執拗に居直っていたのに?」思い当たりました。仔象とパンダのお陰かな?って。
仔象とパンダの前では私はニコニコしていたと思います。顔に現れていなくとも、心はニコニコでした。

それで心が癒されたのではないでしょうか。動物とのふれあい?(直接触ったわけではありませんが)は癒し効果満点のようです。お花を見ていても心は和みます。可愛いな~奇麗だな~と心が喜びます。でも其れは静かな感情なんです。

動物は身体の形こそ違え、同じような内臓を持ち、血が流れ、体温があります。其れゆえに癒し効果も直接的、強烈なようです。そういえばコロがいた頃、とても癒されていたな~と思い出しました。犬猫の嫌いな人は「表情が無いから嫌い!」と言います。そんなことありません。「目は口ほどに物を言い」と言う言葉がありますが、身体中毛むじゃらですが、目が全てを語っています。

幸不幸に関係なく、年を重ねるほどに、何となく寂しい気持ちになるものです。最近特に犬を飼いたいと思うようになっています。でも躊躇っているのは、自分の身体に自信が無いからでしょうか。私に飼われて不幸になったら可哀想だな~って考えたりします。

この間も主人とペットやさんに入ったんですが、どの仔もこの仔も可愛くって、「でも飼うなら小さければ小さいほど良いね」って話しました。犬の好みは違うようでした。飼うとしたら?勿論私の好きな方ですよ。

コロがわが家に来た時は生まれたばっかりのようで片手に載ったんです。痩せていて、でもお腹だけは膨らんでいて、何方かに「捨てられていたんなら、何を食べてるかも解らないから、虫下しを飲ませたほうがいいよ」と教わって、飲ませましたところ、塊になって回虫が出てきました。それから元気になり、2度ばかり入院をしたほかは元気でした。

徹子さんも動物園が好きで、時々動物園に行くと言っておられました。「大人に成っても?」って不思議に思っていたのですが、昨日フッとそのことを思い出して、人と接する事の多い徹子さんだからこそ、物言わぬ動物と向き合う時間が欲しいんでしょう。

私は(徹子さん)動物とコンタクトが取れるんですよ、と言っておられました。そのときは「嘘ばっかり」と思っていましたが「私も取れるかもしれない」と思うようになったんです。

仔象の目に悲しみを見たのも、父象が怒ってると感じたのも、これ一種のコンタクトではありませんか?象たちが目で伝えようとしている事を、所謂「アイ・コンタクト」をキャッチできたのではないでしょうか。私が一対一で対峙して、何かを訴えたら、動物は其れをキャッチして、アイ・コンタクトで返してくれそうな気がするのです。
コメント
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