ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

天災の恐ろしさ

2008年06月15日 | テレビから


           一昨日のユリに似た色合いですが
        こちらはラインとスポットがはっきりしています

今日も一日、「岩手・宮城内陸地震」の事が放映されていました。13年前を思い出してしまいました。「阪神・淡路大震災」ですね。頻繁に起きる余震で落ち着けないと言う話をしておられましたが、本当にそうでしたね。私達は半年間ほどは寝巻きに着替える事はありませんでした。直ぐ逃げられるように・・・。

あれから各地で地震がありました。その経験からか、この度は比較的スムースに援助が行われているようですね。我が県の場合は県内に自衛隊の駐屯地がありながら、又聞くところによれば自衛隊の方でも要請があれば、いつでも出られる用意が出来ていたにも関わらず、当時の県知事の判断ミスで出動要請は無かったようです。復興のお手伝いはなさったようですが。

当時の首相の行動も遅かった。この度はすばやい行動だったようです。経験が生かされているのですね。民主党代表の小沢さんの選挙地盤(岩手県)だそうで、早速に駆けつけておられましたが、背広に白いワイシャツ姿でね~、一寸違和感がありましたね~。

「大震災」と付くのは「関東大震災」と「阪神・淡路大震災」だけなんですね。
両方とも「亥年」なんですね。関東大震災は1923年(大正12年)9月1日、阪神・淡路大震災は1995年(平成7年)1月17日です。次の72年後の「亥年」は2067年です。私が関東大震災の12年後の「亥年」に生まれた様に、去年生まれた「亥年」の人が還暦を迎える年に当ります。「歴史は繰り返される」と言いますが、こんな歴史は繰り返して欲しくありませんが、60年の間に「防災完備」になっていると良いですね。

この度の地震と阪神・淡路とは、中山間地区と都会の真ん中と言う違いで、随分違いますね。家の内部の壊れ方は同じですが、崩壊家屋の数は少ないようですが、山崩れ・がけ崩れで孤立地域が出ているようです。道路復旧まで家に帰れないことになりますね。映像に写る跡形も無いまでに削り取られた道路跡を見ると、果たして此処に又道路が出来るのかと心配になります。

駒の湯温泉の老舗旅館が土石流に埋まってしまいましたね。一階が土砂に埋まり見えてるのは2階のみ、其れも土石流と共に移動していたんですね。生き残った息子さんが言うには「当時側にいた母親が土石流に流されるのを見た」と言っているんですね。如何しようも無かった事なんですが、つらい事ですね。

阪神・淡路の時も。柱にはさまれて身動きできない親が回る火の手で焼かれるのを、残る母が「早く逃げて!」と叫ぶ声で、泣く泣くその場を離れたと言うこともありましたね。冬でしたが早朝だったから、まだ火事の被害は少なかったと言われていますが、それでもこんな悲しい話もあったわけです。

震災当時、色んな悲しい場面や、復興時の嬉しい事や一杯聞いたはずなんです。でも覚えているのはごく僅かなんです。13年の歳月が忘れさせたのではありません。何ヶ月もの間、余震におびえていた時に見聞きした事ですから、しっかりと脳裏に映像として記憶していなかったのではないかと思っています。余震と言う現実に生きる日々でしたから、言うならば心此処にあらずの状態で、聞く事見る事上の空だったのではないかと思います。

地震国日本なんて言葉忘れる状態になりたいですね。

コメント
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