ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

リリー・フランキーと言う人

2008年06月05日 | テレビから




          額アジサイ 紅(くれない)山アジサイ
    額の花が小さい 今はもう紅燃ゆる赤に変化している

「フラのお教室」断然「バウスカート」が増えました。カラフルで華やかな雰囲気になりました。若い方もぐ~んと増えました。私? 元のままのスタイルですよ。
バウは腰より下で穿くんです。とても似合うとは思えません。今ネットで調べたら
いろんな模様のバウが売られています。形から入るのも楽しいかも知れないけど、穿くには勇気が足りない!

今日「徹子の部屋」にリリー・フランキーさんが出ていました。あの「東京タワー」の作家です。あの作品は210万部売れたようです。

あの久世光彦さん(くぜてるひこ 演出家、プロデューサー、小説家)が出版後直ぐ電話をくれて、映像にさせて欲しいといわれた。勿論喜んでお任せした。脚本が出来上がって、自分でその成果を見る事無く久世さんは亡くなった。徹子さん曰く「久世さんはこれは(東京タワー)ひらかなで書かれた聖書である」と絶賛されたそうです。徹子さんは向田邦子さんを通して、久世さんとも親しくしていたそうです。

「東京タワー」は私も過ってブログで取り上げたが、心に残る本の一冊です。映画も見に行ったし、舞台にもなっているようだが、其れは見ていない。テレビには2回もなっているそうだが、連続物の方は見ていないが、後の一回きりのほうは見ました。

その頃と言うかリリー・フランクと言う名前と、ご本人の姿とが本とのギャップが大きいような気がしてあまり好きではなかったが、今日テレビでご本人を見て、話を聞いて、良い顔になられたな~と思った。今は上手な俳優としても認められているようだ。

本の装丁も自分で考えたそうだが「つるつるの真っ白な紙で縁取りが金色と言うのは?」との徹子さんの問いに「直ぐ汚れ易い白にしたのは、汚さない状態で丁寧に読んで欲しかったから」と答えていました。

書き始めた動機は、母親が入院して付き添っていたが何もする事が無い。それなら母親の事を書いておこうかなと思って、病院で書き始めたそうです。間もなくは母は亡くなり、小説の成功は知らない。貧乏でお墓など建てられそうに無いから母は「骨は何処かに撒いてくれれば良い」といっていたが、小説の成功でお墓も建てられたといっていました。

東京への行き帰りに東京タワーを目にすると、この小説の事をふっと思い出してしまう。1人息子を信じて信じて、必死に働いて学費を送金した母、余りありがたいとも思わず、当たり前のように使っていた息子、何処にでもある話なんだけど、「母と子」と言うより、母親への懺悔と言うか、熱い思いが綴られているのが思い出される。

今日の彼の言葉の中で、心に残ったのは「今の若い人は直ぐに別れるが、何があっても別れないのが豊かな事」意味深な言葉だと思う。やはり自分の両親の事を語っているような気がした。息子の心にこれほどまでに影響を与えたお母さんは、まぁ~居ないのではないだろうか。
コメント (2)
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