ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

海難事故

2008年06月24日 | ネットニュースから
 

 
        白い紫蘭と紫蘭 (5月にはこんな花も咲いていました)
        白色は珍しいそうですが わが家では群生しています

久し振りにジムに行きました。通う道の小学校のプールから元気な子どもの声がしていました。もうプールを使える時期になったんですね。6月も下旬ですものね。

そのお隣では老人会?の方でしょうか花の苗を前に何か打ち合わせをしていました。学校の塀際は何時も奇麗なお花が植わっています。楽しみ乍通っています。
どんな花を植えてくださるのでしょうね。

向えの公園で良い香です。何だろうと近づくと、高い木の高い場所で大きな白い花が咲いていました。あまりに高すぎて写せませんでした。なんという樹でしょうね。毎年咲いていたのでしょうが気が付きませんでした。

バラ園に近づきますと、2週間ほど前までは花が終わって、刈り込まれた枝に新しい葉が芽吹いて居ただけだと思っていましたのに、一斉に花を咲かせていました。アジサイ、ノウゼンカツラ、クチナシも香っていました。

ジムのアプローチでも新しい花に変わろうとしています。花の無い冬の為のストックが増えていきます。当分はわが家の花がメインでいけそうです。わが家のユリは後2種類を残すのみとなりました。


ネットで『沈没海域は「危険」地帯?過去にも大型船沈没』と言う記事を見つけた主人が「社史」を見ています。「やっぱりそうや、読んでみ」

『この度千葉県犬吠埼沖東方約350キロ沖でまき網漁船第58寿和丸が沈没した海域で、過去にも大型船が大波を受けて沈没した「危険」な海域である事が解った。海難審判庁によると、昭和44年に貨物船「ぼりばあ丸(3万3768トン)ガ強風の中を航行中に船体が折れて沈没・・・後略・・・』の記事です。

主人が調べていたのはその「ぼりばあ丸」についてです。前にも私はこのことについてブログに書きましたが、確か年末(年明けの記憶違い)だったと思います、主人は会社からの呼び出しに飛び出していった事がありました。約38年前の事ですが、船体は勿論、乗組員も見つからなかったのです。 乗組員二人(2等機関士、司厨員)のみ漁船に助けられ生還しましたが、 船長を初め30数名は「ぼりばあ丸」と運命を共にしました。

大きな船の船体が真っ二つに割れるなんて私には信じられない事でした。今までも海難事故と聞くと「ぼりばあ丸」(実は船名は忘れておりました)の事を思い出しておりました。思いがけず、「ぼりばあ丸」の名前を見て、思い出された元社員の方も大勢おられると思います。

  
第58寿和丸の乗組員の皆さんが見つかる事を祈っております。
コメント (8)
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