■(第47話)ひろがるスカイ!プリキュア「さよなら一番星!プリンセスのめざめ!」感想
「あなたがきちんと話してくれさえすれば」
「こんな終わり方にはならなかったかもしれないのに!」
ソラさんの叫び。多分、ひろプリで最も説得力のある一文だったと思う。
だからさっさと事情を明らかにしてくれと、あれほど…。
(「ひろがるスカイ!プリキュア」第47話より)
と思ったのだけど、よくよく考えて見ると逆なのかもしれない。
仮に第1話で「我々はアンダーグ!300年前に裏切られ、父を殺された恨みを今こそ晴らしてくれる!!」と宣言して襲ってきたとして、ソラさん達の対応が何か変わったかといえば、ほぼ同じだったはずです。
「プリキュアがカイザーを討った」は伝説とも大きな齟齬はなく、「じゃあエルちゃんを差し出します」とも当然ならない。
つまり「話してくれさえすれば」は、「話したところで何も変わらなかった」が真実に思える。
また、
●対話せずに殴り倒して放置したカバトンやバッタモンダーとは、結果的に分かり合えている
●対話を試みたスキアヘッドは自爆した
●絵本が退屈だった子供に合わせて、絵本を変えたりはしない
●ヒーローや飛行を嗤った周囲に、認めさせるような展開は強調されていない
●バッタモンダーやカバトンの価値を、スキアヘッドに認めさせてもいない
●隊長ランボーグのエピソードを初め、自分自身での解決を重視している
これらを踏まえると「対話」や「相互理解」を推奨しているようには見えません。
むしろ「相手に依存する対話よりも、まずは自分をしっかりと持つこと」、言い換えると「自立」を大事にしているように思えます。
例えば「エルレインによるカイザー殺害」の件。
「どうしてエルレインはそんなことを!?」「裏切られた、本当は悪い人だったのかも」と相手の事情を想像して悩んでも前に進めません。カイゼリン視点ではエルレインは殺人犯ですから、「何はともあれ、まずはエルレインと会話しようよ」はちょっと無理がある。
その前に「私が大好きなエルレインがそんなことをするはずがない」と自分の中ではっきりと立ち位置を持つのが大事で、そうすれば冷静に現場調査やアリバイの確認等々ができたはず。
ソラさんは何度もスキアヘッドに質問していましたが、「相手の事情を聞く」という受け身の姿勢では、口を閉ざされてしまったらそれまでです。実際、それで話が全く前に進まなかった。
「赤ちゃんを狙うのは悪いこと!まず殴り倒します!」の確固たる精神なら、自爆を防げた可能性が高い。
このように整理するなら、ひろプリにおける「ひろがる世界」とは内面世界のことを指していたように思えてくる。
おそらくは「あちこち出歩いて、色んな人に出会って、様々な価値観を知って成長しよう」がイメージされたと思いますが、これは悪し様にいうなら他力本願の他者依存です。「自分」がない。
そうではなく、今までに経験したことや価値観を整理し、自分の中ではっきりさせて世界に向き合おう。それが「ひろがる世界」だ。の方がしっくりくるように思います。「学校描写が薄い」「ヨヨ邸が中心で生活圏が狭い」等の特徴とも合致する。
乳児を抱える親や、新社会人(最初期の視聴者の現年齢)とも重ねられます。
いずれも物理的な移動範囲は狭くなりますが、今までにない得難い経験を積んでおり、内面的には「ひろがる世界」と言える。
映画「F」とも整合します。
シュプリームの事情を知っても、解決には何の役にも立ちません。
序盤のアドベンチャーパートでの交流も、シュプリームには全く刺さらず。
変えたのは殴り合いを通じて、自身が抱いた畏れがきっかけです。
シュプリームの価値観は「自分は他者より強い」で、他者を基準としています。
故にブレるし、比較する戦闘相手がいないアドベンチャーパートでは没個性的になる。
そう思うと、ゆかりさんの我の通し方等も「自分」の判断基準があったからで対比になっていたのかもしれない。
「F」は作られた狭い世界が舞台ですが、アドベンチャーパートはそうは見えず、生き生きとして新しい発見にも満ちています。これも「狭い世界」のヨヨ邸に当てはまりそう。
物理的にも経緯としても「狭い」のだけど、自己を深めることで「ひろがる世界」になっている。
更にはこれまでのプリキュアシリーズの基本方針にも沿っています。
相手の事情を慮って譲歩したりはしない。まずは自分を強く打ち出すことを重視してきています。
「女の子だって暴れたい」も正にそれ。
以上から、「対話が大切」と思わせたところに仕掛けた、「対話よりまずは自分」のどんでん返しだったのかもしれない。
そう考えれば、ひろプリさんのこれまでの不可解な描写も反転して、綺麗に収まります。
これが当たっているのかまだ分かりませんが、いい感じに火が入ってきた気がする。
「あなたがきちんと話してくれさえすれば」
「こんな終わり方にはならなかったかもしれないのに!」
ソラさんの叫び。多分、ひろプリで最も説得力のある一文だったと思う。
だからさっさと事情を明らかにしてくれと、あれほど…。
(「ひろがるスカイ!プリキュア」第47話より)
と思ったのだけど、よくよく考えて見ると逆なのかもしれない。
仮に第1話で「我々はアンダーグ!300年前に裏切られ、父を殺された恨みを今こそ晴らしてくれる!!」と宣言して襲ってきたとして、ソラさん達の対応が何か変わったかといえば、ほぼ同じだったはずです。
「プリキュアがカイザーを討った」は伝説とも大きな齟齬はなく、「じゃあエルちゃんを差し出します」とも当然ならない。
つまり「話してくれさえすれば」は、「話したところで何も変わらなかった」が真実に思える。
また、
●対話せずに殴り倒して放置したカバトンやバッタモンダーとは、結果的に分かり合えている
●対話を試みたスキアヘッドは自爆した
●絵本が退屈だった子供に合わせて、絵本を変えたりはしない
●ヒーローや飛行を嗤った周囲に、認めさせるような展開は強調されていない
●バッタモンダーやカバトンの価値を、スキアヘッドに認めさせてもいない
●隊長ランボーグのエピソードを初め、自分自身での解決を重視している
これらを踏まえると「対話」や「相互理解」を推奨しているようには見えません。
むしろ「相手に依存する対話よりも、まずは自分をしっかりと持つこと」、言い換えると「自立」を大事にしているように思えます。
例えば「エルレインによるカイザー殺害」の件。
「どうしてエルレインはそんなことを!?」「裏切られた、本当は悪い人だったのかも」と相手の事情を想像して悩んでも前に進めません。カイゼリン視点ではエルレインは殺人犯ですから、「何はともあれ、まずはエルレインと会話しようよ」はちょっと無理がある。
その前に「私が大好きなエルレインがそんなことをするはずがない」と自分の中ではっきりと立ち位置を持つのが大事で、そうすれば冷静に現場調査やアリバイの確認等々ができたはず。
ソラさんは何度もスキアヘッドに質問していましたが、「相手の事情を聞く」という受け身の姿勢では、口を閉ざされてしまったらそれまでです。実際、それで話が全く前に進まなかった。
「赤ちゃんを狙うのは悪いこと!まず殴り倒します!」の確固たる精神なら、自爆を防げた可能性が高い。
このように整理するなら、ひろプリにおける「ひろがる世界」とは内面世界のことを指していたように思えてくる。
おそらくは「あちこち出歩いて、色んな人に出会って、様々な価値観を知って成長しよう」がイメージされたと思いますが、これは悪し様にいうなら他力本願の他者依存です。「自分」がない。
そうではなく、今までに経験したことや価値観を整理し、自分の中ではっきりさせて世界に向き合おう。それが「ひろがる世界」だ。の方がしっくりくるように思います。「学校描写が薄い」「ヨヨ邸が中心で生活圏が狭い」等の特徴とも合致する。
乳児を抱える親や、新社会人(最初期の視聴者の現年齢)とも重ねられます。
いずれも物理的な移動範囲は狭くなりますが、今までにない得難い経験を積んでおり、内面的には「ひろがる世界」と言える。
映画「F」とも整合します。
シュプリームの事情を知っても、解決には何の役にも立ちません。
序盤のアドベンチャーパートでの交流も、シュプリームには全く刺さらず。
変えたのは殴り合いを通じて、自身が抱いた畏れがきっかけです。
シュプリームの価値観は「自分は他者より強い」で、他者を基準としています。
故にブレるし、比較する戦闘相手がいないアドベンチャーパートでは没個性的になる。
そう思うと、ゆかりさんの我の通し方等も「自分」の判断基準があったからで対比になっていたのかもしれない。
「F」は作られた狭い世界が舞台ですが、アドベンチャーパートはそうは見えず、生き生きとして新しい発見にも満ちています。これも「狭い世界」のヨヨ邸に当てはまりそう。
物理的にも経緯としても「狭い」のだけど、自己を深めることで「ひろがる世界」になっている。
更にはこれまでのプリキュアシリーズの基本方針にも沿っています。
相手の事情を慮って譲歩したりはしない。まずは自分を強く打ち出すことを重視してきています。
「女の子だって暴れたい」も正にそれ。
以上から、「対話が大切」と思わせたところに仕掛けた、「対話よりまずは自分」のどんでん返しだったのかもしれない。
そう考えれば、ひろプリさんのこれまでの不可解な描写も反転して、綺麗に収まります。
これが当たっているのかまだ分かりませんが、いい感じに火が入ってきた気がする。