以前に「プリキュアの原点は、私としてはこの3点だ」として、「玩具を売ろう」/「世代交代」/「変身願望」を挙げてみました。
次は有名なキャッチコピー『女の子だって暴れたい』を考えてみる。
(2023年開催の全プリキュア展から引用)
このコピーが素晴らしいのは「女の子は大人しい」「男の子は手がかかる」という、特に育児経験者なら一度は聞いたことがある偏見を射抜いたところだと思います。
「女性だって暴れたい」ではない。
「子供だって暴れたい」でもない。
「女の子だって暴れたい」です。
現在では「暴れたい」は社会進出などにも拡張されていますが、大元はもっとシンプルな「女の子だって動き回りたいんだ」という活発な行動欲求でしょう。
これが「変身願望(なりきり遊び)」や「玩具」と結びついて爆発的にヒットし、「世代交代」で続いていった。
ではこれを男子に当てはめたらどうなるかといえば、「男の子だって守られたい(≒大人しい)」です。
実際にハグプリでエールさんもおっしゃっている。「男の子だってお姫様になれる」。
現実世界を見ると「女の子は大人しい(家にいればよい)」の偏見は以前よりはかなり減ってはいますが、逆の「男の子は暴れたい(働くのが本分)」はかなり根強い。
女性の社会進出の最大の障害のひとつは、男性の家庭進出が進まないことです。男性が家庭を拒絶しているというより、男性に対する偏見が障壁になっています。いまだに「男性の育休はありえない」の会社/家庭は少なくないです。
※「家庭で働く」と「大人しい・守られている」は異なりますが、「暴れたい」を「社会進出」に拡張している背景があるので、便宜上つなげています。家庭にいることだって、戦場が違うだけで本来の意味では戦っています。
よって男子をプリキュアに組み込むのなら「男の子だってプリキュアになりたい(暴れたい)」ではなく、「男の子だって守られたい」が正統に思えます。
少なくともジェンダー問題の観点で言うなら、男がプリキュアになれないことより、男が守られる立場になれないことが深刻でしょう(そもそもジェンダー問題を取り扱う必要性を私は感じませんが、あえてそれを言い出すのであれば)。
「プリキュアの正体を知っていて(決戦間際のような例外を除く)、非レギュラーの民間人枠ではない、守られてばかりで居ることを良しとする男性キャラ」は、長いプリキュアの歴史でも意外といません。
例えば「プリキュア5」のココ・ナッツは守られていることをずっと悩んでいました。
彼らの場合は「自分の国の問題で、しかも国王なのに、無関係な年下の子供を戦わせるのは申し訳ない」の背景があり、性別に関係なく真っ当な感覚です。「男なのに情けない」のような演出はされてはいません。
(「デパプリ」のマリちゃんも同様)
ただ「申し訳ない」が描かれているのも事実です。
「ドキプリ」のジョナサンや「ハピネスチャージ」の誠司くん、「ゴープリ」のカナタ王子たちはプリキュアほどの戦闘能力はないものの戦っています。
「フレッシュ」のタルトのような精霊、「スイプリ」の音吉さんのようなご老体、異世界にいる国王たちは、見るからに格闘に向かないので別。
では該当するキャラクターはといえば、代表格は「ハピネスチャージ」のブルーです。
そしてブルーは(ファンの方には申し訳ないですが)かなり不人気な部類です。
※「フレッシュ」のカオルちゃんは扱いが難しいので除外します。
※「ハグプリ」のハリーは、戦えない事情がある。本人としてはむしろ戦いたがっている。
ブルーは、ストーリー上「捨てた元カノが復讐にやってきたので、若い娘たちをけしかけて迎撃した」ように見えるので、守られる云々以前の面はあるのですが、こういった背景が明らかになる前から「お前も戦え」の声は見かけたように思えます。
では「戦わない女性キャラクター」はというと、これも意外といないのですが(大抵はプリキュアになってしまう)、すぐに思いつくのは「ゴープリ」の七瀬さんです(ここでいう「戦う」とは格闘戦のこと。絶望に抗する・プリキュアを支えるという意味では、七瀬さんは勇敢に戦っています)。
そして彼女の好感度はとても高い。「プリキュアにならなかったからこそ良かった」とも称賛されています。
私の正直な気持ちとして、ブルーと七瀬さんを単純に比較するのはどうかとも思うのですが、「直接の格闘戦をしない」という共通点があるのに、印象に差があるのも確かです。
ジェンダーの観点からいうのであれば、「男の子だってプリキュアになれる」よりも「男の子だって戦わなくて良い」の方が「挑戦」だったのではと思えます。
少なくとも私の感覚ではそうなので、だから「ぼくプリ」を「挑戦」と言われることに違和感がある。
※但し、大前提としてジェンダー問題を扱わねばならない理由はないし、殊更に見たいわけでもない。「男の子だってお姫様になりたい」をプリキュアで扱わねばならない理由はなく、やりたい他のコンテンツでやればよい。
※各人が特定の憧れや理想像を持ち、そこに性別の要素があったとしても非難される筋合いはない。「守られてる男より、戦う男が好きだ」は、「守られている女より、戦う女が好きだ」と同軸であり、作品の好みとして異常とは思わない。
現実世界で「〇〇はかくあるべきだ」と自他に強制するのが問題であって、創作物での好き嫌いはあって当然であり、その集合として特定の傾向の作品が増えるのは当たり前です。
以上から、本当に挑戦するのであれば(その必要性はともかくとして)、プリキュアになるにしてもルミナスのような立ち位置がポイントを押さえていたように思えます。
精霊を抱っこして逃げるのが役目。基本的には防御技と支援技のみで、前線で殴り合いはしない。
見た目も「年下の華奢な少年」ではなく、「体格の良い年上の青年」だとテーマは強調されると思う。
そう思うと、ぼくプリの面々が高校生で、体格的にも女子中学生より「戦闘向け」なのは、期待できる要素なのかもしれない。
文字通りにダンスで戦う(アラモード以上に格闘はしない)のであれば、肉弾戦をしないのが(中学生女子より向いているはずの)男子高校生というのは特徴的です。
格闘をするにしても、演者の方には失礼かもしれませんが、アニメよりは控えめな表現に当然なるでしょう。まさかステージ上でビルを爆破したりはすまい。
よって「最も非力なプリキュアが男子プリキュア≒男の子だってお姫様になれる」が、意外と成り立つのかもしれない。
多分それもあるので、本家プリキュアに戦闘力では負ける描写を望んでしまうのかも(前々回の記事のラストを参照)。
「女の子だって暴れたい」およびその対となる「男の子だって守られたい」に、ぼくプリは反しているのか合致しているのか。
意外と判断は難しいのかもしれない。
次は有名なキャッチコピー『女の子だって暴れたい』を考えてみる。
(2023年開催の全プリキュア展から引用)
このコピーが素晴らしいのは「女の子は大人しい」「男の子は手がかかる」という、特に育児経験者なら一度は聞いたことがある偏見を射抜いたところだと思います。
「女性だって暴れたい」ではない。
「子供だって暴れたい」でもない。
「女の子だって暴れたい」です。
現在では「暴れたい」は社会進出などにも拡張されていますが、大元はもっとシンプルな「女の子だって動き回りたいんだ」という活発な行動欲求でしょう。
これが「変身願望(なりきり遊び)」や「玩具」と結びついて爆発的にヒットし、「世代交代」で続いていった。
ではこれを男子に当てはめたらどうなるかといえば、「男の子だって守られたい(≒大人しい)」です。
実際にハグプリでエールさんもおっしゃっている。「男の子だってお姫様になれる」。
現実世界を見ると「女の子は大人しい(家にいればよい)」の偏見は以前よりはかなり減ってはいますが、逆の「男の子は暴れたい(働くのが本分)」はかなり根強い。
女性の社会進出の最大の障害のひとつは、男性の家庭進出が進まないことです。男性が家庭を拒絶しているというより、男性に対する偏見が障壁になっています。いまだに「男性の育休はありえない」の会社/家庭は少なくないです。
※「家庭で働く」と「大人しい・守られている」は異なりますが、「暴れたい」を「社会進出」に拡張している背景があるので、便宜上つなげています。家庭にいることだって、戦場が違うだけで本来の意味では戦っています。
よって男子をプリキュアに組み込むのなら「男の子だってプリキュアになりたい(暴れたい)」ではなく、「男の子だって守られたい」が正統に思えます。
少なくともジェンダー問題の観点で言うなら、男がプリキュアになれないことより、男が守られる立場になれないことが深刻でしょう(そもそもジェンダー問題を取り扱う必要性を私は感じませんが、あえてそれを言い出すのであれば)。
「プリキュアの正体を知っていて(決戦間際のような例外を除く)、非レギュラーの民間人枠ではない、守られてばかりで居ることを良しとする男性キャラ」は、長いプリキュアの歴史でも意外といません。
例えば「プリキュア5」のココ・ナッツは守られていることをずっと悩んでいました。
彼らの場合は「自分の国の問題で、しかも国王なのに、無関係な年下の子供を戦わせるのは申し訳ない」の背景があり、性別に関係なく真っ当な感覚です。「男なのに情けない」のような演出はされてはいません。
(「デパプリ」のマリちゃんも同様)
ただ「申し訳ない」が描かれているのも事実です。
「ドキプリ」のジョナサンや「ハピネスチャージ」の誠司くん、「ゴープリ」のカナタ王子たちはプリキュアほどの戦闘能力はないものの戦っています。
「フレッシュ」のタルトのような精霊、「スイプリ」の音吉さんのようなご老体、異世界にいる国王たちは、見るからに格闘に向かないので別。
では該当するキャラクターはといえば、代表格は「ハピネスチャージ」のブルーです。
そしてブルーは(ファンの方には申し訳ないですが)かなり不人気な部類です。
※「フレッシュ」のカオルちゃんは扱いが難しいので除外します。
※「ハグプリ」のハリーは、戦えない事情がある。本人としてはむしろ戦いたがっている。
ブルーは、ストーリー上「捨てた元カノが復讐にやってきたので、若い娘たちをけしかけて迎撃した」ように見えるので、守られる云々以前の面はあるのですが、こういった背景が明らかになる前から「お前も戦え」の声は見かけたように思えます。
では「戦わない女性キャラクター」はというと、これも意外といないのですが(大抵はプリキュアになってしまう)、すぐに思いつくのは「ゴープリ」の七瀬さんです(ここでいう「戦う」とは格闘戦のこと。絶望に抗する・プリキュアを支えるという意味では、七瀬さんは勇敢に戦っています)。
そして彼女の好感度はとても高い。「プリキュアにならなかったからこそ良かった」とも称賛されています。
私の正直な気持ちとして、ブルーと七瀬さんを単純に比較するのはどうかとも思うのですが、「直接の格闘戦をしない」という共通点があるのに、印象に差があるのも確かです。
ジェンダーの観点からいうのであれば、「男の子だってプリキュアになれる」よりも「男の子だって戦わなくて良い」の方が「挑戦」だったのではと思えます。
少なくとも私の感覚ではそうなので、だから「ぼくプリ」を「挑戦」と言われることに違和感がある。
※但し、大前提としてジェンダー問題を扱わねばならない理由はないし、殊更に見たいわけでもない。「男の子だってお姫様になりたい」をプリキュアで扱わねばならない理由はなく、やりたい他のコンテンツでやればよい。
※各人が特定の憧れや理想像を持ち、そこに性別の要素があったとしても非難される筋合いはない。「守られてる男より、戦う男が好きだ」は、「守られている女より、戦う女が好きだ」と同軸であり、作品の好みとして異常とは思わない。
現実世界で「〇〇はかくあるべきだ」と自他に強制するのが問題であって、創作物での好き嫌いはあって当然であり、その集合として特定の傾向の作品が増えるのは当たり前です。
以上から、本当に挑戦するのであれば(その必要性はともかくとして)、プリキュアになるにしてもルミナスのような立ち位置がポイントを押さえていたように思えます。
精霊を抱っこして逃げるのが役目。基本的には防御技と支援技のみで、前線で殴り合いはしない。
見た目も「年下の華奢な少年」ではなく、「体格の良い年上の青年」だとテーマは強調されると思う。
そう思うと、ぼくプリの面々が高校生で、体格的にも女子中学生より「戦闘向け」なのは、期待できる要素なのかもしれない。
文字通りにダンスで戦う(アラモード以上に格闘はしない)のであれば、肉弾戦をしないのが(中学生女子より向いているはずの)男子高校生というのは特徴的です。
格闘をするにしても、演者の方には失礼かもしれませんが、アニメよりは控えめな表現に当然なるでしょう。まさかステージ上でビルを爆破したりはすまい。
よって「最も非力なプリキュアが男子プリキュア≒男の子だってお姫様になれる」が、意外と成り立つのかもしれない。
多分それもあるので、本家プリキュアに戦闘力では負ける描写を望んでしまうのかも(前々回の記事のラストを参照)。
「女の子だって暴れたい」およびその対となる「男の子だって守られたい」に、ぼくプリは反しているのか合致しているのか。
意外と判断は難しいのかもしれない。