■(第12話・最終回)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「キボウノチカラ」感想
最後の集まりのシーン。日向さんは留学に旅立ったので、プリ5+美翔さんで集まっていらっしゃる。
「他チームに、一人だけ別チームの子が混ざる」こと自体がレアなのに、ましてやそれがあの美翔さんです。
彼女の成長を感じるというか、何気に「オトナプリキュア」最大の衝撃かもしれない。
更なる続編が作られた場合、七瀬さん的立場でプリ5チームに帯同する美翔さんが見られる…のかもしれない(見たい)。
(「オトナプリキュア」第12話より)
ベルが突き付けた破綻の未来は、回避する確実な回答はない。
「プリキュア」では「未来は変えられない(正確に言うなら、過去に起きた不幸をなかったことにはできない)」ので、おそらく未来の事象そのものは変えられず、この街は滅ぶと思われます。
故にラストシーンのポイ捨ても必然。未来は変えられない。
ただ、事象は変えられなくても心持は変えられます。
いざ破綻した時に「仕方がなかった」「どうしてこうなった」と嘆くだけなのと、新天地を目指して希望を抱いたり、街の復興を夢見て頑張れるかは大きく違う。
ベルが愛したのも「物理的な街」ではなく「そこに住む人々」だったはずで、その意味では確かに明るい方に向かってはいる。
表現が「環境破壊」「SDGs」などなのでつい身構えてはしまいますが、描いていることは「絶望は決して消せない」「ネガティブになったので時間が止まった」等と同じです。
これまでのシリーズと同様に、完全なる解決は提示できない。だけど一人一人が立ち上がっていけば、何かは変わる。
ブンビーさんが語った「『頑張れ』と応援するのではなく、自分たちで」。
これは「NS1」の頃から大きな課題になったテーマです。
NS1の冒頭の観覧車のシーン。
化け物が現れた。格好よく伝説の戦士が現れた。皆でそれを応援する。
プリキュアの縮図とも言える「熱い」シーンではあるのですが、すぐにふと気づいてしまう。
私たちは、彼女らの顔もはっきりと見えないほどの遠くから、ただ応援しているだけだ。
あのシーンは本当に辛く、映画館でいきなり涙したのを覚えています。
そこからの「女の子なら誰でもプリキュアになれる」の台詞や、主題歌の「みんなもプリキュア」とエールを送られ、当たり前にプリキュアがいる10周年のハピネスチャージや、全人類プリキュア化のハグプリに繋がった。
なので今回は「大人」向けだからこうなったというより、15周年までのプリキュアの最大の共通課題とも言えるものを、しっかりと引っ張ってきたという印象です。
ただの思い付きではなく、きちんとこれまでの本編やシリーズ全体の流れを踏襲してくれていて、とても嬉しい。
「プリキュア5」の文脈としても綺麗です。
「夢に向かう時、人はひとり。でも同じように夢に向かう誰かがいることが励みになる」。
GoGo最終決戦で手紙が届いたのとも同じ流れで、綺麗にまとまってる。
この流れだとSS組が後ろに回るのは当然で、SS推しの私としても納得できる。
仮にSSの文脈で解決するなら「滅びもまた生命の営み」の方向だったと思う。
「プリ5」の思想と矛盾はしないけど、表現が変わっていたはず。
「タイムフラワーが種を残してまた芽吹く」のは、予想できたはずなのに全く頭になく、ちょっと悔しいと同時に膝を打ちました。
プリキュアさんは絶対不変の金属の永遠ではなく、枯れても種を残し次に繋げていく植物の永遠を謳っています。
それに沿った見事なオチだったと思う。
何故子供の姿になるのか等については、明確な回答はなし。
私の解釈としては、「子供時代のあのイノセントな想いは嘘ではなかったはずだ」(10周年のテーマ)かなと思ってる。
大人になった今では、子供の頃に語った思いは綺麗事にすぎず、現実と乖離していたのは分かる。
いざ直面したのは、あの時夢見ていたような未来ではなかった。現実の問題をプリキュアは解決できない。
でも、子供の時のあの必死さや戦いは嘘ではなく、確かにあったんだ。それらは無力かもしれないけれど、確かに存在して今の私を形作っている。
だから子供の姿になって戦う。大人の姿で戦うとこの文脈が成立しなくなってしまう。
そしてその姿に影響を受けた他の人たちが立ち上がり、未来を変えていく(15周年のテーマ)。
夢原さんが真っ先に倒れたのは、「破綻を知った人々が希望を失う(真の破綻)」が起きるからで、夢の象徴たるプリキュアは存在できなくなる。特に「夢」を冠するキュアドリームは。
しかし人々が夢や希望を繋いだので、タイムフラワーの種という形にも表れ、目を覚ますことができた。
おそらくはこの「繋ぐ」は20周年のテーマと思われます。あとは「考え続ける」とかか。
「壁を越えて会いに行く」の5周年と合わせて、10周年・15周年・20周年の集大成とも言えそうで、つくづく綺麗に本編を踏襲してくれたと思います。
EDの「雫のプリキュア」も綺麗です。一人一人の希望は小さくても、それらが集まった象徴的なものが「プリキュア」。
それらを踏まえてのラストのポイ捨て。
綺麗にまとめたところで、「プリキュアは問題を解決していない」のは変わらない。
「後味」を良くしてしまうと、「プリキュアの活躍で世界は救われた。良かった良かった」「ありがとうプリキュア!感動した!大団円!」となりかねません。実際、本編はその傾向がある。問題は解決しておらず、現実の我々にも当てはまることなのに、「終わった」気がしてしまう。
そこを「大人向けだから」と信頼して、釘を刺してきたのかなと。
ですので、続編の布石といったことではなく、これで完結だと思ってます。
今までのシリーズも完全解決はしておらず、殊更に未解決エンドというわけでもない。
まぁテーマがどうのこうのはさておいて、続編は見たいですけど。オトナプリキュア2028とか、継続してやってくれないかしら。
夢原さんとココの結婚を初め、着地すべきところに着地して、私としては大満足です。
冒頭に書いたように、美翔さんも新しい道を切り開かれた。
(ただこまちさんに関してだけは、どうにも釈然とはしませんが…。こまちさんの物語としては納得はするのだけど、望まれていたことがスルーされすぎてる感が)
※単体でのメイン回がなかったミルクさんに触れておくと、本編最終回でローズガーデンのガイドをしていたことや、「似ている」と称されたアナコンディさんの館長一筋の末路を見ていたことから、お世話役からは離れるのではないかと予想していました。今作での、秘書を経ての大統領への立候補は納得感しかない。
なお王制を廃止したのではなく、実務や権力の分散的なものだろうと思ってます(ココのプロポーズの言葉が茶番になりかねないのと、国王はココの主体的な夢であり「王様の責務から解放してあげる」ようなことではないので)。細かな定義を横に置くなら、イギリスや日本のようなイメージ。
この3カ月、非常に幸せでした。
とても良い試みだと思うので、今後も「オールスターズでも別シリーズへの客演でもない、完全なる続編」をどんどん展開していって欲しいです。
個人的には別シリーズ混合ものとかも見たい。留学している日向さんと、フランスやドイツに縁のある蒼乃さんやシエル、ハトプリ組や北条さんの混成チームとか。
書きたいことを書ききれた気がしないですけど、止まっていた物語が動き出した得難い経験をした、素晴らしい番組でした。
ありがとうございました。次回にも期待しています。
【追記:2024年1月26日】
本放送中に気が付けなかったことを追記。
映画「鏡の国」は、砕けたクリスタルをドリームが寂しげに見上げるシーンで終わります。
当時、私はこの二つで理解していた。
(1) シャドウやドリームに夢を託していたダークドリームの末路を、ココに夢を託す自分に重ね合わせた。
(2) 夢に向かって努力するとは、過去や今の自分を殺すことと同義。それが成長ではあるが、寂しさもまたある。
オトナプリキュアで変身できなくなっていたのは(2)が絡んでいるのかもしれない。
「1分前の自分とは違う」の流れで行くなら、夢原さん達は過去の「プリキュアだった子供時代」を捨てて先に進んでいく。
だからキュアモを失い、変身も出来なくなった。
だけどED「雫のプリキュア」でも歌われているとおり、「子供時代は誰にもある。ファンタジーも守りたい」「大きくなってもなりきれない心に子供の私がいる」。
夢に向かって成長するために、過去の自分を殺す。でもそうじゃない。誰の心にも、子供の私がいる。
辛く苦しい時に、成長して捨てたと思っていた子供時代の自分が、また力を与えてくれる。そういう流れだったのかなと。
最後の集まりのシーン。日向さんは留学に旅立ったので、プリ5+美翔さんで集まっていらっしゃる。
「他チームに、一人だけ別チームの子が混ざる」こと自体がレアなのに、ましてやそれがあの美翔さんです。
彼女の成長を感じるというか、何気に「オトナプリキュア」最大の衝撃かもしれない。
更なる続編が作られた場合、七瀬さん的立場でプリ5チームに帯同する美翔さんが見られる…のかもしれない(見たい)。
(「オトナプリキュア」第12話より)
ベルが突き付けた破綻の未来は、回避する確実な回答はない。
「プリキュア」では「未来は変えられない(正確に言うなら、過去に起きた不幸をなかったことにはできない)」ので、おそらく未来の事象そのものは変えられず、この街は滅ぶと思われます。
故にラストシーンのポイ捨ても必然。未来は変えられない。
ただ、事象は変えられなくても心持は変えられます。
いざ破綻した時に「仕方がなかった」「どうしてこうなった」と嘆くだけなのと、新天地を目指して希望を抱いたり、街の復興を夢見て頑張れるかは大きく違う。
ベルが愛したのも「物理的な街」ではなく「そこに住む人々」だったはずで、その意味では確かに明るい方に向かってはいる。
表現が「環境破壊」「SDGs」などなのでつい身構えてはしまいますが、描いていることは「絶望は決して消せない」「ネガティブになったので時間が止まった」等と同じです。
これまでのシリーズと同様に、完全なる解決は提示できない。だけど一人一人が立ち上がっていけば、何かは変わる。
ブンビーさんが語った「『頑張れ』と応援するのではなく、自分たちで」。
これは「NS1」の頃から大きな課題になったテーマです。
NS1の冒頭の観覧車のシーン。
化け物が現れた。格好よく伝説の戦士が現れた。皆でそれを応援する。
プリキュアの縮図とも言える「熱い」シーンではあるのですが、すぐにふと気づいてしまう。
私たちは、彼女らの顔もはっきりと見えないほどの遠くから、ただ応援しているだけだ。
あのシーンは本当に辛く、映画館でいきなり涙したのを覚えています。
そこからの「女の子なら誰でもプリキュアになれる」の台詞や、主題歌の「みんなもプリキュア」とエールを送られ、当たり前にプリキュアがいる10周年のハピネスチャージや、全人類プリキュア化のハグプリに繋がった。
なので今回は「大人」向けだからこうなったというより、15周年までのプリキュアの最大の共通課題とも言えるものを、しっかりと引っ張ってきたという印象です。
ただの思い付きではなく、きちんとこれまでの本編やシリーズ全体の流れを踏襲してくれていて、とても嬉しい。
「プリキュア5」の文脈としても綺麗です。
「夢に向かう時、人はひとり。でも同じように夢に向かう誰かがいることが励みになる」。
GoGo最終決戦で手紙が届いたのとも同じ流れで、綺麗にまとまってる。
この流れだとSS組が後ろに回るのは当然で、SS推しの私としても納得できる。
仮にSSの文脈で解決するなら「滅びもまた生命の営み」の方向だったと思う。
「プリ5」の思想と矛盾はしないけど、表現が変わっていたはず。
「タイムフラワーが種を残してまた芽吹く」のは、予想できたはずなのに全く頭になく、ちょっと悔しいと同時に膝を打ちました。
プリキュアさんは絶対不変の金属の永遠ではなく、枯れても種を残し次に繋げていく植物の永遠を謳っています。
それに沿った見事なオチだったと思う。
何故子供の姿になるのか等については、明確な回答はなし。
私の解釈としては、「子供時代のあのイノセントな想いは嘘ではなかったはずだ」(10周年のテーマ)かなと思ってる。
大人になった今では、子供の頃に語った思いは綺麗事にすぎず、現実と乖離していたのは分かる。
いざ直面したのは、あの時夢見ていたような未来ではなかった。現実の問題をプリキュアは解決できない。
でも、子供の時のあの必死さや戦いは嘘ではなく、確かにあったんだ。それらは無力かもしれないけれど、確かに存在して今の私を形作っている。
だから子供の姿になって戦う。大人の姿で戦うとこの文脈が成立しなくなってしまう。
そしてその姿に影響を受けた他の人たちが立ち上がり、未来を変えていく(15周年のテーマ)。
夢原さんが真っ先に倒れたのは、「破綻を知った人々が希望を失う(真の破綻)」が起きるからで、夢の象徴たるプリキュアは存在できなくなる。特に「夢」を冠するキュアドリームは。
しかし人々が夢や希望を繋いだので、タイムフラワーの種という形にも表れ、目を覚ますことができた。
おそらくはこの「繋ぐ」は20周年のテーマと思われます。あとは「考え続ける」とかか。
「壁を越えて会いに行く」の5周年と合わせて、10周年・15周年・20周年の集大成とも言えそうで、つくづく綺麗に本編を踏襲してくれたと思います。
EDの「雫のプリキュア」も綺麗です。一人一人の希望は小さくても、それらが集まった象徴的なものが「プリキュア」。
それらを踏まえてのラストのポイ捨て。
綺麗にまとめたところで、「プリキュアは問題を解決していない」のは変わらない。
「後味」を良くしてしまうと、「プリキュアの活躍で世界は救われた。良かった良かった」「ありがとうプリキュア!感動した!大団円!」となりかねません。実際、本編はその傾向がある。問題は解決しておらず、現実の我々にも当てはまることなのに、「終わった」気がしてしまう。
そこを「大人向けだから」と信頼して、釘を刺してきたのかなと。
ですので、続編の布石といったことではなく、これで完結だと思ってます。
今までのシリーズも完全解決はしておらず、殊更に未解決エンドというわけでもない。
まぁテーマがどうのこうのはさておいて、続編は見たいですけど。オトナプリキュア2028とか、継続してやってくれないかしら。
夢原さんとココの結婚を初め、着地すべきところに着地して、私としては大満足です。
冒頭に書いたように、美翔さんも新しい道を切り開かれた。
(ただこまちさんに関してだけは、どうにも釈然とはしませんが…。こまちさんの物語としては納得はするのだけど、望まれていたことがスルーされすぎてる感が)
※単体でのメイン回がなかったミルクさんに触れておくと、本編最終回でローズガーデンのガイドをしていたことや、「似ている」と称されたアナコンディさんの館長一筋の末路を見ていたことから、お世話役からは離れるのではないかと予想していました。今作での、秘書を経ての大統領への立候補は納得感しかない。
なお王制を廃止したのではなく、実務や権力の分散的なものだろうと思ってます(ココのプロポーズの言葉が茶番になりかねないのと、国王はココの主体的な夢であり「王様の責務から解放してあげる」ようなことではないので)。細かな定義を横に置くなら、イギリスや日本のようなイメージ。
この3カ月、非常に幸せでした。
とても良い試みだと思うので、今後も「オールスターズでも別シリーズへの客演でもない、完全なる続編」をどんどん展開していって欲しいです。
個人的には別シリーズ混合ものとかも見たい。留学している日向さんと、フランスやドイツに縁のある蒼乃さんやシエル、ハトプリ組や北条さんの混成チームとか。
書きたいことを書ききれた気がしないですけど、止まっていた物語が動き出した得難い経験をした、素晴らしい番組でした。
ありがとうございました。次回にも期待しています。
【追記:2024年1月26日】
本放送中に気が付けなかったことを追記。
映画「鏡の国」は、砕けたクリスタルをドリームが寂しげに見上げるシーンで終わります。
当時、私はこの二つで理解していた。
(1) シャドウやドリームに夢を託していたダークドリームの末路を、ココに夢を託す自分に重ね合わせた。
(2) 夢に向かって努力するとは、過去や今の自分を殺すことと同義。それが成長ではあるが、寂しさもまたある。
オトナプリキュアで変身できなくなっていたのは(2)が絡んでいるのかもしれない。
「1分前の自分とは違う」の流れで行くなら、夢原さん達は過去の「プリキュアだった子供時代」を捨てて先に進んでいく。
だからキュアモを失い、変身も出来なくなった。
だけどED「雫のプリキュア」でも歌われているとおり、「子供時代は誰にもある。ファンタジーも守りたい」「大きくなってもなりきれない心に子供の私がいる」。
夢に向かって成長するために、過去の自分を殺す。でもそうじゃない。誰の心にも、子供の私がいる。
辛く苦しい時に、成長して捨てたと思っていた子供時代の自分が、また力を与えてくれる。そういう流れだったのかなと。