■(第9話)キボウノチカラ〜オトナプリキュア’23〜「フタリノキズナ」感想
美翔さんが変身なされた。
そしてレアな背面アングルからの「聖なる泉を汚すものよ!」を炸裂なされた。
(「オトナプリキュア」第9話より)
この指差しポーズ、意外との下向きに指してるんですね。普段(12年前)は巨大な相手と戦うことが多かったので、その時の癖で上を見上げてからいやいやもっと下だ、となって下げすぎたとかかしら。あと多分「泉は今回、関係ない」と途中で気づいて、でも引っ込みがつかなくて慌てたんだと思う。ベルも混乱したはず。「泉…?何の話だ…?」。
微妙に格好がつかない再変身でしたが、お得意の踵落としもばっちり決めてくれました。スタッフ様、分かっていらっしゃる。鳥キュアといえば、踵落とし。
変身前にやらかした「うつ伏せに倒れる」も美翔さんのお家芸。どうしてこうも細かいところで、美翔舞の解像度が高いんだ。
※この「大空の樹の前での指差し&後ろから映す」のは本編にもあった気がするのだけど、何話だったのか思い出せない。そもそもなかったかもしれない。
※霧生さんとの再会がここなのは、復活幹部戦を思い出してとても懐かしい。
【全ての大人に子供は宿る】
日向さんはフランスにパン留学に行きたかったらしい。だけどいけない。婚約したし実家を継がないと…。
と、悩んでいらっしゃいましたが、美翔さんに後押しされて会話してみたら、さっくり解決しました。
それはそうだ。
日向さんは「大人の責任」を意識してフリーズしていたようですが、「みんなを気にして留学を断念」はむしろ子供の発想です。
現に、プリキュアさんは頻繁に留学やらオーディションやらをキャンセルなさってきた。
大人にとっては数年の別離は大騒ぎすることでもない。現実にも単身赴任も海外赴任も普通にある。
日向さんはまだ20代。しかも勤め先は実家ですから、店長になるのを急ぐ理由が全くない。
ご両親は健在なので、下手に店長になってもリソースが余ってしまいデメリットにすらなりかねない。
実際、お父さんは浮いた時間で新たな挑戦をし、次に活かそうとしています。さすが長年、店を盛り立ててきただけありアグレッシブ。
婚約者さんもまだ店を開いてはいないようですから、一緒に留学する道がある。おそらく探しているはず。
美翔さんはおっしゃった。「大人も子供も違わない」。
ある日を境に、別の生き物になるわけでもなく。結局のところ、子供時代の自分も今の大人の自分の中にある。
変わってしまったと決めつけて、動きを止める理由はない。
この辺の思考はSSのキーフレーズ「全ての物に命は宿る」を想起します。
息絶えたかに見える不毛の大地にも、命は宿る。
比喩ではなく、事実として遥か昔に恒星が爆発した際にまき散らされたものが、巡り合って今の私達の体を構成しています。
天文学的な大災厄や無機物の漂流の果てにも、命は宿る。だから私たちは今ここにいる。
同様に子供時代の自分も、姿かたちや表面の考え方などは変わっても、自分自身を構成している。
全ての物に命が宿るように、いつどんな私にも子供時代の私は宿っている。
以前の美翔さん回で、プリキュア姿の自分を思い浮かべていたのはマイナス描写なのか否かを悩みましたが、この描写なら明らかに前向きです。
昔を振り返って逃避するのではなく、今を切り抜けるために自分自身を総動員した結果として、子供時代の力を使っている。
5組と違い、「フラチョピが居ない」という変身できないことが明白な状況で、それでも迷いもせずに変身したのは素直に格好良いです。強い美翔さんが見られて大変に素晴らしい。
あえて気持ちの悪い妄想をすると、おそらく美翔さん達は単独変身できるんじゃないかな。全ての物に命は宿るの発想で行くなら、周囲の大気とかにも「日向咲なる概念」は存在し、変身の力になってくれそうな気がする。これが発動するのは、日向さんが戦死したような時でしょうから、見たくはありませんが。
元・滅びの戦士たる霧生さん達もついに表に出てきてくれました。
ダークフォール(除くゴーヤーン)の思想は「命を謳歌した末の滅び」ですから、仮にモエルンバ達が健在だったら彼らもベルと対立したように思う。
環境破壊を止める?エントロピーは増大するものだ。その過程を無意味に早める必要はなく、途中の美しさを楽しむのが大事なだけで。
霧生さん達は「ダークフォールの生き残り」としての応戦でも筋が通っているのが、無性に熱いです。SSの敵味方混合軍vsベル。プリ5組とはまた違った戦いがある。
そんな熱い展開の裏で、夢原さんはまたぶっ倒れていました。タイムフラワーの副作用らしい。
「子供時代を捨てる」展開になるとは思えず、かといって何がどう不吉なのかも分からない。
あと3話。楽しみです。
美翔さんが変身なされた。
そしてレアな背面アングルからの「聖なる泉を汚すものよ!」を炸裂なされた。
(「オトナプリキュア」第9話より)
この指差しポーズ、意外との下向きに指してるんですね。普段(12年前)は巨大な相手と戦うことが多かったので、その時の癖で上を見上げてからいやいやもっと下だ、となって下げすぎたとかかしら。あと多分「泉は今回、関係ない」と途中で気づいて、でも引っ込みがつかなくて慌てたんだと思う。ベルも混乱したはず。「泉…?何の話だ…?」。
微妙に格好がつかない再変身でしたが、お得意の踵落としもばっちり決めてくれました。スタッフ様、分かっていらっしゃる。鳥キュアといえば、踵落とし。
変身前にやらかした「うつ伏せに倒れる」も美翔さんのお家芸。どうしてこうも細かいところで、美翔舞の解像度が高いんだ。
※この「大空の樹の前での指差し&後ろから映す」のは本編にもあった気がするのだけど、何話だったのか思い出せない。そもそもなかったかもしれない。
※霧生さんとの再会がここなのは、復活幹部戦を思い出してとても懐かしい。
【全ての大人に子供は宿る】
日向さんはフランスにパン留学に行きたかったらしい。だけどいけない。婚約したし実家を継がないと…。
と、悩んでいらっしゃいましたが、美翔さんに後押しされて会話してみたら、さっくり解決しました。
それはそうだ。
日向さんは「大人の責任」を意識してフリーズしていたようですが、「みんなを気にして留学を断念」はむしろ子供の発想です。
現に、プリキュアさんは頻繁に留学やらオーディションやらをキャンセルなさってきた。
大人にとっては数年の別離は大騒ぎすることでもない。現実にも単身赴任も海外赴任も普通にある。
日向さんはまだ20代。しかも勤め先は実家ですから、店長になるのを急ぐ理由が全くない。
ご両親は健在なので、下手に店長になってもリソースが余ってしまいデメリットにすらなりかねない。
実際、お父さんは浮いた時間で新たな挑戦をし、次に活かそうとしています。さすが長年、店を盛り立ててきただけありアグレッシブ。
婚約者さんもまだ店を開いてはいないようですから、一緒に留学する道がある。おそらく探しているはず。
美翔さんはおっしゃった。「大人も子供も違わない」。
ある日を境に、別の生き物になるわけでもなく。結局のところ、子供時代の自分も今の大人の自分の中にある。
変わってしまったと決めつけて、動きを止める理由はない。
この辺の思考はSSのキーフレーズ「全ての物に命は宿る」を想起します。
息絶えたかに見える不毛の大地にも、命は宿る。
比喩ではなく、事実として遥か昔に恒星が爆発した際にまき散らされたものが、巡り合って今の私達の体を構成しています。
天文学的な大災厄や無機物の漂流の果てにも、命は宿る。だから私たちは今ここにいる。
同様に子供時代の自分も、姿かたちや表面の考え方などは変わっても、自分自身を構成している。
全ての物に命が宿るように、いつどんな私にも子供時代の私は宿っている。
以前の美翔さん回で、プリキュア姿の自分を思い浮かべていたのはマイナス描写なのか否かを悩みましたが、この描写なら明らかに前向きです。
昔を振り返って逃避するのではなく、今を切り抜けるために自分自身を総動員した結果として、子供時代の力を使っている。
5組と違い、「フラチョピが居ない」という変身できないことが明白な状況で、それでも迷いもせずに変身したのは素直に格好良いです。強い美翔さんが見られて大変に素晴らしい。
あえて気持ちの悪い妄想をすると、おそらく美翔さん達は単独変身できるんじゃないかな。全ての物に命は宿るの発想で行くなら、周囲の大気とかにも「日向咲なる概念」は存在し、変身の力になってくれそうな気がする。これが発動するのは、日向さんが戦死したような時でしょうから、見たくはありませんが。
元・滅びの戦士たる霧生さん達もついに表に出てきてくれました。
ダークフォール(除くゴーヤーン)の思想は「命を謳歌した末の滅び」ですから、仮にモエルンバ達が健在だったら彼らもベルと対立したように思う。
環境破壊を止める?エントロピーは増大するものだ。その過程を無意味に早める必要はなく、途中の美しさを楽しむのが大事なだけで。
霧生さん達は「ダークフォールの生き残り」としての応戦でも筋が通っているのが、無性に熱いです。SSの敵味方混合軍vsベル。プリ5組とはまた違った戦いがある。
そんな熱い展開の裏で、夢原さんはまたぶっ倒れていました。タイムフラワーの副作用らしい。
「子供時代を捨てる」展開になるとは思えず、かといって何がどう不吉なのかも分からない。
あと3話。楽しみです。