「ハートキャッチ」さんの最終回が近づいていますが、「フレッシュ」さんの最終回ももうまもなく。
2010年のプリキュアボイスも後20回を切りました。
桃園さんの言葉を聞ける日々ともお別れか…。
※プリキュアボイス
プリキュアカレンダー
についてくる特典。
日替わりでプリキュアさんの一言ボイスを受け取れます。
現在は現役引退した桃園さんが、ひたすらどうでも良い一言を毎日配信中。(花咲さん
もスタンバイ)
昨日・一昨日の担当は桃園さん。
桃園さん:
「12月12日!」
「今日はクイズです!」
「あたしたちが住んでる町はなんていう名前でしょう?答えは明日!」
桃園さん:
「12月13日」
「あたしたちの町は四つ葉町っていうんだよ。とってもステキな町なんダヨ!」
恒例のクイズシリーズ。
「フレッシュ」さんがこれを開発したのは革命的な出来事でした。
何せネタ一つで二日間持たせられる。ネタギレに苦しむプリキュア娘の強い味方。
お題は桃園さん居住のクローバータウンから。
まぁ殊更に突っ込むほどのことでもないのですが、「今日はクイズです!」の声が猛烈に可愛かったので書いてみた。
語尾が「です!」ですよ。いつもなら「ダヨ!」なのに。ちょっぴりお姉さんモードの桃園さんにどぎまぎ。
【蛇足】
全く無関係に、なんとなく「おもちゃの国」のことを思い出してみた。
桃園さんの信念は「不幸になってもやり直せる」&「毎日の生活に幸せがある」なわけですが、この理論は「だけど人は必ず死ぬ」の前には崩れ去る。
世の中の「日常生活に喜びを見出して生きよう」系の思想が、絶望や鬱に対して滅法弱いのもこのせいだと思う。
そして玩具たちの嘆き「どんなに楽しく遊んでも、人はいつか玩具を捨てる」は、これと同義なのだと今更ながらに思ってみた。
そう思うと、ルーレット伯爵の言葉「回る回る人生のように」は、いつか必ずゴールに到着するすごろくを人生にかけていたのかも。
しかもゴールで待っているのは「死」である玩具たち。
あのすごろくシーン、何の意味があるんだろうというか、1回ずつしかサイコロふってないし何やら尺稼ぎの匂いがするとか思ってたのですが、ちゃんと意味があった。
極論を言えば、「いつかは捨てられるのなら何故買った」の叫びは、「いつかは死ぬのなら何故産んだ」につながる。
桃園さんは母親属性も持っていますけど、そこに投げつけられる「既に死んだ子」たちの非難。そして復讐。
結局、桃園さんは「必ず死ぬなら幸せなど無意味では?」を理屈で説得することはできず、「そうは言っても大事であることは事実だ」という力技でねじ伏せました。
これはこれで決して間違っていない(だから私たちは今、生きている)し、何よりミラクルライトの説得力は凄まじいものがあった。
観客参加型の双方向性コンテンツとして、恐ろしく機能してたと思う。
ただそれはそれとして、一つの回答として「次の世代に繋いでいければ、自分が死んでも存在したことに意味がある」というのもあると思う。
ラストシーンでクマさんが次の人たちに受け継がれていったのは、そういう意味合いだったのかなと。
当時は単に「またやり直せる」の意味でしか受け取れなかったけれど、桃園さんが「子育て」「世代の継承」もテーマに抱えていたことを思うと、ちょっと単純に見すぎていたかもしれない。
もうちょっと突き詰めると、桃園さん達自身も「いつか必ず終わる」番組の人たち。
それでもこうして次のコンテンツや「ハートキャッチ」さんに繋がって行ってるのだから、存在の意味がなくなったわけじゃない。
何せ同期に「ディケイド」さんもおられるし、本格的にオールスターズをし始めた人たちですし。
プリキュアさんの映画は、見返せば見返した分だけ、新しい発見があるのがとんでもない。
上記に限らず、多少深読みしすぎの部分はあるかもしれませんが、それだけ考えられるということ自体が凄い。
作っている人たちのことは尊敬します。本気で。
2010年のプリキュアボイスも後20回を切りました。
桃園さんの言葉を聞ける日々ともお別れか…。
※プリキュアボイス
プリキュアカレンダー
日替わりでプリキュアさんの一言ボイスを受け取れます。
現在は現役引退した桃園さんが、ひたすらどうでも良い一言を毎日配信中。(花咲さん
昨日・一昨日の担当は桃園さん。
桃園さん:
「12月12日!」
「今日はクイズです!」
「あたしたちが住んでる町はなんていう名前でしょう?答えは明日!」
桃園さん:
「12月13日」
「あたしたちの町は四つ葉町っていうんだよ。とってもステキな町なんダヨ!」
恒例のクイズシリーズ。
「フレッシュ」さんがこれを開発したのは革命的な出来事でした。
何せネタ一つで二日間持たせられる。ネタギレに苦しむプリキュア娘の強い味方。
お題は桃園さん居住のクローバータウンから。
まぁ殊更に突っ込むほどのことでもないのですが、「今日はクイズです!」の声が猛烈に可愛かったので書いてみた。
語尾が「です!」ですよ。いつもなら「ダヨ!」なのに。ちょっぴりお姉さんモードの桃園さんにどぎまぎ。
【蛇足】
全く無関係に、なんとなく「おもちゃの国」のことを思い出してみた。
桃園さんの信念は「不幸になってもやり直せる」&「毎日の生活に幸せがある」なわけですが、この理論は「だけど人は必ず死ぬ」の前には崩れ去る。
世の中の「日常生活に喜びを見出して生きよう」系の思想が、絶望や鬱に対して滅法弱いのもこのせいだと思う。
そして玩具たちの嘆き「どんなに楽しく遊んでも、人はいつか玩具を捨てる」は、これと同義なのだと今更ながらに思ってみた。
そう思うと、ルーレット伯爵の言葉「回る回る人生のように」は、いつか必ずゴールに到着するすごろくを人生にかけていたのかも。
しかもゴールで待っているのは「死」である玩具たち。
あのすごろくシーン、何の意味があるんだろうというか、1回ずつしかサイコロふってないし何やら尺稼ぎの匂いがするとか思ってたのですが、ちゃんと意味があった。
極論を言えば、「いつかは捨てられるのなら何故買った」の叫びは、「いつかは死ぬのなら何故産んだ」につながる。
桃園さんは母親属性も持っていますけど、そこに投げつけられる「既に死んだ子」たちの非難。そして復讐。
結局、桃園さんは「必ず死ぬなら幸せなど無意味では?」を理屈で説得することはできず、「そうは言っても大事であることは事実だ」という力技でねじ伏せました。
これはこれで決して間違っていない(だから私たちは今、生きている)し、何よりミラクルライトの説得力は凄まじいものがあった。
観客参加型の双方向性コンテンツとして、恐ろしく機能してたと思う。
ただそれはそれとして、一つの回答として「次の世代に繋いでいければ、自分が死んでも存在したことに意味がある」というのもあると思う。
ラストシーンでクマさんが次の人たちに受け継がれていったのは、そういう意味合いだったのかなと。
当時は単に「またやり直せる」の意味でしか受け取れなかったけれど、桃園さんが「子育て」「世代の継承」もテーマに抱えていたことを思うと、ちょっと単純に見すぎていたかもしれない。
もうちょっと突き詰めると、桃園さん達自身も「いつか必ず終わる」番組の人たち。
それでもこうして次のコンテンツや「ハートキャッチ」さんに繋がって行ってるのだから、存在の意味がなくなったわけじゃない。
何せ同期に「ディケイド」さんもおられるし、本格的にオールスターズをし始めた人たちですし。
プリキュアさんの映画は、見返せば見返した分だけ、新しい発見があるのがとんでもない。
上記に限らず、多少深読みしすぎの部分はあるかもしれませんが、それだけ考えられるということ自体が凄い。
作っている人たちのことは尊敬します。本気で。