穴にハマったアリスたち

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国立科学博物館 特別展「大哺乳類展 海のなかまたち」

2010年08月13日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
上野の科学博物館にて、好評開催中の特別展に行ってきました。

大哺乳類展 海のなかまたち

 期間:2010年7月10日(土)~9月26日(金)
 場所:上野 国立科学博物館

春に行われた「陸の仲間たち」に続く第二弾。
今回のテーマは「海の仲間たち」。
海洋性ほ乳類がメインの展示です。


海に仲間などいない。


まず、こう大きな声で言う勇気を持とう。
確かに海にも哺乳類はいます。
ですが、あのような生き物に仲間面される謂れはないのです。誇り高くあれホモサピエンス。

私は幼い頃にシロナガスクジラの全身剥製を見てトラウマを植え付けられて以来、奴らを敵視することに決めてます。
ありえないんですよ。全長20メートルにも迫る肉食動物なんて。
しかもそんなのが海中を三次元に泳ぎまわってるなんて。
想像して欲しい。暢気にお船で航海してたら、足元ほんの100メートルくらいのところに10メートル級の肉食獣がいる状況を。
もしもこれが陸上で起きていたら生活どころではありません。まずお互いの誇りをかけて殲滅し合わないと。

そんな心持で行ってきました。



展示は主に大量のクジラ骨格と、アシカ・オットセイの剥製展示。
この企画の第1部にあたる「陸のなかまたち」と基本構成は同じです。
ただ「陸」であった大量のシカの剥製群にあたる展示はなかった。
無理もない。
同じことをクジラでやったら、大の大人でも怖くて泣く。



会場入り口では諸悪の根源たるパキケトゥスや、邪悪の象徴バシロサウルスの展示も。
バシロさんは多分、常設展からの出張組。
何度見てもぞっとします。こんなのが近海に生息している時代に、人類が存在しなくて本当に良かった。



クジラの骨格群。凶悪な牙を生やしてやがります。
歯がないクジラもいますけれど、そいつらは更に危険。
シロナガスクジラなんて、一口で70トンの水を飲み込むとか書いてあった。
そりゃピノキオも食われますよ。
奴ら、その気も何もないまま無造作に全てを食い尽くしやがる。悪意が無いのが逆に腹立たしい。



マッコウクジラの説明が印象深かったです。

[引用]

 ダイオウイカなどの大型のイカが生息する深海には酸素があまりなく、俊敏に行動する動物たちはいないという。一方で、マッコウクジラは海面で呼吸し、肺から赤血球(ヘモグロビン)を介して巨大な体内の筋肉中のミオグロビンに酸素を蓄え深海に潜行する。まわりの生物たちが低酸素でゆっくりしか動けないのでマッコウクジラは捕食者としては圧倒的に有利なはずである。

[引用終]

卑怯。

もうその一言しか浮かびません。
法に反しなければ何をやってもいいの精神ですよ。
いたいけなイカたちが低酸素でも頑張ってるのに、この暴虐。恐ろしい生物だ。

その他には、クジラに寄生するクジラジラミやオニフジツボが熱かったです。
むしろクジラ本体よりも熱心にDNA研究等々が力説されてる気配すらした。
「寄生虫のDNAを分析することで宿主の進化形態を調べる」というのは個人的には斬新だった。
確かに化石だけでは調査に限界がある。
特定の生物にしか寄生しない性質を加味すれば、どこでどう分岐したかとか分かるのか。 



あとトドがでかかった。
そしてトドとアナグマが近縁だと知って裏切られた気分になった。
アナグマめ…。裏切り者は、こんな近くに。

最後に、展示のラストに掲げられていたメッセージが心に残りました。

[引用]

 おわりに

 この展示を通じていろいろな海の哺乳類をみてきた。陸での生活に適応したもののなかからなぜかふるさとの海への回帰をめざした彼ら。いわば、もともと海の中の生活にあわせてできていた身体を、陸上仕様への大改造―といっても長い時間をかけた小改造の積み重ねの結果として―を達成し、ようやく陸上で問題なく生活できるようになったところで、またまた海中仕様に再改造、これまた小改造の積み重ねでようやく達成といった歴史が、体内のそこかしこに隠れている。
 海に還っていった彼らは、すでにできあがっていた海の生態系の中に割り込んでいかなければならなかった。初期にはいろいろな障害もあったかもしれないが、その新しいニッチに再び適応し、生存競争を勝ち抜いていった。しかし長い時間をかけてせっかく獲得してきた陸上生活への適応を捨て去ってまで海に還らなければならなかった理由は何だったのだろう。生存競争からの消極的な逃避だったのか、生存競争への積極的な挑戦だったのか。

[引用終]

一度は陸に適応しておきながら、海に再び戻るその性根が許せないという人は多数に上るかと思います。私もその一人。
でもこうして書かれると、クジラも苦労してるというか、何かの挑戦者のようにすら見えてきます。
「生存競争からの消極的な逃避」に違いないのに。いたいけなお魚さんを蹂躙してるだけなのに。
それでも同じ哺乳類として、何かを分かり合おうという気持ちが芽生えた気がする。
なんてことだ。特別展、恐るべし。


【蛇足】



シロクマの展示はずるいと思った。
「陸の仲間たち」にも参加なされてたじゃないか。
それなのに「海でも陸でも行けるよ?」とばかりに。
あるいは「海」を毛嫌いする人への緩衝材とばかりに。
シロクマを「海の哺乳類」と言い張るのなら、確かに海にも仲間が、いた。
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感想:映画「タイタンの戦い」

2010年05月31日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
とりあえずアルテミスのお姉さんのお澄ましぶりが可愛かったです。

■タイタンの戦い

公式ページ

ギリシア神話のペルセウス編を下敷きにした映画。
元々はアンドロメダ姫を救うために、英雄ペルセウスがでかい化け物を倒すお話ですが、細かい所はかなり変わってる。
特に「人類VS神」を前面に押し出してるのが熱かった。

別の映画(「アリス」ですが)を見た際の予告で気になったので見てきました。
何が気になったって、神の使う武器がことごとく生物兵器だったこと。
そういえば当時の人たちは金属製のゴーレムや雷による攻撃を知っていたにも関わらず、神罰といえば生物兵器。ちょっと面白い気がした。

内容ですが、ペルセウス以下、兵隊さんたちは神の圧政に耐えかねて一斉蜂起。神の作った化け物と死闘を繰り広げます。
当面の敵はハデス。そして奴の分身・巨大生物クラーケン。
戦況は絶望的です。
何せ時代は紀元前。満足な武器などなく、ほとんど肉弾戦と言ってもいいそんな状況。
ですが彼らは怯まない。狂ってるとしか思えないほどに怯まない。

『ゾンビウォーリア―が現れた!』

兵隊さん:
 「くたばれ化け物!!」(全軍迷わず突撃)

『ゾンビウォーリア―が逃げ出した!』

兵隊さん:
 「あれはなんだったんだ?」「追うぞ」

『追いかけたら、巨大サソリが襲ってきた』

兵隊さん:
 「うおりゃああああああ!!!!」(雄たけび上げて応戦)

『巨大サソリを倒したら、もっとでかい超巨大サソリが現れた!』

兵隊さん:
 「また3匹出やがった。さっきよりもでかいぞ」
 「……。」
 「うおりゃああああああ!!!!」(やっぱり雄たけび上げて応戦)

『仲間がやられた!化け物にやられた!!』

兵隊さん:
 「手前、こんちくしょう!!」(激怒して突撃)


逃げるとかそういうことを知らんのか。

近代兵器をもってしてすら戦いたくない化け物相手に、根性の肉弾戦。
さすが神と戦おうなんて連中は発想が違う。
大体からして、「クラーケンを倒さないといけない」→「奴は不死だ」→「よし、メドゥーサで石化させるぞ」→「あの蛇女を探せ」という戦略が間違いまくってます。

メドゥーサが協力なんてしてくれるわけがありません。「連れてくる必要はない。首だけあればいい」「そうだな」
メドゥーサ自体が難攻不落の化け物です。「知るか」
メドゥーサが住んでるのは三途の川の向こうです。「どうやって渡る?」「(コインを投げつつ)表だったら、泳ぐぞ」

段々、神が気の毒になる勢いです。色々頑張って生物兵器を作ったのに…。
虎の子のクラーケンも、ついうっかり水上に顔を出したばっかりに石化攻撃の餌食ですよ。
ずるい。そういうことする人類は、ずるい。

恐ろしいことに、ただの町人すら怪異に立ち向かってます。
撃墜された謎飛行生物を、一斉にフクロにする名もなき人々には感動すら覚える。
人は、戦わなくちゃ生きられないんだ。

何というか、見ていると無駄に元気の出る映画でした。思いのほか、良かった。


(左画像)
CLASH OF THE TITANS:タイタンの戦い

ゲームになってたのか。気持ちは凄く良く分かる。

(右画像)
ガニメデの優しい巨人 (創元SF文庫)


「タイタンの戦い」は、かつてオリンポス神が親世代に当たるティターン(タイタン)神に挑んだ時の戦い。
この映画はそのオリンポス神と、神の子供である人類の戦いの話。
そこにあえて「タイタンの戦い」の名をつけたのは、なかなか格好いいと思った。

ギリシア神話は「子供が親を倒す」という世代交代を強く支持している神話です。
ゼウスはティターンを倒したし、そのティターンも親世代と戦ってる。
(ギリシア民族は征服者だったため、「世代交代」は土着の文化に対する正統性のために設定されたとか)

一方、ゼウスもまた子世代に倒されることが確定的な未来として組み込まれています。
遠い未来において反乱を起こすであろう候補はアポロン(およびギリシア神話最大のイレギュラーの一人、アフロディテ)ですが、映画ではそれを「人類」と置いている。
確かに人類もゼウスの子なので、世代交代的にはしっくりくる。何より格好いい。

ついでに書くと、劇中で出た「神の方こそ人を必要としている」はまさにその通りで。
オリンポス神はギガスとの戦いの際に、「神だけでは勝てない」と判断し人間に救援を求めています。
日本神話に置き換えると、人間がイザナミを倒すようなもの。昔からそういう発想をしていたギリシア人は肝が座ってる。やっぱり彼らは、凄い。
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感想:映画「アリス イン ワンダーランド ALiCE IN WONDERLaND」

2010年04月20日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
『カラスと書き物机はなぜ似ているのか?』


『答えはどちらもNoteする』


     ~ルイス・キャロル~

■アリス イン ワンダーランド ALiCE IN WONDERLaND

卑しくもブログ名に「アリス」を冠している以上、見に行かないのはアレだと思い行ってきました。

まず最初に思うこと。
おそらく既に散々言われているのでしょうけれど、この映画は「アリス・イン・ナイトメア」と某かの関係があるんでしょうか?
「ナイトメア」は10年ほど前に発売されたPCゲームで、「鏡の国から10年後。アリス第三の冒険」を謳ったアクションもの。
ジャバウォックの造型や怪光線のグラフィック、目玉がキーになる点、帽子屋が重要人物、赤の女王=ハートの女王と置き、アリスが白の女王側で戦う…といった辺りが類似しています。
まぁ「アリスのその後の冒険」を描くと、概ねこういったアイデアになるのは自明とも思えるので、即座に盗作決定!と思い込むのも間抜けだとは思います。

ストーリーは若干ちぐはぐした印象を受けました。
元々の「アリス」自体、ストーリーは無きに等しいので突くところではないのかもしれませんが…。
身も蓋もないですが、「ナイトメア」の背景を知っていれば理解できるけど…という展開が多かった気がする。

残念だったのは「アリス」を原作に採用している意味が、あまり見られなかったこと。
映画のアリスさんの父親の名前が「チャールズ」だった場面は面白かった(ルイス・キャロルの本名はチャールズ。アリス・リデルの実際の父の名が何だったのかは忘れた)。
「父が他界して13年後=アリスは今20歳」の下りも良かった(アリスは7歳に決まってる。…でも公式ページを見たら6歳とか書いてあった。謎だ)。
ジャックが裏切るのも、ジャックなのだから当然。

でもそれ以外はあまり目立って原作要素はなく。
そこに拘りすぎて破綻するのもどうかとは思いますが、特にどうだっていい姉の名前をわざわざ変更するとか、意図が良く分からない。
(「不思議の国のアリス」は現実のアリスと違い二人姉妹だから、ロリーナにするのは逆におかしいとも言えるけれど)

「アリス・イン・ナイトメア」との比較になりますが、「ナイトメア」での「誰もいない涙の池」のシーンには震えるものがありました。
(「ナイトメア」のアリスは火事で家族全員を失っている設定。だから「涙の池」には誰もいない)
中盤の重要な敵キャラとして登場する帽子屋との対決シーンも熱かった。

帽子屋: 
 「こっちに来たまえ、お茶の時間だ」
アリス:
 「お茶は友だちとしか飲まないの」(じゃきん!)←武器を構えるアリス

その手の原作を踏まえた遊びがなかったのが、かなり残念でした。
ドードーに跨って騎士コスプレするアリスとか、多少期待してたのに。
(「ドードー」も「騎士」も原作におけるアリスの数少ない味方)

「不思議の国のアリス」は不条理・シュール・荒唐無稽といった表現がされがちですが、肝となるのは「論理的に狂っている」点だと私としては思う。
登場人物の奇妙な言動は、何らかの元ネタや論理に基づいています。
でも致命的な部分が意図的・悪意的におかしいので妙なことになってる。

例えば、アリスがメアリーアンであることの証明だとか。
原作でアリスがメアリーアンと呼ばれるシーンがありますが、アリス自身も特に聞き返すわけでもなく認めます。
何故なら、「アリス・リデルはエプロンドレスを着ている→エプロンドレスを着ているのはメイドだ→メイドならばメアリーアンである→よってアリスはメアリーアンである」、という「三段論法の悪用」が暗黙の常識として存在するから。

逆にいえば、単に不思議なだけの奇天烈な展開では「アリス」である意味が消えるはず。
私が気付けなかっただけの可能性も高いですが(出演者にちなんだ悪ふざけくらいはあってもおかしくないですし)、初見で分かるネタは特に組み込まれていなかったのが残念でした。

ただ白の女王様の軽く狂気入ってるところは、救いのないワンダーランドらしくて良かった。
どう考えても、見た目が良いと言うだけで赤の女王と内面は変わらないですね、あの方…。
やっぱり狂気の国は狂気の国のままなんだと思った。


(左画像)
Alice's Adventures in Wonderland and Through the Looking Glass

(右画像)
ALiCE IN WONDERLaND オリジナルサウンドトラック


余談ですがディズニーのアニメの方の「アリス」は、原作ネタを使う使わない以前に、ルール違反をやってしまってるのが疑問でした。
ドードーがアリスに危害を加えるとか、劇中でアリスが「今日は私のお誕生日ではない」と言うとか。
あれは何か元ネタなり裏事情があったんだろうか。

元ネタといえば、侯爵夫人の元ネタが長年の謎です。
適当に思いついたにしては特殊な役回りですし。
親戚か知人にそんな感じの人がいたとかなんでしょうか。

【追記】
 他の方の感想を見て気がつきました。「笑わないアリス」は原作を踏襲してた。
 原作では狂気の世界に迷い込んだアリスは、ほとんど(というか全く?)笑いません。
 (何せドードーや白の騎士以外はすべて悪意をもって接してくる)
 それを踏まえてか、この映画のアリスも終始顔をしかめてる。

 こういう分かりにくいところも踏襲しているのなら、探せば案外もっと色々仕込んであるのかもしれない。
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映画「ドラえもん のび太の人魚大海戦」

2010年03月06日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
弊ブログは「マーメイドメロディーぴちぴちピッチ」を病的に崇拝するブログです。
「ぴっち」は全てに優先する。
従って論理的帰着により、劇場版「ドラえもん」を見てきました。

■映画「ドラえもん のび太の人魚大海戦」

映画館で「ドラえもん」を見たのは一体何年振りか。
それ以前にテレビの方も10年以上見ていない気がします。
先日の「魔界大冒険」のリメイクの際には興味を惹かれましたが、結局行かずじまい。
それなのに今回は公開日に出かけてみました。
人魚さんの訴求力の高さが良く分かる。

何せ「ドラえもん」に関しては薄いことしか分からないので、正しい突っ込み方も分からないのですが。
「物凄い戦力を持っているにも関わらず、お茶の間感覚で対応する人々」にほのぼのしました。
あまりに異次元の出来事に慣れ過ぎて、微妙に会話が噛み合ってない様子が面白かったです。

例えばドラえもんを保有するのび太くんに、海外旅行自慢するスネ夫さん。
それに対し「どこでもドア」ではなく、謎の街中水没アイテムで対抗するドラちゃんとか。
「どこでもドア」じゃ凄すぎて、逆に普通に受け入れられてしまう…。感覚が麻痺しきってる。

ゲストヒロインの人魚のソフィアさんは可愛かったです。
人魚と見せかけて、人魚もどきだったところには激怒ですが、とにかく可愛かったです。
どこかの光のクイーンと違い、ちゃんと武器持って戦う偉い子。

今回は海底探検ということで、お約束の「テキオー灯」が使われました。
どんな過酷な環境であろうと、完全に適応する素晴らしいアイテムです。
そして、その超アイテムを横目に。
何の防御策もこらさずに、地上・水中・空中に適応しているソフィアさんが化け物。
いやあの人魚スーツとかに何か仕込んでるのかもしれないですけど。

キーとなったアイテムは「架空水」。
特定の者にだけに認識できる「架空」のお水を使うことで、街中を水浸しに。
この架空水をお魚さんにも認識させれば、陸地にお魚さん達を呼び込めます。これは画期的。
極めて合法的に、人魚さんと地上で戯れることができる。未来科学には夢がある!
この発想は今までなかった。

そしてその夢のアイテムは、最終決戦で悪魔の兵器と化しました。
ボスキャラさんは伝説の「人魚の剣」をゲット。その力は凄まじく、海中に大渦を巻き起こし大暴れ。
対するドラちゃんの取った戦略は、「架空水を使って陸地におびき出す」。

…残虐無比ですよ。
伝説の武器と言ったところで、お魚さんの武器です。陸に上がっては何もできない。
架空水のせいで水中と陸地の区別ができず、おろおろしてるラスボスさんが哀れでした。
のび太さんの放った「所詮、魚。水が無ければ何もできまい」(意訳)は、全人魚さんを敵に回した。
大体、その架空水を認識させるアイテムの名が「架空海水まきぞえガス」ですよ。「まきぞえ」。この道具の本質を良く表している。

同様に、「水よけロープ」の冷酷ぶりも酷かったです。
指定範囲の水を遮断する。効果はそれだけなのに、お魚さんを絶望に誘います。
5,000年前から伝わる伝説の武器が、ただのロープによって無効化された瞬間、あのタヌキを思わず罵りたくなりました。

場面場面での謎の噛み合わなさは、多分それが味なのだろうと思ってみた。
ソフィアさんと初めて会った時のドラちゃんとのび太さん、言葉が通じないのでお約束のホンヤクコンニャクを使います。
取り出したるコンニャクは二つ。
でもその後に合流したジャイアンさんたちは、普通にソフィアさんと会話が出来ている。
ということは、おそらくドラちゃんはソフィアさんにホンヤクコンニャクを食べさせたんでしょう。二つ出したのに。ドラちゃん…。

(追記:後から気付いた。「これを食べろ」というメッセージを伝えるために、一つをソフィアさんに、もう一つを自分で食べる必要があったんだ。ドラちゃん賢い。笑って、ごめん)

(更に追記:それ以前に、ホンヤクコンニャクって2個1セットで使うアイテムだったような気も。薄いドラ知識だとこういう時困る)

まとまらない感想ですが、全体に漂う「わざと最善手を打たない」としか思えないドラちゃん達の行動に、歴戦の戦士の余裕と長閑さを感じました。
それとは逆に、5,000年の伝説が未来兵器に圧倒される様に、人類の科学力の素晴らしさを噛みしめました。
攻め込んできた宇宙人さんも可哀そうに。地球には、未来との太いパイプラインがある。


(左画像)
映画30周年記念企画 ドラえもん映画主題歌大全集

(右画像)
ドラえもん★映画30周年記念!歴代作品木札ストラップ(1984年/のび太の魔界大冒険)


映画開始の前に、これまでの主題歌CDのCMをやってました。
「ポケットの中に」が好き。
あと「風のマジカル」がわざわざ特記事項で宣伝されていたのが感慨深かったです。

次回は「鉄人兵団」リメイクなんでしょうか。
上述した通り、そんなに熱心な「ドラえもん」ファンではないのに、ラストの鏡面おざしき釣りぼりを見た瞬間に記憶が蘇りました。
凄いな「ドラえもん」。
久しぶりに「ドラえもん」を見たけれど、旧作を一気に見返してみたい気分に。
それもこれも人魚さんのおかげだ。
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感想:映画「オーシャンズ」

2010年02月23日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
「波打際のむろみさん」発売記念で見てきました。

■映画:オーシャンズ

海の生き物の恐怖を収めたドキュメントホラー映画です。
ひたすらに海に潜り続け、奇々怪々な映像が垂れ流されます。
これが実在すると言うのだから、下手なオカルトよりよほど怖い。

海中の何が怖いって、個人的に主に4つに分類できます。

1. 無駄にでかい
2. 無駄に群れる
3. 無駄に多種多様
4. そのくせ大事な知性がない

自分と同格の生命体と埋もれ合うようにしながら生活しているのに、その隣人とは全く意思疎通が不可能。
基本的に食うか食われるかというのが恐ろしいです。
「ピーターラビット」とは逆の恐怖。(「ピーター」は、「意思疎通が可能な隣人と食うか食われるかの生活」という恐怖)

お互い、確実に生き物のはずなのに、大事な部分で決定的に分かり合えない様子には寒気がします。
映画の中で、シャコVSカニのシーンがあるのですが、それなりに近しい血縁のはずなのに全く姿かたちが違い、どう見ても分かり合うのは無理そうです。
シャコ、怖い。ライオンVSワニとかなら、まだ希望が見えますが、あの甲殻類どもは無理だ。

重力がないせいで3次元に折り重なって群れるわ、重力が無いせいで進化の選択肢が増えて気持ち悪い生物が生き延びるわ。
海の中は救いようが無いほど出鱈目です。
ダイバーの皆さまには頭が下がる。

さて、その多種多様な生物たちに関して。
生存のために数多の進化を遂げた生物ですが、無節操にやってるようでも暗黙のルールはあります。
「幾ら生存のためとはいえ、それはやっちゃダメだろう」みたいな紳士協定。

例えば「巨大な肉食獣は毒を持ってはいけない」とか。(貴方のことですよ、コモドオオトカゲさん)
「機動力のある鳥類は毒を装備してはいけない」とか。(ピトフーイさん、恥を知りなさい)
それと同じく、厳然たるルールがある。

「肺呼吸生物が、海に潜ってはいけない」

これを破った忌まわしき生物・イルカどもがこの映画でもメインで取り上げられていました。
普通は「海に戻ろうかな?あ、でも地上で恒温の体と頑丈な骨格だけ獲得しておいて、それは卑怯だよな」と思いとどまるのに。
奴らは「反則があれば即、使え」の精神の持ち主。
実に狡猾でおぞましい。
確かに甲殻類と比べると分かり合えそうな顔をしています。同じ哺乳類ですから。しかし奴らは、分かり合ったその上で裏切る。絶対。

冒頭に出てくるイルカVSイワシは壮絶です。
弱い魚と書いて鰯。されどイワシを始めとした小魚は、団結によって大型肉食魚も倒すことが知られています。具体例・スイミー。
だけれど。悲しいまでにイルカには通用しない。
物凄い勢いで群れで包囲され、片っ端から食われていく。
あの小ずるい生き物からすれば、集団で固まっていても「食べやすい」としか認識されません。スイミーの戦術は、現代戦ではあまりに無力だった。

イルカの大群に退路を断たれ、哀しく嬲られていくイワシを襲う悲劇はそれだけではなく。
海からだけでなく、空からも絶望が降ってくる。そう、空の悪魔・カモメです。
何百羽と降り注ぐカモメの大群の映像には、ただただ唖然とするばかり。

(ちなみに公式ページ(リンク先:音注意)の予告動画の中盤辺りに、そのシーンの断片があります。イワシさん…)

絵的には、戦車に包囲された無辜の民衆が、航空爆撃で虐殺されている様子そのものです。
思わず一緒に見てた連れと、声にならない歓声をあげてしまいました。ひぃっ!イワシさんが!イワシさんが!?
いっそ団結を捨ててバラバラに逃げれば勝算もあるのに(追うカロリーが割に合わないはずなので、全ての魚が群れることを止めれば海洋性ほ乳類は淘汰できるはず)。
哀しいかな、魚脳は寂しがり屋なのでつい群れてしまう。嗚呼、お魚さんに「逃げてから待ち合わせて合流する」という知恵さえあれば…!
おまけに最後はクジラまで襲ってきてました。海は地獄だ。10メートル級の肉食獣が群れで高速移動し、何百という猛禽が頭上を舞う。

ラストの方で、人間による漁の様子が批判的に描写されていましたが、イルカによるおさかな地獄を見た後なので「まぁお互い様かな」という気しかしません。
何かこの映画を見る限り、海で生き延びる手段は、ひたすらに「敵と出会わない」のみな気がする。
見つかった時点でどうしようもない。海の広大さを信じて、遭遇しないことを祈ろう。

特にストーリーも何もない映画ですけど、海の恐怖だけは理解しました。こんなところで生活している人魚さん、凄い。
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映画 「カイジ 人生逆転ゲーム」 感想

2009年10月16日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
期待していた以上に面白かった。
映画化には向かない話と思っていたけれど、実は映画向けなのではという気すらしてきた。
下手に原作に拘らず、削るべきところを削り、アレンジを加えたのは英断だと思う。

■映画「カイジ 人生逆転ゲーム」

毎日毎日を自堕落に過ごしてきたカイジくんは、ある日、突然に多額の借金を抱える羽目に。
当然、払えません。毎日を自堕落に生きてきたので。
どうしようもなくなった彼は、金貸し屋さんに言われるがまま、借金返済のためにギャンブル船・エスポワール号に乗ることに。
そして始まる奇天烈ギャンブル。賭けるのは己の人生。
果たしてカイジくんは無事に生還できるのか。

というお話。1996年からヤングマガジンにて連載中。
漫画好きならほぼ確実に読んでいるほど有名だけど、微妙にマイナー臭も抜け切られないそんな漫画です。
映画化は正直なところ不安の方が強かったけれど、かなり素晴らしい出来栄えでした。手放しで絶賛したいくらい。

このお話の特徴は色々ありますが、その一つに「敵側」の人の方が正論を吐く、というのがあります。

「金は人の命より重い」
「何も積み重ねてこなかった人間が、何かを得られると思うな」
「質問すれば答えが返ってくるのが当たり前だと、まだ思っているのか」
「今までの人生で何度『少し待って欲しい』と言ってきた。いつまで待てばいいのだ」
「明日やろうと思っているからクズなんだ。今日頑張った奴だけが生きられるんだ」

完膚なきまでに正論。
そしてカイジくんを始め、主人公サイドは本当にどうしようもない屑。
美味しい餌にはあっさりと飛び付き、全く努力をせず、しかもそのことを反省しない。
エスポワール船での利根川さんの演説に簡単に感動し、船井さんの扇動に乗せられ、地下帝国では目先の快楽にずっぽり埋もれ、鉄骨の前でも安い根性論を賛美する。
そのくせ言うことは「努力する気はないが、俺たちを無条件に助けてくれ。俺は負け組なんかじゃない」。もはや救いようがない。

一度二度の「負け」なら「運が悪かっただけ」「個人の事情」とも言えますが、彼らはとことん人生で負け続けてます。
チャンスもあったのに、ひたすらに怠けて負け続けた。
挙句、復活手段として選択するのが一か八かのギャンブルですよ。どうしようもない屑っぷり。

でもだからこそ、「そうは言ってもこんちくしょう!」と叫びたい、そんな感情も分からなくはない。
これは「敵側」の人たちが間違ってるわけでも、カイジくんらが「本当はいい人」なわけでもない。
正しいものは正しいし、屑はやっぱり屑なのだけど、でもそれでも言いたい一言はある。そんな感じ。

カイジ役の方はとてもハマっておられました。
部分部分では格好いいのだけど、でもやっぱダメな子なカイジくんを上手く再現しておられた。
あの配役を考えた方は、偉い。そして演じた方も、凄い。

2時間の映画に収めるべく、展開は高速で進みます。
ギャンブルの内容もかなり切り詰められてるのだけど、非常に上手くアレンジしていたと思う。「はしょられた」というより満腹感の方が強かったくらい。
素人発想だと「2時間みっちりエスポワール」とか考えちゃいそうですけど、そんな安易なことをしなかったのはおそらく正解。

特に「鉄骨渡り」が良かった。
「高層ビルの間に渡された、鉄骨の上を渡るだけ」という果てしなく地味なゲームなのに、絵的に物凄く映える。
ここを山場に持ってきたのは流石。

あの鉄骨を渡っている最中の、「まだそこにいるかカイジ!」「ああ、いるぞ!」のやり取りは原作の全編通じても一番好き。
「限定じゃんけん」や「Eカード」もそうですが、「鉄骨渡り」は人生の縮図だと思う。
人はどんな綺麗事を言ったところで、人を救うことなんてできない。鉄骨から次々落ちていく仲間を救うことすらできない。
気合任せの勇気は即座に吹っ飛ぶし、なけなしの知恵で仕込んだ「靴の目印」は不運の雨であっさりかき消される。
すぐそこを歩いている戦友とは声をかけあえるだけ。決して、道は一つにならない。
それでも「仲間がそこにいる」という、ただそれだけのことで前に進める。励まされる。そして前に進んで行くしかない。まさに人生。

30歳間際になるまでの30年間、全く何も積み重ねてこなかったカイジくんが、それまでの30年分の全ての「努力」の清算をするべく挑むギャンブルとしてとても印象的だと思う。
まぁ普通の人は、そんな無茶なギャンブルなんかに追い込まれないように、毎日少しずつ努力してるわけなので、別段カイジくんらは「偉い」わけでも「可哀そう」なわけでもないのですけれど。
そこはちゃんと押さえて、話としても安易に一発逆転を謳ってるわけでもないのが良いです。
劇中でカイジくんも言っている通り、「勝って今度こそスタートラインに立とう」なところが切ない。
今までの怠けた人生の負債をチャラにしたい。「やり直したい」であって、「勝ちたい」わけでも実際「勝つ」わけでもない。

そういう意味では、ラストも全く救われていない、ある意味バッドエンドな映画です。
そこも含めて、非常に「カイジ」らしい映画でした。
原作が好きな人なら、十二分に楽しめると思う。


(左画像)
映画「カイジ 人生逆転ゲーム」 オリジナル・サウンドトラック

(右画像)
カイジ―賭博黙示録 (1) (ヤンマガKC (608))


BGMが格好良かったです。
演出の魔力で誤魔化されてるのは分かるんですが、やたらに格好良かった。
とりあえずサントラを衝動注文してみた。

原作者の出演の他、ちまちまと遊びが盛り込まれていたのも楽しかった。
鉄骨が2本1組になっていたりとか。
「1本1組だと電流が流れない」という原作の『間違い』をこっそり訂正してたのが可愛い。
その手の『ファンサービス』が随所で見られました。
多分、金利計算の間違いとかも訂正されてたんじゃないかな。
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和歌山県太地町:くじらの博物館

2009年09月29日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
1週間ばかり更新を休んでいたので、その間にやっていたことを書いてみる。(コメント返信が相変わらず遅れていて申し訳ないです)

何度も明言していますが、私はクジラやイルカに代表される海洋性哺乳類が嫌いです。
嫌いと言うか、正確には怖いです。おぞましいです。忌まわしいです。
最近では「マガジン」連載の「波打際のむろみさん」によって、奴らの醜悪さが世に認知されつつありますが、それ以前に幼少時に色々トラウマを負ったせいでとにかく奴らは怖いのです。

そこで連休を利用して、和歌山県のくじらの博物館に行ってみました。

場所は和歌山の太地町。
古くから捕鯨が盛んで、クジラと死闘を繰り広げてきた勇敢な町です。
前々から興味津々だったので、今回のそのそと見学に行ってきました。



平然とシロナガスクジラの全身骨格とか放置してある。恐ろしい話だ。



博物館ではクジラの生態や体について物凄い量の資料が展示されています。
実物大模型、骨、内臓や各部位の標本等々。
更には捕鯨の町らしく、「いかにクジラを倒すか」も克明に解説。勉強になりました。



博物館を抜けると、そこには海。
私は海も怖いのですが、その理由として「何が潜んでいるか分からない」というのがあります。
画像の海も一見すると平和そうですが…



その海の一部分をフォーカスした画像です。
お分かりでしょうか。
画像の中央左に見える、不穏当な影が。



シャチです。
和歌山の海にはシャチが泳いでいる!

想像してみてください。
みんなで和気藹藹と海水浴に出かけましたと。
久方ぶりに見る海に興奮し、「わーい海だー♪」と無防備に飛び込むケースも多いでしょう。
そんなことしたが最後、水の中でシャチとこんにちは。楽しい楽しいお食事タイムの始まりです。
これだから、海は怖いんだ。

このように「くじらの博物館」は入り江を利用した天然の水槽により、シャチやクジラを飼育しています。
やることが豪快です。
平穏そうに見えるこの入り江、実はシャチが1頭&クジラが5頭以上およびイルカが潜んでいる。

ちなみにこのシャチの「水槽」、手すりも何もなく横を通ることができます。



ちょっと出っ張ってるところ、普通の通行路です。
画像には写っていませんが、お客さんも大勢いました。
その足元の海にはシャチが…。

承知の通り、シャチは流氷の上にいるペンギンを襲って食います。
シャチのショーもあったのですが、奴らの跳躍力をもってすれば、余裕で届くことをまざまざと見せつけられました。
暢気に「シャチがジャンプしてるーすごーい」と拍手してる場合ではありません。「やべえ。ここ、届く」と気がつかないと…。

シャチのプールの奥ではクジラが生息しています。
ここでは手漕ぎボートに乗ってプールに乗り込むサービスが開催中。
他の方がやられている画像ですが、こんな感じ。



見辛いでしょうけれど、黄色い小さなものがボート、その横の影がクジラ。恐怖です。
何故か「クジラは優しい生き物」と認識している方もおられますが、奴らは獰猛な肉食獣。
「史上最大の肉食獣」の栄冠を持つのは、ティラノサウルスでもサーベルタイガーでもない。現存するクジラです。
(ちなみに地球の歴史上、最も巨大な背びれを持つ生物はシャチだそうです。ステゴサウルスやディメトロドンを凌駕している。ファンタジーものでは古代生物が強者のように描かれますが、現実には現生生物の方が圧倒してるもんだと思った)

こういう醜悪なイベントは実に不愉快です。
そこで唾棄しながら、いそいそと私も参加することに。
参加料は1000円。公式ページには実施時間が書かれていますが、それとはまったく関係なくフル稼働されていました。

まぁ能書きはいいです。
奴らがいかに危険生物かは、実際にボートの上から撮影した画像を見ていただければ分かります。




食われる!!

意味わかんないですよ、このボートイベント。
人間は犬に噛まれただけでもやばいんです。それが体長5メートルとか、体重1トンとかが相手ですよ。
ボートが転覆したらと思うと泣きそうですし、こんな手漕ぎボート、ちょっと体当たりされれば即ひっくり返ります。
安全のために救命胴着を付けているのですが、それ以前にこの肉食獣を何とかしないと…。

恐怖の時間をどうにか過ごし(時間は1回10分)、岸に上がった時の安心感は素晴らしいものでした。
嗚呼、二本足で立てるって素晴らしい。クジラがいない陸上は素晴らしい。
横で見ていた家族連れの会話がとても印象的でした。

お父さん:
 「あのボート、乗る?」
お子様:
 「怖いからやだ」(半泣き)

クジラが危険であることを伝える、良い情操教育になったと思います。

なお「怯えすぎではないか」「また大げさに曲解して」と思われるかもしれませんが。
後に飼育員の方から解説がありました。
あの、このクジラは一体何を食べてるんですか?

飼育員さん:
 「普段は魚を食べていますが、時には小型のイルカも捕食します」

イルカは人間よりでかい=人くらい食う。
そんな危険生物のいるプールに手漕ぎボートですか。
さすがクジラと激闘を繰り広げた町の人々の発想は違う。



また、このクジラどもによるショーも行われていました。
シャチやイルカのショーは珍しくないですが、クジラは初耳。
一般的なクジラのイメージといえば、ショーどころか「我々はそこに在るというだけで価値があるのだよ。お分かりかね小さき者よ」とか嘯きながら無駄飯を食らってるだけですが、ここの連中は阿漕に稼ぎに出ているようです。



園の奥には屋内水族館もあります。
世にも珍しい「後ろ足のあるイルカ」が飼育されています。(元々これがお目当てで企画しました)
これは「先祖がえり」と捉えるべきか、「一度陸を捨てておいて、また足を生やして陸に戻ろうってのか!」と捉えるべきか。

写真の一つも撮りたいところではあったのですが撮影不可。
機密事項のようです。どんな悪事を企てているのやら…。
実物の「足の生えたイルカ」はなかなか印象的でした。

中はトンネル状になっていて、イルカのいる水槽を潜り抜ける構造になっています。
「足の生えたイルカ」以外にも数匹飼われており、トンネルを通ろうとすると総出でこちらの動きを追尾してきました。
右に行けば右に、左に行けば左に、前に進むと見せかけて後ろに戻っても、しっかりとついてきます。
人によっては「可愛い」と感じるのかもしれません。しかし私は騙されません。
なんというか、「こちらを認識している」感がなかなか恐怖です。奴ら、完全にハンターの目をしてやがった。
(参考までに。イルカの知能は犬程度だそうです。「なんだその程度か」と考えるか、「あの身体サイズで犬並の知能を持つ野生の肉食生物!」と恐怖するかは任せます)

と、このように非常に有意義な時間を過ごすことができました。
片道2日かけて行った甲斐があった…。(どんだけ遠回りを)
戦いに勝つにはまず敵を知ることです。忌まわしきクジラについて、ぐっと知識を得た気分。

最後に、館内に張ってあった「見学に来た小学生の自由研究『くじらの町の町長さんに聞きました』」の展示を紹介します。

小学生:
 「捕鯨が制限されていますが、もしも南極海で許可が出たら捕りに行きますか?」
町長さん:
 「太地町は山がせり出し、海は切り立つ、非常に厳しい土地柄です」
 「この町にはクジラ以外の産業がありません」
 「捕って良いのであれば、南極でも北極でも行きます」

それ以外の質問にはフレンドリーに答えているのに、この質問からは悲壮なまでの気迫を感じました。
捕鯨云々はデリケートな問題なのでここで特には触れませんが、飯を食ってる人たちは覚悟が違う。

そういう部分も含めて、とても刺激的な観光でした。
並の水族館ではできない「くじらの町」ならではの水族館・博物館だと思いました。
海や動物に興味のある方なら、一度は行ってみる価値があります。

(※記事中で散々「怖い」だの「危険」だの書いていますが、私のクジラ恐怖症から来る過敏反応であって、実際はプロの方によりきちんと管理されています。博物館および関わる人々を貶める意図は一切ありません)


【お礼】

今回の旅行、宿の手配を全くしておらず「行けばなんとかなるだろう」と軽い気持ちで行ってみたのですが…。
町に着いた当日は18時半過ぎ。博物館は閉館し、海沿いということもあって周囲は既に真っ暗。
手探りで宿を探したものの、行く先々で満室。連休を舐めてました。

民宿を見つけては空き室を尋ね、悲しく項垂れることを繰り返したのですが、

宿のおばちゃん:
 「この辺の宿はどこも満室だよ」

全滅。
やむなく野宿も覚悟したのですが(私は割と経験ある)、宿のおばちゃんは親切にも、使ってない部屋を無理くり空けてくれました。
おかげで風雨に晒されることもなく、その上食事まで差し入れていただきました。感謝。

せめてもの恩返しにアドレスを書いてみる。
民宿大磯』さん。
次に行く時は正規の客として宿泊したいです。
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映画 「ナイトミュージアム2」感想

2009年08月13日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
早速、見てきました。
なお「1」は見てないので、的外れなこと書いてても見逃してください。

■ナイトミュージアム2 NIGHT AT THE MUSEUM2

謎石板の謎効果により、博物館の展示物が夜になると動き出す。
そんな怪現象に巻き込まれた主人公さんが、蘇った歴史上の悪役と殴り合ったり、歴史上の有名人とハイタッチしたりするお話。
とても面白かったです。

舞台となるのはスミソニアン博物館。枕詞に「恐怖の」がつく、あのスミソニアンです。
迂闊に入場すると生死の危機に晒される博物館としてはメトロポリタンが非常に有名(あそこの博物館の天使は追いはぎするし、大好きな絵には閉じ込められるし)。
ですが、スミソニアンも負けてません。油断すると、心にざっくりトラウマを植えつけられる。

幼少時に何度も連れて行ってもらったおかげで、スミソニアンには強い愛着があります。
劇中でワシントン記念塔とその前の池が映ったとき、ちょっと涙が出た。
あの周辺でよく蟹を売ってた。バケツで無造作に。

国立航空宇宙博物館とか、めちゃくちゃに懐かしいです。
あの博物館の前の芝生付近では3色アイスを売ってて、よく買ってもらってました。
そして毎回毎回、食べきる前に溶けてベタベタになってた。今の今まで忘れてたけど、映画見て唐突に思い出した。懐かしい…。

食べ物と言えば、ライト兄弟がさりげなく食ってた宇宙食のお菓子(だと思う)も懐かしい。
一般にマズイと言われてる気もする宇宙食ですが、私は好きでこれもよく食べてた。
ちなみに実際の館内は飲食禁止。ぼんやりとお菓子を食べて、警備員さんに怒られた記憶がある。

宇宙博物館と自然史博物館の間にはトリケラトプスの滑り台があったんですけど、今でもあるんだろうか。
あれ大好きだった。
映画に映ってないか凝視してみたけれど確認できず。撤去されてたらとても悲しい。

当時の私、まだ6歳とかなんですけど、それでもボロボロ思い出が湧き上がってきます。
スミソニアンが私に与えた影響がいかに強いか、自分でも驚き。
本気でもう一度遊びに行く計画を立てたくなってきた。

映画の方も楽しんで作ってる感がバリバリに伝わってきました。
これはある意味、歴史オールスター映画。スミソニアンを良く知ってる人たちなら、特に大喜びできそう。何かもう素直に格好いいです。
宇宙博物館で登場する、空を飛ぶことしか頭にない人たちとか、妙に「ああ、そうだよね。あの人たち、空飛ぶことしか考えてないよね」と納得してしまった。

ヒロインがアメリア・イヤハートさんというのは、多少引っかかる気持ちがなくもない。
ごく最近の実在した方なので、色恋沙汰まで絡めて登場させるのはどうだろう的な意味で。
でも「アメリアとフライトする」とかやたらに熱いものがあります。それはもう、憧れの夢の一つだなぁ…。

展示物が命を得ててんやわんやしている最中、主人公以外の警備員さんたちは出てきません。
何かの謎パワーで排除されてるとかの設定があるのかもしれませんが、私としては「他の警備員さんもあちこちで騒いでいた」展開を希望。
カメラに映ってないだけで、他の場所で他の展示品と意気投合したり、殴り合ったりしてたんだ。
博物館関係の仕事をしてる人にとっては、最高の一夜だったに違いない。通報なんて野暮なことせず、みんな満喫してたんじゃなかろうか。
やばい、スミソニアンに就職したくなってくる。

惜しむらくは、私の記憶に暗い影を落とす「シロナガスクジラの剥製」が出てこなかったこと。
タコだかイカだか、そんなのはいいからクジラの恐怖を見たかった。
まぁあの展示物の近くには「ゴキブリの大群」とかの展示もあったので、舞台にならなかったのは幸いかもしれない。


(左画像)
ナイトミュージアム2 (ベン・スティラー 主演) [DVD]

(右画像)
オリジナル・サウンドトラック「ナイト ミュージアム2」


小説のタイトル「バトル・オブ・スミソニアン」なのか。
何その格好いいタイトル。「スミソニアンの戦い」。胸がときめきます。
思わず、買った。
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金曜ロードショー:ヱヴァンゲリヲン新劇場版「序」

2009年07月03日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
相変わらずローソンやUCCさんが格好いい。
ビールにつまみに氷も格好いい。
たまたま偶然、箱根のキャンペーンやってた小田急さんも格好いい。
やっぱ働く人たちは格好いいな!

■金曜ロードショー:ヱヴァンゲリヲン新劇場版「序」


 ※以下のエントリは「破」のネタバレを含みます。


そういえば「序」の感想を書いてなかった。
一応リアルタイムで映画館で観ました。
ブルーウォーター!ブルーウォーター!

で、映画館で見た時にも思いましたが、やっぱりシンジくんたちよりも周囲の人たちに感情移入してしまいます。

(シンジくんの初陣にて)

赤木さん:
 「今は歩くことだけを考えて…」
シンジくん:
 「…歩く」

ずしむ。ずしむ。

職員の皆様:
 「おぉおぉおぉ…」
赤木さん:
 「歩いた…!」

これから「戦おう」ってのに歩いただけで大はしゃぎ。
嗚呼、ありますねぇ。そういうこと。
社会人はいつも薄氷の上を歩いてる。そして踏み抜いても泣かない。

赤木さん:
 「エヴァの防御は!?」
職員さん:
 「シグナル作動しません」
 「フィールド無展開!」
赤木さん:
 「…ダメか」

でもやっぱダメか。
嗚呼、ありますねぇ。そういうこと。
社会人はいつも薄氷を踏み抜いてる。そして冷水に落ちても泣かない。

赤木さん:
 「回路遮断!!」
マヤ姉さん:
 「ダメです。信号拒絶。作動しません」
ミサトさん:
 「パイロットの保護を最優先。プラグ射出!」
マヤ姉さん:
 「ダメです。完全に制御不能です」

ダメだこの職場。
嗚呼、ありますねぇ。そういうこと。
社会人はいつも冷水に落ちてる。そして溺れても泣かない。何故なら毎回溺れてるから、もう慣れた。

赤木さん:
 「…暴走?」
職員さん:
 「左腕復元」

慣れてるから、謎現象に対してもさも当たり前のように報告する職員さんが偉い。
そして自爆するサキエル兄さんに、全員で呆然。
良い職場だ。よく分からんが、勝った。それでいいじゃないか。

ヤシマ作戦も訳の分からん作戦のために突貫工事してる人たちが熱い。
「破」のビーストモードのシーンも、謎少女よりもアレを作った(?)人達に声援を送りたい気分でした。
作った彼らがあの場にいたら、きっと物凄い歓声をあげてたに違いない。
誰が乗ってるのか知らんけど、頑張れ俺らの弐号機!あんな化け物なんかやっちまえ!
そして何十層ものATフィールドの前に力尽きる姿を見て、がっくりするんだ。あーあ。やっぱダメか。俺たちの弐号機が…。

世界の危機のような状況でも、そんな風に「やることやったんだから、後は任せた」と言えるような仕事がしたいもんです。
仕事に全てを捧げるとかそんなんじゃない。極めて適当にやって、適当にノリで遊ぶ感じ。
最終決戦を肴にしながら酒でも飲めたら最高。皆で一斉に大歓声。だけどやっぱりがっくりするんだ。あーあ。やっぱダメか。
でもその後に立ち上がった自分たちの成果を見て、再びガッツポーズをするんだ。
そして「よく分からんが、勝った」と呆然とできたら、格好いいと思うんだ。


(左画像)
emotion style 式波 アスカ ラングレー

(右画像)
UCC ミルク&コーヒー缶250g(30缶入)ヱヴァ缶☆2009 30本入


金曜ロードショー、きっちり次回予告で締めるところが良いですね。
さあ映画館に行こう!おまけに番組独自のプレゼントまで用意!
相互効果で戦う社会人、格好いい。

ところで劇中ではローソンが出てるのに、金曜ロードショーの枠にお金出してるスポンサーさんはセブンイレブン。
これじゃセブンイレブンさんが金を払って、ローソンさんのCMしてるようなものです。
映画そのものに投資してるとこういうときに優位に立てるなぁ。
テレビ番組なんてスポンサーさんの商品売上のために存在するのだから、もっと番組そのものとのシンクロ率を上げるべきなんだ。
CMと無関係のテレビ番組作りなんて止めて、CM廃止・代わりに番組内でいかに上手く宣伝するか、とかの方向に移れば面白いのに。

【蛇足】

この「エヴァ」そのものが「よく分からんが、勝った」のノリで作られてるなぁ。
一発で完成品を作るというより、とりあえず思いつくままにやって行き当たりばったりになんとかしよう、みたいな。
「破」のパンフレットにあった「後先や構造なんて実は大して考えてない」というのはさもありなんと思った。
その場の思いつきで台詞をしゃべらせて、絵面を優先して適当にやってるから微妙に矛盾したり愉快なことに。
だから途中で破綻したりもするんだ。でもそれでもなんとかなるもんなんだ。
カヲルくんの「今度こそ」の台詞はメタ的に凄く素敵でした。うん、今度こそは。
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ヱヴァンゲリヲン新劇場版「破」

2009年07月02日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
同年代の方なら、おそらく大多数の人に影響を与えたであろう、例の番組の劇場版。

仕事を正当な手段で放棄した後に、平日昼から見てきました。
前回の「序」のときにも思ったけれど、学生だった当時とは視点が随分変わりました。
登場人物の言動も、製作スタッフさんの仕事ぶりも、全部自分に投影して見てしまう。
私も、懸命にエヴァ機体を支援してる彼らのように頑張ろう。私も、大人の遊び心満載で仕事に取り組んでるスタッフさんのように頑張ろう。
最近休暇が凄く充実して、良い感じで日常が回ってる気がする。

■ヱヴァンゲリヲン新劇場版「破」

初めに自分の所属を明白にしておきます。
長く弊ブログを見てくださってる方には見透かされてそうですが、私はアスカ派です。
アスカの姐さん、最高。

正直なところ、今回の新キャラさんには心動きました。
動くどころか心をサンドバックにされました。
途中でアスカの姐さんが不用意にデレてしまわれたときには、「今が乗り換えどきなのでは」と悩みました。

でもどうにか耐えました。
旧友の牧島さんとか裏切ってんじゃねーのかと思いながらも、でも耐えました。アスカの姐さん、最高。
あと感想記事を確認したら、旧友も裏切ってなかった。やっぱ姐さん、最高

彼女のハイスペックなのに器の小さいところや、見事なかませ犬っぷりが堪りません。
シンジくんも酷いですよ。あんな素敵な妙齢の女性が近くにいるのに、劣欲センサーは全力で無反応。
異性に奥手なだけかと思えば、綾波さんに物凄い勢いで急接近。これは、ひでぇ。

姐さんは登場したその瞬間から心がぶっ壊れるのはお約束なわけですが、なんかこうして改めて見てると壊れるべくして壊れてるなぁと。
あのスペックで信奉者が誰一人ついてないとはどういうことだ。
私がシンジくんの立場だったら、会って即座にひれ伏して「姐さん最高!姐さん最高!」とおだてあげ、彼女の安い虚栄心を満たしてあげるのに。
そうしたら彼女もあんなに不安定になって壊れなかったと思うんだ。
バッドエンドは回避しても、トゥルーエンドにはたどり着けない感じの選択肢ですが。

今回、姐さんが心を開いて打ち解けようとしてたのは、意外と嬉しかったです。
「エヴァ」って基本的に「登場人物が最善の行動を取ってればこんなことにならなかったのに」な話だと思います。
アスカさんもあんなにアホの子じゃなければ幸せにもなれてたろうにと思ってただけに、一歩踏み出した彼女は素敵でした。その直後、やっぱりかませ犬と化すあたりも含めて。

最善手をとれてないといえばシンジくん。
彼に対する「逃げるな」というのは無茶な要求のようだけど、実際、彼は逃げちゃってるのが大変よくない。
対アスカ戦でも棒立ちになってるだけで、戦略的に撤退しようとも、アスカを返せと突撃もしない。こりゃダメだ。

その判断を14歳のシンジくんに要求するのも酷だなぁとは思うものの、もどかしいですね。
今回見ててちょっと思ったのが、「エヴァ」の舞台構造はホラー映画と微妙に似てる。
主人公たちが立てこもった一軒家に、ゾンビが押し寄せてきて抵抗する、みたいな。
最初の危機を乗り切った後、若干のどかでほのぼのムードが漂うのだけど、些細な行き違いや不運で一気に瓦解とか。
話を盛りあげる演出上、どんな種類の映画でもこんな感じになるのかもしれませんけれど、この手の話を見るたびに、「しっかりしてくれ」ともぞもぞする。

だけどシンジくんって、いわゆる内気で弱気の少年じゃないところはちょっと面白いです。
綾波さんへの猛アタックぶりや、要所要所で決めてくるところは、ただの優柔不断少年ではありません。
パンフレットにも書かれてましたが、彼は確固たる意志で持ってダメな方向に走ってる。
自分にしか通じない理屈を盾に、世をすねてひきこもるタイプ。
扱いを間違えると、相当に面倒くさいことになる。

で、じゃあ導くべき大人はどうなのかといえば非常にいい加減。
特にミサトさんのダメっぷりは酷い。ことごとくコミュニケーション方法をミスってる。
その言葉はその人にとっては全くの逆効果でしかないなーてシーンが山ほど。

ただ自分自身がミサトさんの年齢になった今見てみると、大人サイドの方に感情移入してました。
まぁ14歳の少年少女相手に、ちゃんとコミュニケイトするなんて無理だ。
学生の頃はミサトさんたちは年齢的にも大人だと思ってましたけど、自分がその年になってみるとそんな高い要求されても困るなという感じ。

ミサトさんを初めとしてNERVってかなり適当組織なので、それを「リアルではない」と批判する意見を見たことがあります。
社会人になってみれば分かる。現場はあんなもんだ。
みんな適当にやってて、でもどうにかやっていってる。「序」を見た時にも思いましたけど、今回もその辺の描写が逆にリアルに感じました。

社会人ネタと言えば、端々のUCCさんが格好良かった。
パンフレットのCMも格好いい。ローソンさんも素敵。
今回、箱根の観光協会が全面協力したことも話題になってましたが、スタッフロールに名称が出てた時は妙に歓声を上げたくなりました。
なんか映画全体から、大人が全力で悪ふざけしました感が伝わってきた。
こういうのは熱い。劇中で必死になってエヴァを出撃させて、そして後は任せたとばかりに見守ってる人々と、製作スタッフさんが凄くダブる。
ついでに書けば、私たち自身のこの10年間の歩みともダブる。

ここしばらく「プリキュアオールスターズ」や「仮面ライダーディケイド」等々、リメイクやお祭り企画が賑やかで、どれもこれも素晴らしい。
焼きなおしや使い回し、ネタ切れ云々と幾らでも悪くは言えますが、そんな意見が狭量に思えます。
一度最後までやって答えが分かった上で、もう一度やり直してんだから、良いものにならないはずがない。
しかも余計なものや面倒臭い部分を切り捨てて、美味しい所だけを使えるんだから超贅沢。万歳。

そもそも例えば演劇の世界では、同じ脚本を何度も演じるわけですよ。その度に演出もシナリオも出演者も変わる。
これをアニメでやってはいけない理由はない。
「エヴァ」は実質2,3周目くらいのリメイクですけど、まだまだもっと色んなものが見れそうな気がするし、見たい。

リメイクなので、当然期待されてるサービスカットやお約束の展開は出てくる。
でもその上で、原典を越えて行ってるのが素晴らしい。
「以前は綾波を救えなかったシンジが、今度は明確に意思を持って救済に成功する」とか。

その直前に「使途に取り込まれた」という同じようなシチュエーションで見捨てられてるアスカ姐さんが素敵に無残ですが、その辺りは微笑ましく見守りたい。
「アスカは救えなかったけど今度こそは」みたいな表現すらなし。
姐さん、本当に居場所が無ぇ。

そのアスカの復活カットが流れた次回予告には狂喜しました。
姐さんはハイスペックなのに、一人で自滅して崖から落っこちる子。そして崖下で体育座りして虚ろな目をしてるのが似合う子。
でもきっといつか、崖から這い上がってくれると信じてた。というか見たかった。
数多の同人誌の定番ネタ「崩壊した後の世界のシンジやアスカ」ですが、とうとう本家でもそれをやってくれる。
見たかった何某が実現するって、良いなぁ。

前回と今回で「リメイク」として必要な前提ノルマは果たした感じ。
次回以降は「その続き」が見られそうな予感がします。
凄く楽しみ。何年後になるんだろう…。


(左画像)
emotion style 式波 アスカ ラングレー

(右画像)
UCC ミルク&コーヒー缶250g(30缶入)ヱヴァ缶☆2009 30本入


まぁ身も蓋もないことを書くと、適当に挿入歌流して、適当にキャラを酷い目に遭わせれば「凄い映画だ」という印象を与えることには成功します。
結構、そのノリに騙されてる部分はある。
でもそういう部分も「ギャグ」として受け入れて、大笑いしながら見る映画だと思った。

学生当時に見た時は、世界設定だとか謎だとかが気になったものですが、今となってはどうでもいいですね。
個人的に思うに、「それっぽい」伏線や謎単語は「語感が気持ちいい」から使ってるだけであって、大した意味はないし明かす必要もない事柄だと思う。
これらは「エヴァがどういう科学的根拠で稼働してるのか」等が「まぁ何か凄い技術なんだ」でスルーされているのと同様、適当に聞き流せばいい部分じゃなかろうか。

私的にはそういったストーリー的な部分よりも、リメイク特有のノリや作ってる人たちの熱さの方が印象に残りました。
まぁ「プリキュア」さんや「ディケイド」見てても同じこと思うわけですけど。
劇中のミサトさんの台詞「総力戦よ!」は、まさにその通りだと思った。
アニメ放映から10年以上、その間に起こった事柄や人々の総力戦。遊び心満載で戦う人々は、やっぱり格好いい。
こういうのは長年続いてるコンテンツ出ないとできない強みだなぁ…。
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