Casa de lápiz:鉛筆庵

鉛筆庵に住む鍵盤奏者が日々の生活の徒然・音楽などを綴ります。

練習中

2014-11-02 12:22:50 | 旅気分
明日は航空自衛隊入間基地の航空祭。
ということで、休日にもかかわらず見上げる空では飛行練習に余念がない様子。
金曜日にはブルーインパルスが豪快に真っ青な空を背景にリハーサルしてましたが。
これはC-1のようです。
あっと思う間に視界から遠ざかっていきます。

編隊を組んでの練習。

基地に戻ってきました。

林の向こうは滑走路です。

朝から空気を切り裂く轟音が響いてます。
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郵便局にて

2014-11-01 23:52:17 | 日々の雑感・近況
金曜日の朝、郵便局に用があり出かけた。いつもなら歩いて行くところだが、なるべく早く用を済ませたかったので原付バイクでたたっと走って行った。
郵便局の中は意外に混んでいて、郵便窓口も封書や切手の窓口と小包の受付窓口と両方使って局員の方々が対応していた。
窓口で目にした伝統工芸の切手がたいそうきれいだったので、どうせ使うし、とレターパックと一緒に買ってから、またたたっと戻った。
そして、表書きをしてあとは投函するだけになったレターパックを持って今度は歩いていこうと玄関まで出たが・・・重くてとても歩いてはいけないとあっさり断念。
結局、またまた原付バイクで走って行った。
午後になっても郵便局は混んでいて、次に番号を呼ばれるのを待っている人や荷物を前に局員に相談している人や現金書留封筒を手にしている人、切手を求める人やらでにぎわっていた。私もそんな中の一人になって列に並び順番を待った。
そんな郵便局に行くたび、そして人がたくさんいてにぎわっている時にいつも頭の中に浮かぶ一篇の詩がある。
中学の(だったと思う)国語の授業で読んだ萩原朔太郎の郵便局について書かれた詩で、一字一句覚えているというのでは全くなく、その詩を初めて読んだ時の気持ちをまざまざとまた懐かしく思い出すのだ。
詩全体に醸し出された郵便局と言う舞台で繰り広げられ、それをその中の一人でありながら傍観者でもある詩人の切なく、どこか憂いを帯びた気分、それでいて憧れを感じさせるようなそんな不思議な気分・・・。「のすたるじあ」とか「らいふ」「漂泊」といった単語の断片が心の中に散り散りに降ってくる気がする。

そんなにいつもいつも思っているのに、その詩が本当は一体どんな詩であったのか、題名は多分「郵便局」だった、くらいの記憶しかないことに気付いて愕然とした。
それで、検索して見つけた。これこれ!!これだ~!!
もう一度、出会えてちゃんと読めたのが嬉しい。

郵便局  萩原朔太郎

 郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を
思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわた
だしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧
しい女工の群(むれ)が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に
列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替(かわせ)を組み入
れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。

 いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不
思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て
人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人に
たのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤
独に暮してゐる娘の許(もと)へ、秋の袷(あわせ)や襦袢(じゆ
ばん)やを、小包で送つたといふ通知である。

 郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲
哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐ
る若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。
何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と
同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活(ライフ)の港港を漂
泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。

 郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情
を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。

(『若草』1929年3月号)
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