老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

SDGsからSPGs、SOGsへ

2024-03-02 11:51:41 | 環境問題
今のSDGsが描く望ましい「未来の社会と自然の景観」は企業論理からのみ見ている修正だと感じる。SDGsをSPGsやSOGsに読み換えると企業論理とは異なる「人々」の論理が発する「別の」目標設定の必要性が見えてきて、それらを今のSDGsに持ち込むことの大切さと面白さが見えてくると思う。

現在のSDGsには企業が差配し、企業に都合のよい目標だけが注入される仕組みが社会に埋め込まれているように感じている。そして社会はそれを受け入れて、その方向にしゃにむに動かされているように感じる。そこには我々という「人々」の存在が抜け落ちているように思う。そんな危機意識を以前から持っている。

危機意識の根元の一つに、SDGsのD(Development)という言葉に違和感を覚える事がある。

Developmentは「開発」とか「発展」に直結する言葉と、普通受け取られている。
そして「開発」や「発展」という言葉が真っ先に結び付く先は「企業」であり、「企業の存在理由」のなかにこのDが強く組み込まれていると、人々も安易に納得しているように思う。

従って企業が差配し、企業に都合のよい目標が優先されている現在のSDGs が違和感なく社会に受け入れられている背景には、DevelopmentのDが挿入され、ある意味強制的に企業の存在感を世界に周知させようとして、Dが使われているというネーミングの妙にも理由があるのではないかと邪推している。

社会を構成するのは「人々」と「企業」。決して「企業」だけで成り立っている訳ではない。現状のSDGsが「企業」の論理を中心として動いており、一方の「人々」が抜け落ちている状況は困ったものだと常々感じております。

そこで命名の妙が一つの原因であるのなら、SDGsに代わる別のスローガンを提起するのも意義があるのではとの思いから、SPGsとSOGsというスローガンを敢えて提示してみます。

SPGsはSustainable People Goalsの略、SOGsはSustainable Other Goalsの略です。
SPGs中のPは申すまでもなく、ハッキリと「人々」が主体だというスローガンとしたいという思いからの造語です。
SOGs中のO(Other)は現状の「企業中心の論理」から出てくる目標設定とは異なる、それらとは別の「他の」目標の設定が重要だ、ということを強調したいが為に作った造語です。

SDGsを敢えてSPGsとかSOGsに読み換えることで、現在は脇に置かれがちな我々という「人々」が希望する未来の目標の設定をSDGsに組み込んで行くチャンネルが生まれるのではないかと考えております。

企業の論理とは異なる人々の持つ別の論理から生まれる目標をSDGsに組み込むことは、「今世紀半ばの世の中はこんな風であって欲しい」というSDGsの本来の目標をより健全にする作業であり、視野をより広げる上で必要とされる作業であると考えております。

「人々」という言葉を繰り返して使用していますが、ここで使っている「人々」には我々人間だけでなく共に暮らしている動物・植物そして微生物、即ち全ての生命あるものを含めております。そして生命あるものだけでなく、我々の周りに共に存在している大地河川や大気といった自然環境をも含めて考えていきたいと考えております。即ち命のあるなしに関わらず全ての我々の周りにあるものを代表して代弁する存在として、我々という「人々」が存在している、という立場を取りたいと考えています。

この様な視点の考えを推し進めていく上で役立つ情報を今後紹介していきたいと考えており、今回は先ずAlJazeeraの情報から始めてみます。そこではアフリカが抱える諸課題は、企業利益を優先する思考から手掛けていくのではなく、諸課題解決の中心に「人々」を据えて取り組むことの重要性を訴える視点が打ち出されております。

AlJazeeraの2月28日の記事『アフリカの気候変動の真の解決は人々に関することの追求から可能であり、利益を追求することでは決して解決できない』(アフリカOxfam所属のHassaneさんの手になる記事)
***
2月17-18日アディスアベバで今年度のアフリカ連合サミットが開催され、各国指導者らが「気候変動に関するナイロビ宣言」を採択。

アフリカでは、干ばつと洪水が交互に繰り返されており、農作物は枯れ、流され、そして多くの家畜が死亡している。
アフリカ東部だけでも74億ドルに相当する家畜と数十万haに及ぶ農作物が失われ、その結果数百万人の人々が無収入、または食べ物のない状況に昨年置かれていたという。

アフリカ東部では井戸掘削の際、5か所に1ヵ所はカラ井戸であったり、浄化処理なしでは飲めない水が出るといった状況である。井戸掘削はより深く掘る必要があり、費用がかさむことになり、維持も困難なことになる。

ナイロビ宣言は、地球温暖化に対するアフリカの寄与度合いは歴史的に極わずかであるのに対して、アフリカの人々の生命と生計そして経済面は温暖化による悪影響をより大きく受けており、過大な負担をアフリカは強いられている、という指摘の点では市民社会の思いとおおむね一致している。

この宣言では「地域共同体」の果たす役割が、気候変動対策活動において鍵となる、との認識が指摘されており、注目すべき視点である。
気候変動への対処に必要となる適切な資源と支援を、役割が期待される「地域共同体」に確実に到達させていくことが、当然ながら求められるのである。残念ながら、この点の明確なシナリオの提示が正にナイロビ宣言では欠けている部分である。

アフリカ各国は「グリーン成長」戦略の地域規模への、地方規模への、そして国家規模・世界規模への拡大を目指す政策・規制そして奨励金制度の実施に取り組んでいる。

ここで問題となるのが「グリーン成長」とは、ではどんなものか、という条件についての透明性が無い状況が存在していることである。現状では無数の成長策が提示され、妥当なものと判断されており、その結果優先されるべきは「人々」を中心に据えるとの尺度が薄められて、「利益」思考が優先されてしまうという事態がたびたび発生することになっている。

例えば海外でのCO2排出を相殺する目的で企業は広大な土地を購入することが可能となっており、結果として企業の石油とガスのくみ上げは継続され、その為にアフリカや他の地域が出汁として利用されるという状況が発生しているのである。そしてこのような状況により、アフリカ大陸の小規模農家そして大陸の環境に不利益がもたらされているのである。

富裕国に対し、彼らの約束の履行を促すこと、そして気候予算の拡大を要求することは大切ではあるが、提供される資金の性格を見極めることも重要である。
富裕国側は2020年度に833億ドルを拠出したというが、Oxfamの計算では実質上は高めに見積もっても245億ドルだったとしている。富裕国側の根拠には気候変動目標案件に含めるには、評価基準を過大に甘くする必要のあるプロジェクトが混じっていたり、ローンとして拠出している案件も含まれているとしている。債務が既に重くのしかかっている国にとって、ローン案件は受給国にとっては反対に有害な支援となる恐れがある。

また、現在利用可能な気候変動向け資金のメカニズムには、利用のしやすさの点での課題と包括性・一体性の無さの課題を指摘する市民社会の組織や団体が多く存在している。
事実、Oxfamの調査では西アフリカ/Sahel地域で国際的気候変動資金を直接利用できた団体のなかで、「地域的組織・団体」だと認定できたのはわずか0.8%だったとされる。

気候変動資金がどの程度地域レベルに到達し、プロセスに地域社会がどのように参加しているかについて、不透明な情報提供が依然として続いている。この点の改善が求められる。

そして地元住民が利用しやすく、管理しやすい少額の助成金の創設が求められる。

ナイロビ宣言では女性が直面する多面的な課題に対する包括的であり一体的な取り組みが為されていない。食べ物が足りない時、女性は食べる量をへらしたり、最後に食べるということを行うものである。そして学校をやめるのは女児が優先され、そして口減らし目的で女性は早婚化となる。日々の水を求めて女性は炎天下子供を抱えて数km歩くことになり、危険にさらされている。家庭内暴力の傾向は貧困状況と密接に関連しているとの研究が東アフリカで確認されており、貧困状況の改善が早急に求められる。

ナイロビ宣言では輸送に対する炭素税の創設を世界に要請している。
しかし適切な緩和戦略を併せて取り入れることなく進めると炭素税は脆弱な人々に悪影響を過大に与えることとなり、食料・医薬品やその他生活必需品のコストを更に上昇させる恐れがある。

我々の希望は投資が真に「人々」に広く行きわたり、気候変動への対処が可能となり、それにより「人々」は食物を生産することが出来るように繋がっていくシステムの構築である。

国際農業開発基金(the International Fund for Agricultural Development,IFAD)によるとアフリカ大陸には推定3300万世帯の小規模農家があり、大陸の食糧供給力の70%程を生産しているという。この様な状況でも、FAOによるとサハラ以南の地域に住む貧困状態にある90%の住民は農村地域に暮らしているという。

給水システムと衛生システムに向けての投資が必要とされる。アフリカ南部地域では飲用可能な水を利用できる人の割合は高々61%とされ、適切な衛生環境下で暮らしている人は5人に2人という。最近のマラウィ・モザンビーク・ザンビアやジンバブエにおけるコレラの蔓延が拡大している原因はかかる衛生環境の劣悪さである。事実1月以降これらの地域では新規感染者が数千人にのぼり、死者は数百人発生している。

現在アフリカは決定的な岐路に立っていると言える。

アフリカ大陸の指導者らは自由貿易市場から要請される拙速な取り繕い策、そして致命的になる恐れのある罠とも言える策を回避すべきであり、気候変動活動の中心に「人々」を据えることに注力すべきである。そうすることによって「包摂的・一体的な成長と持続可能な発展に基づく豊かなアフリカ」を目指すというアジェンダ2063がその目標に向けて一歩を踏み出すことになることが期待できるのである。

資源とチャンスへの利用可能性が公平であり、そして利用しやすさを支援することで、全ての個人が生き残るだけでなく、自然界と調和して繁栄するアフリカ大陸の構築が可能となるのである。
***

アフリカの気候変動に対応する現在の状況や水資源・衛生状況の課題と疾病との関係やジェンダーをも含めての貧困問題等と通して、結局は市場の論理が優先されている形の支援が横行していることをOxfamアフリカの担当者が指摘していると思います。

Oxfamが指摘している「利益」を中心に据えるのではなく、「人々」を中心に据えてアフリカの今後の課題に対処していくことが大切とする姿勢は、冒頭述べた現在のSDGsが企業の論理が中心となっており、それをより健全にするには企業の論理とは異なる「人々」が持つ別の論理から生まれる、今までとは異なる「他の」目標をSDGsに組み込むことが大切であり、必要な作業だとする思いと相通ずる認識だと思います。

「今世紀半ばの世の中はこんな風であって欲しい」というSDGsの本来の健全な目標を作っていくには、企業の論理だけでなく、それとは異なる別の論理からの検討が必要であり、それを行えるのは我々「人々」が求められていると思うのです。

次回は我々の農耕と病害虫とのかかわりに関連する問題を取り上げる形で、ともすると企業の「利益」が偏重されすぎてきた歴史と、そこから生じた「人々」の不利益の問題を取り上げてみます。そして企業からの課題解決策が優先され、それとは異なる「他の」良い解決策があるにも関わらずに、何故かそれが見落とされてしまった歴史の例を名著とされるカーソンの「沈黙の春」に焦点を当てることで振り返ってみたいと考えています。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする