“緊急事態”の解除が決定された。
WHOも日本の対応を一定の評価をしている。安倍首相にいたっては、“コロナ封じ込めに成功”などと嘯く始末。海外メディアの評価は、日本政府の対応は全く評価していないが、なぜか死者数が際立って少ないことを不思議がっている。
今年、鬼籍に入った野村監督の言葉に「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし」というのがある。
スポーツ指導者の大半は、野村監督の言葉に頷くだろう。特に団体競技の指導者は、「そうなんだ」と手を打っていると思う。
お互い勝つために死力を尽くして戦うのだが、力量差が一目瞭然という相手と戦う場合がある。99%勝てない相手と戦うのだが、何故か勝てる場合がある。10回試合をして、ほとんど10回負けるだろうという相手でも、勝てる場合がある。
野球で言えば、味方の投手が相手チームとなぜかしら相性が良くて、何となく抑える場合がある。そうなると試合は接戦にもつれ込む。そこで、チャンスに打てない打者がまぐれでタイムリーを打ち、勝つ場合がある。
こういう場合、指導者は「よくやった」とほめてやるのだが、内心ではどうして勝てたんだろうと首をひねっている。指導者として選手たちに何を語れば良いか、を一番悩むのがこういう勝ち方。強運としか言いようがない勝ち方なのだから、この勝利からどのような【教訓】を引き出したら良いか、非常に悩む。
わたしは、日本政府のコロナ対応は、“勝ちに不思議な勝ちあり”そのままの結果だと考えている。
クルーズ船の対応のまずさ、初期対応の遅れ、学校閉鎖の勇み足(準備何もなし)、“緊急事態”宣言を出すなら、補償とセットでなければならないはずなのに、補償をネグレクト。地方自治体に対応を丸投げ。
批判が高まると、方針転換。第一次補正予算・第二次補正予算を組んだが、絶望的なくらいスピードがない。理由は明白。書類手続きの煩雑さ、難しさが最大のネック。一次補正のお金が、いまだ届いていない。国に殺された、と涙を呑んで廃業する中小企業や個人事業主が後を絶たない。
医療崩壊を叫ぶなら、せめて医療機器、マスク、防護服などの医療資源を優先的に調達するのが政府の仕事。さらに言うならば、コロナ患者を受け入れる病院の経済的補填を優先的に行わなければ、コロナ患者を受け入れる病院すらなくなる。
病院や医師・看護師に「犠牲的」な仕事を依頼しながら、コロナ対応に熱心に取り組んでいる病院ほど赤字経営になり、看護師の家族や子供たちが「心ない差別」に苦しんでいるのを放置する。ブルーインパルスを飛ばせば済む話ではない。
保健所の職員たちもそう。国の政策で保健所の数、職員は激減している中、感染疑いの人との電話対応、PCR検査を受けれるかどうかの判定、検体の輸送、クラスターの聞き取り、自宅療養者への電話対応などなどの仕事を一手に引き受けさせられ、それに加えて一般業務もこなしている。
あげくのはては、発熱37・5度以上4日間様子を見なさい、という厚生労働省の指針が批判されると、加藤厚生労働大臣は、保健所の職員たちに責任があると言わんばかりの答弁をする。わたしが職員なら、厚生労働省へ怒鳴り込んでやりたいと思うだろう。
一事が万事。国は、最前線で働く日本の病院や医師・看護師たちの「病人を助けたい」という崇高な志だけに依拠し、保健所の職員たちの寝食を忘れた労働に何一つ答えていない。結局一番大切な人々の努力を利用し、見殺しにし、ないがしろにする厚生労働省や国の姿勢に怒りを禁じえない。
ところが、安倍首相は5月25日の会見で、「日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。正に、日本モデルの力を示したと思います。」と述べた。
どの口が言うのか、とあきれ果てるが、メディアも「コロナ対策に成功した日本」をアピールする典型的な出来レースを展開している。
“勝ちに不思議な勝ちあり”という認識を持っている人間は、決してそんな能天気な発言はしない。
これだけ初動に失敗、PCR検査の数は他国に比べて圧倒的に少ない、国民に自粛だけ求めて補償はほとんど行き渡らない、コロナに全精力を注げばよいのに、検察庁法改正などに血道を上げて、国民の総反発を食らう。おまけに、黒川検事長の賭け麻雀疑惑が浮上、検事長は辞職。当然ながら、内閣支持率は急落。危険水域に入っている。
通常の政権なら、内閣総辞職も検討せざるを得ない。もし、これでコロナの死者数が増加し、感染拡大に歯止めがかからない状況だったら、間違いなく内閣総辞職を迫られたと思える。
ところが運よく死者数もあまり増加せず、感染者数も減少し始めた。安倍内閣にとっては、僥倖としか言いようのない結果。本当に賢い政権なら、この運をきちんと認識して、もっと謙虚で抑制の利いたコメントを出すが、「日本モデル」の成功などと大風呂敷を広げるところが安倍内閣。
「きっこのメルマガ」などは、「またも自画自賛の安倍首相「解除会見」で飛び出した事業規模サギ」
https://www.mag2.com/p/news/452937・・ 『きっこのメルマガ』 まぐまぐニュース・・・・
で「安倍晋三首相の自画自賛&自己陶酔ワンマンショー」と切り捨てている。
問題は、この「不思議な勝ち」は、どうしてできたのかだ。
一番参考になるのは、ノーベル賞学者京都大学の山中伸弥教授の唱える【ファクターX】 の存在という説。
山中教授の【ファックターX】候補は以下の通り。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1) 感染拡大の徹底的なクラスター対応の効果
(2) 日本人のマスク着用や毎日の入浴などの高い衛生意識
(3) ハグや握手、大声での会話が少ない生活文化
(4) 日本人の遺伝的要因
(5) BCG接種などの何らかの公衆衛生政策の影響
(6) 2020年1月までの、何らかのウイルス感染の影響
(7) ウイルスの遺伝的変異の影響
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだ科学的に明らかにされていないので、これだという結論は出ていないが、おそらくこの中のどれか、または複合的要因だろうと推定できる。
一番考えられるのは、日本人の規範意識(罰則規定がなくても、ルールを自発的に守る)。
東北大震災の際にも、食料・水・生活物資の配布にも、誰もがきちんと列に並び、配布を待つ姿が印象的だった。「自分だけが良ければ・・」と我先に列を乱すような人はほとんどいなかった。自らの不安や悲しみや苦しみをじっと心の内に押し込めて、静かに列に並び、他者に迷惑をかけない。この日本人の我慢強さ、規範意識が、政府の「自粛要請」に黙って我慢して従ったのだろう。
これが、山中教授の言う(2)(3)の要因の根底にあると考えられる。
わたしは、こんな我慢は、何度も続かないと考える。自粛なので、補償しない、という政府の姿勢は、上記のような日本人の特性によりかかり、それを利用(悪用)しているとしか思えない。今回のような国難ともいうべき危機的状況の時、そんな対応をして国民が政府を信用するはずがない。安倍内閣の支持率低下は当たり前である。
“勝ちに不思議な勝ちあり”“負けに不思議な負けなし”
政府与党は、もう一度野村監督の言葉を拳々服膺すべきである。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
WHOも日本の対応を一定の評価をしている。安倍首相にいたっては、“コロナ封じ込めに成功”などと嘯く始末。海外メディアの評価は、日本政府の対応は全く評価していないが、なぜか死者数が際立って少ないことを不思議がっている。
今年、鬼籍に入った野村監督の言葉に「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし」というのがある。
スポーツ指導者の大半は、野村監督の言葉に頷くだろう。特に団体競技の指導者は、「そうなんだ」と手を打っていると思う。
お互い勝つために死力を尽くして戦うのだが、力量差が一目瞭然という相手と戦う場合がある。99%勝てない相手と戦うのだが、何故か勝てる場合がある。10回試合をして、ほとんど10回負けるだろうという相手でも、勝てる場合がある。
野球で言えば、味方の投手が相手チームとなぜかしら相性が良くて、何となく抑える場合がある。そうなると試合は接戦にもつれ込む。そこで、チャンスに打てない打者がまぐれでタイムリーを打ち、勝つ場合がある。
こういう場合、指導者は「よくやった」とほめてやるのだが、内心ではどうして勝てたんだろうと首をひねっている。指導者として選手たちに何を語れば良いか、を一番悩むのがこういう勝ち方。強運としか言いようがない勝ち方なのだから、この勝利からどのような【教訓】を引き出したら良いか、非常に悩む。
わたしは、日本政府のコロナ対応は、“勝ちに不思議な勝ちあり”そのままの結果だと考えている。
クルーズ船の対応のまずさ、初期対応の遅れ、学校閉鎖の勇み足(準備何もなし)、“緊急事態”宣言を出すなら、補償とセットでなければならないはずなのに、補償をネグレクト。地方自治体に対応を丸投げ。
批判が高まると、方針転換。第一次補正予算・第二次補正予算を組んだが、絶望的なくらいスピードがない。理由は明白。書類手続きの煩雑さ、難しさが最大のネック。一次補正のお金が、いまだ届いていない。国に殺された、と涙を呑んで廃業する中小企業や個人事業主が後を絶たない。
医療崩壊を叫ぶなら、せめて医療機器、マスク、防護服などの医療資源を優先的に調達するのが政府の仕事。さらに言うならば、コロナ患者を受け入れる病院の経済的補填を優先的に行わなければ、コロナ患者を受け入れる病院すらなくなる。
病院や医師・看護師に「犠牲的」な仕事を依頼しながら、コロナ対応に熱心に取り組んでいる病院ほど赤字経営になり、看護師の家族や子供たちが「心ない差別」に苦しんでいるのを放置する。ブルーインパルスを飛ばせば済む話ではない。
保健所の職員たちもそう。国の政策で保健所の数、職員は激減している中、感染疑いの人との電話対応、PCR検査を受けれるかどうかの判定、検体の輸送、クラスターの聞き取り、自宅療養者への電話対応などなどの仕事を一手に引き受けさせられ、それに加えて一般業務もこなしている。
あげくのはては、発熱37・5度以上4日間様子を見なさい、という厚生労働省の指針が批判されると、加藤厚生労働大臣は、保健所の職員たちに責任があると言わんばかりの答弁をする。わたしが職員なら、厚生労働省へ怒鳴り込んでやりたいと思うだろう。
一事が万事。国は、最前線で働く日本の病院や医師・看護師たちの「病人を助けたい」という崇高な志だけに依拠し、保健所の職員たちの寝食を忘れた労働に何一つ答えていない。結局一番大切な人々の努力を利用し、見殺しにし、ないがしろにする厚生労働省や国の姿勢に怒りを禁じえない。
ところが、安倍首相は5月25日の会見で、「日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。正に、日本モデルの力を示したと思います。」と述べた。
どの口が言うのか、とあきれ果てるが、メディアも「コロナ対策に成功した日本」をアピールする典型的な出来レースを展開している。
“勝ちに不思議な勝ちあり”という認識を持っている人間は、決してそんな能天気な発言はしない。
これだけ初動に失敗、PCR検査の数は他国に比べて圧倒的に少ない、国民に自粛だけ求めて補償はほとんど行き渡らない、コロナに全精力を注げばよいのに、検察庁法改正などに血道を上げて、国民の総反発を食らう。おまけに、黒川検事長の賭け麻雀疑惑が浮上、検事長は辞職。当然ながら、内閣支持率は急落。危険水域に入っている。
通常の政権なら、内閣総辞職も検討せざるを得ない。もし、これでコロナの死者数が増加し、感染拡大に歯止めがかからない状況だったら、間違いなく内閣総辞職を迫られたと思える。
ところが運よく死者数もあまり増加せず、感染者数も減少し始めた。安倍内閣にとっては、僥倖としか言いようのない結果。本当に賢い政権なら、この運をきちんと認識して、もっと謙虚で抑制の利いたコメントを出すが、「日本モデル」の成功などと大風呂敷を広げるところが安倍内閣。
「きっこのメルマガ」などは、「またも自画自賛の安倍首相「解除会見」で飛び出した事業規模サギ」
https://www.mag2.com/p/news/452937・・ 『きっこのメルマガ』 まぐまぐニュース・・・・
で「安倍晋三首相の自画自賛&自己陶酔ワンマンショー」と切り捨てている。
問題は、この「不思議な勝ち」は、どうしてできたのかだ。
一番参考になるのは、ノーベル賞学者京都大学の山中伸弥教授の唱える【ファクターX】 の存在という説。
山中教授の【ファックターX】候補は以下の通り。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1) 感染拡大の徹底的なクラスター対応の効果
(2) 日本人のマスク着用や毎日の入浴などの高い衛生意識
(3) ハグや握手、大声での会話が少ない生活文化
(4) 日本人の遺伝的要因
(5) BCG接種などの何らかの公衆衛生政策の影響
(6) 2020年1月までの、何らかのウイルス感染の影響
(7) ウイルスの遺伝的変異の影響
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まだ科学的に明らかにされていないので、これだという結論は出ていないが、おそらくこの中のどれか、または複合的要因だろうと推定できる。
一番考えられるのは、日本人の規範意識(罰則規定がなくても、ルールを自発的に守る)。
東北大震災の際にも、食料・水・生活物資の配布にも、誰もがきちんと列に並び、配布を待つ姿が印象的だった。「自分だけが良ければ・・」と我先に列を乱すような人はほとんどいなかった。自らの不安や悲しみや苦しみをじっと心の内に押し込めて、静かに列に並び、他者に迷惑をかけない。この日本人の我慢強さ、規範意識が、政府の「自粛要請」に黙って我慢して従ったのだろう。
これが、山中教授の言う(2)(3)の要因の根底にあると考えられる。
わたしは、こんな我慢は、何度も続かないと考える。自粛なので、補償しない、という政府の姿勢は、上記のような日本人の特性によりかかり、それを利用(悪用)しているとしか思えない。今回のような国難ともいうべき危機的状況の時、そんな対応をして国民が政府を信用するはずがない。安倍内閣の支持率低下は当たり前である。
“勝ちに不思議な勝ちあり”“負けに不思議な負けなし”
政府与党は、もう一度野村監督の言葉を拳々服膺すべきである。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水