老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「野火」

2016-10-11 22:37:42 | 戦争・平和
2015年7月25日公開の映画「野火」をツタヤで借りて鑑賞した。構想20年におよぶ映画は、自主製作となっている。塚本晋也監督が監督・脚本・製作・主演で世に問うた作品だ。塚本監督は、安倍政権の戦争への歩みと戦後70年という節目に、「今」しかないと言っているようだ。

この2015年版の直後に1959年版の「野火」も鑑賞した。市川昆監督。主演は船越英二。どちらの作品も小説「野火」を底本にしてフィリピンのレイテ島山中を主に食糧を求めて「敗残兵」がさまよう作品となっている。当然のことながら画面は重苦しい。

「野火」という映画を二本立て続けに鑑賞した後、私は原作に当たる必要性を感じた。30年以上前に読んだもので、再び原作を読みだすとほとんど忘れていた。

原作と映画は全く別物のようにも感じられた。映画では人肉食の場面もあり、映像でこのシーンを再現するとなるとかなり残酷極まりない。ところが小説ではその残酷さは乾いたものとなっている。それは小説の文体のせいであろう。

作者の大岡昇平は作家になる前はフランス文学に傾倒しており、京大のフランス語科出身、本人によればスタンダール研究家ということである。

日本の小説家は私小説が多く、また加藤周一によれば日本文学の根強い傾向として「情緒的」であり論理的な文体に欠ける。しかし、太平洋戦争の負け戦を描くのに、日本的な情緒的「文体」では不適当であろう。作者の大岡はあえてフランス文学で鍛えられた乾いた文体を、意図的に選んだと言ってよい。

このフランス文学にも通じる一文を引用しよう。

「糧食はとうに尽きていたが、私が飢えていたかどうかはわからなかった。いつも先に死がいた。肉体の中で、後頭部だけが、上ずったように目ざめていた。死ぬまでの時間を、思うままに過ごすことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただその時を延期していた。」(八 川の51ページ)

作者は俘虜記というノンフィクションで有名な作家であるが、「野火」全体に流れる主調音は戦力で圧倒的な差がある米軍に制圧された、日本軍の敗兵による逃走劇であり、敗走千里の道をその日ぐらしで送らざるを得ない、まさに飢餓地獄を描いたものである。

その日々の「日常生活」(日常というほどのどかではなりえないが)を敵(敵は主にフィリピンの市民であった)に捕まらないように逃走するという非生産的なものとして送る、その描写である。したがって、こうした生活をリアルに描こうとするときに日本文学の伝統の中に巣くった「情緒的」文体では不適当にならざるを得ない。

近現代の戦争の非情な冷酷さをどうしても演出するには、日本文学的な文体ではなく、西欧的な乾いた文体でなければならない。「野火」の作者がスタンダール研究家であることは好都合だったと思われる。

しかも日本軍の論理はその当時、日露戦争の時代と異なり「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が支配していたのであり、敗兵が選択できる逃走方法は限られていた。

フィリピンの戦場で捕虜として生還できた作者が、レイテ島で敗残兵として逃走していたならば、「野火」の主人公田村一等兵は作者の大岡昇平だったのであり、敗兵となった田村は「死ぬまでの時間」をなんとか延長してその日の食糧である、芋一本を求めて島の山中をほっつき歩かなければならなかったのである。

実際にはこの小説では田村一等兵は大岡昇平と同様に生還しているのであるが、大岡昇平がミンドロ島ではなく「野火」の田村と同じレイテ島に派遣されていなかったのは、偶然にすぎない。田村一等兵はその意味で作者の分身であるとも思える。

「野火」のテーマである敗残兵の逃走劇は、もう一つの隠されたテーマ;「人肉食」に必然的に赴かざるをえない。なぜなら、レイテ島に米軍の主力部隊がやってくると、日本軍は圧倒的な戦力の差で敗走軍となり、同時にいままで占領していた島民が敵となり、日本軍の敗兵はただただ逃げ回るだけとなる。しかも日本軍の「玉砕」精神のために捕虜となることもできないので、逃げるための「食糧」である「芋一本」を求めての逃走劇となる。

先述したようにこのリアルな「戦闘」(実際は戦闘はない。あるのは逃げるための敵への攻撃だ)を描写するには日本的な文体では不可能なのだ。作者の得意とする死体の描写に乾いたフランス文学のような立体的な文体が必要だったのであり、情緒的な日本の文体は作品を貧弱なものにしてしまう。(一七 物体 一八 デ・プロフンディスにおける死体の描写)

こうした文体の選択は、戦争(太平洋戦争)の真実を俯瞰できる資格を獲得する。かつて日本のマスコミの戦争の歴史記述を巡って論争があった。そのときの論争のテーマは日本軍のおびただしい戦死者の戦死の原因は戦闘によるものだったのか、食糧の不足による飢餓、つまり「餓死」だったのかというものであった。「野火」が書かれてから大分経過した1990年代の論争であったと思う。

現在からみると、政府やマスコミが太平洋戦争を経験的にではなく、全くの過去形で問題にしたので、こういう真実から遠い問題提起になったのではないかと思われる。日本軍に圧倒的に不足していたのは物資の輸送問題だったのであり、兵站だったのである。

アメリカは情報戦に長けており、日本の輸送船の位置も暗号解読で突き止めており、日本の物資の輸送は海の藻屑になっていた。また、物資は戦線の先頭部には届いたが最前線には届いていない。(丸山静雄著「インパール作戦従軍記を参照)

こうした背景から、戦闘の前線にいる部隊には物資は届かず「現地調達」が通常となっていた。ましてレイテ島の「敗兵」に日常をやりすごすための食糧はほぼつきていた。この条件の下で「野火」の田村一等兵たちは一本の芋を求めて互いに敵対し、「猿」の死肉を食らうのである。

こうした飢餓線上の敗走兵を描くには「乾いた文体」が必然的となる。

「護憲+コラム」より
名無しの探偵
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