非国民通信

ノーモア・コイズミ

学校での運動時間が無視されています

2009-01-22 22:56:51 | ニュース

運動しない女子 中2、週1時間未満が3割 文科省調査(朝日新聞)

 文部科学省は21日、全国の小学5年と中学2年を対象に08年度に初めて一斉に実施した「全国体力・運動能力・運動習慣調査」の結果を発表した。子どもの体力がピークだったとされる1985年当時の抽出調査の成績と比べ、ほとんどの種目で下回った。運動をしない子は特に女子で目立ち、中2では1週間の運動時間が1時間未満の子が3割強に及ぶ。

 昨年10月の報道では「下げ止まり」とのことでしたが、今回の発表では通例に従い子供の体力低下を印象づける形で記事が書かれています。「子どもの体力がピークだったとされる1985年当時の抽出調査の成績と比べ、ほとんどの種目で下回った」そうですが、ピークだったと さ れ る という曖昧な表現が何か引っ掛かりますね。それはさておき、体力測定の結果を気にする人も多いようで、学力も体力も運も軒並み最下位を争った某所では知事が「結果を公表しろ」と吠えているとか。ふーん。

参考、体育会系社会だし

 細かいことは上のリンク先で書いたのですが、学力調査と体力調査、報道の仕方が似ているようでいて、実は決定的に異なる点があります。学力/体力の低下を印象づけて危機を煽るという面では一緒なのですが、学力は他国の子供と比較されるのに対し、体力は日本だけで話が完結してしまうのです。なぜでしょうか、他国の子供と比べて日本の子供の体力は~と話を進めた方が危機とノスタルジーを煽るためには好都合のはずです。学力テストでは常套手段なのに、体力テストではなぜ他所の国と比較しないのでしょうか?

 仮説其の一は、比較すべきデータがないから、ですね。日本みたいに体力を重視している国は他にない、国を挙げて体力テストを実施し、そのデータを揃えている国が少ないので、比較対象を確保できないのかもしれません。どなたか、データをお持ちでないですかね? その他の仮説にご興味があれば、上記リンク先のエントリをお読み下さい。

参考、必要とされていないから

 こちらのリンク先では、日本とロンドンの学校カリキュラムの違い、学校の外でどれだけ勉強しているかを扱っています。結論だけ言いますと、日本はいわゆる「勉強」の時間が短い、学力テストの対象になるような科目の授業時間が非常に短く、全授業時間の半分程度にしかなりません。一方でロンドンの小学校は日本で最重視されている体育などの時間が少なく、「勉強」に専念できるカリキュラムとなっているわけです。そして学校の外での勉強時間は日本の方が長く、ロンドンの子供は「勉強は学校だけですればいい」と回答する割合が高いのです。

 欧米の学校は「勉強するところ」という意識が強くて、学校での勉強時間が長い、そのせいか学校の外で勉強する意欲は薄いようです。しかるに日本の学校は「人間を育てる」という意識が強いのか、整列の練習やマスゲームを中心とした学校体育が盛んである一方、勉強する時間は短い、それを補う必要性を感じているのかは不明ですが、学校の外でも勉強すべきと考えられがちです。

 ……で、冒頭に取り上げた記事に戻ります。なんでも、運動しない子が目立つとか。他所の先進国の子供と比べてどうなのかは知りませんが、社会的には問題視されることのようです。でも、どうでしょうか? 欧米の子供は学校で勉強する時間が長い分、学校でしっかりやれば大丈夫と、家に帰ってから勉強する時間は短い、ならば学校で運動する時間が長い日本の子供はどうでしょう? 学校でしっかり運動しているのだから家に帰ってまで運動しなくても大丈夫と、そう思えないこともありません。学校体育のない国で「運動しない」となると多少の問題はあるのかも知れませんが、これだけ学校体育が盛んで、かつ体育会のクラブ活動への参加や休み時間を校庭で過ごすことなどが当たり前のように強制されている文化圏なのですから、学校の外でまで運動しなくても十分ではないでしょうか。「子供は外で運動するもの」というオトナの脳内子供像を押しつけたいのなら話は別ですが。

 

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10 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2009-01-22 23:12:14
今回もまた吠え散らかしているどこぞの地方自治体首長の姿を見るにつけ、教育とは時間が掛かるものなのにすぐに結果が出ることを求める、その場の反応が求められるテレビに出すぎた弱点ここにあり、などと思うわけです。
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自分自身 (介護員)
2009-01-22 23:29:30
自分自身は、運動不足&運動嫌い&運動音痴で大変なデブで困りますが
ヒョトして富国強兵を狙ってるんでしょうか
頭ん中からっぽにさせて
重労働しか出来ない人間にさせ、賃金が低い、だったら、軍隊が自衛隊が、体力あるんだろ 筋力や運動神経抜群だ、君彼女、だったらね、なんて求人広告や職安に進められて
勉強出来る金持ちか、勉強出来ないが体力筋力スタミナ暴力や暴れん坊等のマッチョ成金かどっちもない 脱落者扱いか
未来予想図 なんて
俺みたいな食い気オデブは強制軍隊行かされて激しい訓練 やがて耐え切れず
嫌だいやだ
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-01-22 23:52:02
>ノエルザブレイヴさん

 大阪のあの人は、我が子のテストの点が悪いといって子供に怒鳴り散らしているようなものですから。むしろ知事に教育とは何か教えてやる必要がありそうですが、府民が知事を甘やかしているなぁ……

>介護員さん

 「決まりだから」と、不条理な規則に従うことを習慣づけ、学校体育を通じて号令で動くよう訓練する、部活動では「上の命令は絶対」と教え込む、体育会系の学校教育にはそういう側面がありますよね。富国強兵、殖産興業、兵隊を育てたメソッドを応用して、企業戦士を育てようとしているのが学校教育ですから。
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Unknown (案の運)
2009-01-23 10:59:44
あらゆる情報(考察)には、発信者の利益を図る成分が含まれています。
体力が低下しているという考察は、『体力をつける活動』を行いたいという層の
希望があるのでしょう。

部活動の加入率が下がり、大会規模も縮小傾向、運営等々が先細りになっている
中・高体連あたりのロビー活動とも見えます。
なんせ、名誉職が沢山ある再就職先の1つです。
そういった方々にとっては、営業活動としても就職活動としても、
運動部加入率アップはとても重要です。

スポーツジムの健康判定なんかを受けると、部活並みにやっている人以外は
『運動不足』という判定になるのと同じかと。
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体育教育研究校出身者の告白 (kurosukw)
2009-01-23 20:52:48
三十ン年前に私が通った小学校は、普通の田舎の町立校だと思っていたのですが「体育教育研究校」に指定されていたことを後になって知りました。

登校するとまず、広い校庭を十周くらい走らされます。(町内に数校あるうちでも一番広いという、我が校自慢の校庭で、そもそも研究校に指定されたのも「校庭が広いから」という単純な理由からだったらしいです)また、体育では、学期ごとにいろいろな目標を決めてクラスの中で競わされます。たとえば、鉄棒の逆上がりを足を着かないで連続五回以上回るとか、高鉄棒にぶら下がっての懸垂を十五回以上とか、縄跳びの二重跳びを連続三十回以上とか。その結果はクラスの後の壁に張られた棒グラフに示されました。なので、休み時間になると、みんな遊ぶのをそっちのけで、練習に励んだものです。(連続の逆上がりと高鉄棒の懸垂だけは、私にはとうとう出来ませんでした)

三年生の時に始めてプールが出来ましたが、プールサイドに一列に並ばされては水の中に突き飛ばされるというスパルタ式訓練のお陰で、ひと夏のうちには中耳炎で見学していた一人を除いて、クラス全員が泳げるようになりました。(もちろん、顔つけとか、バタ足とかを練習してからですが)

全校挙げての球技大会も毎学期必ずあり、低学年時はドッジボール、そのあとはソフトボールかサッカーをやらされたものでしたが、クラスを3つか4つに分けての補欠無しの全員出場制で、ひと月も前から練習が始まるのでした。だからクラスの中でも運動が出来る子のほうが自然と威張っていましたし、私のように勉強は多少出来ても、運動がまるでダメだと、たいへん肩身が狭くて小さくなっているしかありませんでした。悪いことに、中学も同じく「体育教育研究校」で、変わったことといえば、毎学期の球技大会がバスケットとバレーボールに変わったことくらいでした。

お陰で、心の中に「運動=辛くて嫌なこと」という感覚が染み付いてしまい、大人になってからの私はまったくといっていいほど、運動らしいことはしていません。それから、野球もサッカーも、バスケもバレーボールも、プロリーグを見てもオリンピックを見ても、過去の球技大会でのトラウマが甦り、見てもあまり楽しめません。

良かったことと言えば、海無し県の生まれだけれど、とりあえず金槌ではないこと、二重跳びを今でも連続3回くらいは跳べることくらいでしょうか?その他の副作用としては「ワルキューレの騎行」という、ワーグナーの名曲がありますが、校庭を走らされた時にいつもかかっていた曲だったので、あれを聞くと反射的に走り出したくなる衝動に駆られることです。
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スビバセンネェ (argon)
2009-01-23 22:56:30
ここはぜひとも全国音楽能力テストというものも実施ほしいものですね。
インテリぶったクラシックよりお笑いが定着しているからと得意気にほざいて、真っ先に地元の交響楽団への補助金を大幅にカットした張本人です。このテストの結果によって、また吠え散らかす方に100万ゼニー。
さらに、大阪の子供の成績がみんな悪かったのは、すべてヨシモトのせいだったのだとまた吠え散らかす方にも100万ゼニー。計200万ゼニーを私はあの可哀相な交響楽団に寄付します。

いや、ほんまはちゃうねん。あの吠え散らかしちゅうのはな、地元起しのために知事自ら率先して全国のみなさんを楽しませたろと実践してたお笑い芸やったんや。誤解せんといてや。
どや、こんな高度なお笑い芸ができる知事や。さすがパンパカパーンのオッサンの跡を継いだだけのことはあるな。
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Unknown (こねこ)
2009-01-23 23:17:46
初めてお邪魔します。いつも勉強させていただいています。

恥ずかしながら、あの知事を選んだ大阪の住人です(わたしは梅田さんに投票しましたが)。「勉強も運動もできなきゃ、後は何が残るんだ!」
「勉強ができなきゃ運動ができるのが当たり前」なんて、もう10年以上前に崩壊してるんですけどね、現場の感覚として。
私学助成の件といい、保育所の畑の件といい、彼は公開の席上で子どもたちをいたぶるのが趣味のようです。もう人としてどうよ、というレベル。本当に目の前に正座させて、一週間くらい教育とは何かを説教してやりたい、っていうか知事の地位から引き摺り下ろしてやりたいですよ…。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-01-23 23:29:26
>案の運さん

 まぁ顔の見えない怪しげなロビー活動がないこともないでしょうけれど、それ以前に日本社会そのものが体育嗜好なんです。

>kurosukwさん(kurosukeさん?)

 ちなみに私の通った小学校も体育重視、他の授業時間を潰して学年全体で整列の練習に明け暮れた記憶がありますが、アレは何だったんでしょう。何か特別な指定があったのか、それとも一部教員の「自主的な」行動の結果だったのでしょうか。むしろ後者の方が恐ろしいような…… 幸いにしてみる方のスポーツは嫌いになりませんでしたが、運動音痴の私と教員の関係は最悪でした。

>argonさん

 日本の学校はテストに出るような科目の授業時間数が少ないわけですから、むしろ今までテストしてこなかった科目も結果を計ってみたら面白そうです。その一つが音楽ですが、う~ん、音楽の点数が低く、かつ責任転嫁の相手が見つからなかったら、「音楽のテストなど意味がない」と出すかも知れませんね。それを言うなら体力テストも大した意味はないような気がしますが。

>こねこさん

 他人の投票の結果であったとしても、付き合うことを余儀なくされてしまうのが辛いところですね。テストで良い点を取れと子供を相手にキレる大人のような醜態を晒し続ける知事ですが、それに喝采を送る人が多いからには「自分は正論を述べている」とばかりに調子づいてしまう府民が橋下に冷や水を浴びせられるようになって欲しいと願わずにはいられませんが、まだまだ先のことになりそうです。
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Unknown (GX)
2009-01-24 13:38:11
 私もスポーツについて苦い経験をしてきたのですが、kurosukwさんの学校も悲惨ですね。私はスポーツが苦手にもかかわらず、ほぼスポーツしか選択肢のないような学校に通い、しかも強制的に入部しなくてはならず、苦痛以外の何ものでもありませんでした。しかも、休みの日などもほぼあらず(といってもレギュラーよりはありましたが・・・。)、当然下手なため大会にも出られないのに練習や試合の応援に行かされていました。今思い出すと、馬鹿らしく、なんて無駄な時間を過ごしたのだろうと思います。これならもっといろいろなことに時間を使えていたのだろうとすら感じています。学校生活を充実させるためとか立派なことを言う方も多かったですが、こんなものをやらない方が学校どころか日常生活は充実したものになっていました。

 さて、また例の知事ですが、体力の結果にもご立腹ですね。前は勉強で今度は運動を「彼なりに強化」する政策でも打ち出すのでしょうか。これでまた大阪・・・いえ、日本の教育が「人を縛るもの」に近くなってしまうと危惧しています。知事の影響力は大阪外でも強いですから。
 あと、「勉強もスポーツがだめなら何が残る」と言う考え。この考え(逆もしかり)は知事に限らず強いですね。この2つ以外にもその人の取柄なんてあるでしょうに。ただ世間的に認識されないだけで。そもそも、何かしら取柄が必要かというのも疑問です。そんなものがなくとも社会で生活できるようにしていくべきなのですが、なにかしら突出したものを要求されるようです。もしかすると日本でスポーツがもてはやされるのはこの「取柄」と上に逆らわない「忠誠心」が同時に確保できるからかもしれません。
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Unknown (非国民通信管理人)
2009-01-24 13:53:05
>GXさん

 勉強かスポーツか、得点の出るものが好きなんでしょうかね。これが大人になったら年収あたりで人間の価値が計られるようになるのでしょうけれど。知事が無能では困りますが、普通の人は取り柄などなくともマイペースで生きられるようにする、それが政治の役割のはずですが、現状では全く逆行しています。
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