非国民通信

ノーモア・コイズミ

生産性向上に背を向けられるワケ

2008-07-26 22:40:35 | ニュース

終日営業で労働効率3割低下=小売りが産業全体の生産性抑制-労経白書(時事通信)

 厚生労働省が22日公表した2008年版「労働経済の分析(労働経済白書)」によると、終日営業は、通常時間帯の営業に比べ労働効率が3割も低下することが分かった。スーパーなど小売業が営業時間の延長を進めたことが、日本の産業全体の労働生産性に影響しているという。同省は、労働力が限られる少子化社会に対応するため、「さらなる生産性向上に取り組む必要がある」と指摘している。

 生産性が低下している、という話です。その原因は営業時間の延長にあるとの分析ですが、それはそうでしょうね。営業時間を延ばせば延ばすほど1時間当りの利益は減少するわけで、客足の少ない時間帯まで営業を続けていれば、こうなるのも当然です。社会通念上は「生産性の低さは克服しなければならない」と考えられており、厚労省も「さらなる生産性向上に取り組む必要がある」と指摘するわけですが、しかるに世の中は逆行しています。

 長時間営業が生産性の向上を阻害しているわけですが、ではその長時間労働の現場が生産性向上に反対でもしているのでしょうか。さすがに表立って「生産性をもっと低下させるべきだ」と主張している経営陣は見たことがありません。とは言え、現に生産性の低下に繋がる営業形態が推し進められてもいるのです。この齟齬は何なのでしょうか?

 結局のところ、目指しているもの、理想としているものに食い違いがあるようです。つまり厚労省や御用評論家の類は、理念上の「良いとされていること」を説きます。一方でより現場に近い経営者層は、自社の状況を見て「思いついたこと」を実行させます。その結果として両者の指し示す方向は正反対、方や生産性の向上を語り、方や生産性の低下へと突き進むわけです。

 生産性は高くあるべき、との主張は説明不要でしょう。そりゃ、生産性が低いよりは高い方が好ましい、ごく単純に生産性だけを勘案してみるなら、その向上に反対する必然性はありません。その一方で労働現場では生産性の向上に逆行している、この理由は何でしょうか? 機械的な生産性の向上を追求することが人間性を損ねるから?なーんて、とってつけたような理由がそこにあろうはずもありません。理由はもっと別のところにあります。

 生産性が高い=効率的であるとはどういうことでしょうか? より小さな時間的、金銭的コストでより高い利益を上げることでしょうか。そのために最適な人の使い方を考えるのが「無駄を省く」ことでもあります。しかるに、それが実践できるのは全体を見通す長期的なビジョンがあってこそです。そして経営者にそんな広い視野など期待できるはずもありません。往々にしてもっと近視眼的な、その場その場の「無駄」に目くじらを立てること、この繰り返しが労働現場なのです。

 例えば目の前の社員が余力を残しているとしたらどうでしょうか。彼を今以上に働かせることは可能であり、彼の労働力を限界まで使い尽くすことが「ムダゼロ」に繋がると、そう考える人は経営者ならずとも多いと思います(実際に労働現場で行われていることもそうです)。ところが、全社単位、中長期的なスパンで見れば社員に余力を残しておくことがトータルで見ればプラスであり、効率的な経営に繋がるケースもあるのではないでしょうか? しかるに、そんな可能性は考慮しない、あくまで近視眼的に目の前のムダを叩いていくのが日本的経営です。

 床にこぼれた水をバケツに移すとしましょう。タオルで水を拭き取って、バケツの上で絞ります。ここでタオルを限界まで絞ろうと足掻き続けているとしたらどうでしょうか? そんなことをするよりも、さっと絞ったらまた床を拭いた方が効率的です。しかし、「まだ絞れるのではないか、余力があるのではないか」と、そう考えてしまうのが近視眼的な経営です。まだ絞れそうなタオルに見切りをつけてしまうことをムダと感じ、限界まで絞り尽くそうと粉骨砕身する、それをカイゼンと呼んでいるのが日本式なのです。

 あくまで近視眼的に、労働力を余すところなく使い尽くすことを営業努力と信じてきた結果として、長時間労働の横行、長時間労働のライフスタイルに合わせた小売店の長時間営業があるわけです(決してそれだけが原因ではありませんが)。厚労省や御用学者も、「生産性の向上」というお題目を唱えるばかりではなく、こうした日本の現場感覚を考慮に入れた上で実践的な対策を考えていかねば、本物の効率化はいつまでも夢の中です。

 

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7 コメント

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Unknown (GO)
2008-07-27 00:14:50
タオルの絞りの例えは分かりやすいですね。
「長時間労働」のなかでの「生産性向上」となると、世の中の資本家どもの考えることはただ一つ、「時間当たり賃金の削減」なのですわ。
 ワーキングプアーが生まれる根源が、これになると思います。「生産性向上」が「良いこと」では必ずしもありません。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-07-27 00:51:23
>GOさん

 元来の定義の「生産性の向上」と、経営現場での「生産性の向上」が食い違うわけですよね。本来は労使ともに、いかに少ない負担で成果を上げるかが「生産性の向上」ですが、実際に行われているのはそれと反対ですから。
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Unknown (GX)
2008-07-27 11:13:22
 普段から労働者の酷使に異を唱えてるわけですが、このお話を聞かなければ、もし、会社を経営した時、自分はそれを無意識のうちにやってしまうのではないかと思いました。なぜならば、私はタオルを限界まで絞る派だからです。(笑)
 人のことは気になりますが、タオルにも同じようなことが言えるとは盲点でしたね。繰り返しになりますが、こういう習慣を続けていれば、労働者の酷使を
無意識のうちに行ってしまったかもしれません。自分もこのようなタイプのため少々書きにくいのですが(苦笑)「限界まで絞り(搾り)取るのならば、人間ではなくタオルにしろ」と言うべきでしょうか。
 とりあえず、これらのことを心においておくと同時に、これから掃除するときは雑巾を絞るのはほどほどにしておきます。貴重なお話と掃除の豆知識(笑)をありがとうございました。
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血を絞れ (さら)
2008-07-27 13:56:08
本来ならば生産性(効率性)よりも適法性、安定性、公平性を重視するべき公的分野まで「民間では」「破産会社」といったのキーワードの下(これ自体的が外れているのですが)執行者をバッシングする国民性です。どんなに絞り上げられる状態(施策)になっても、それを行う経営者や為政者の目線で自らを納得させてしまうんですから。

今の時代だと、こぼした水以上の絞り水を要求するのが現実ですし、要求する量が確保できなければ身を削ってでも差し出すことが求められるわけですが、絞られる側に求められる滅私奉公的倫理観や無限責任のレベルというものは、無駄を省くといった一見反論できないオブラートに包まれています。そして絞られる層と絞る層には大きな壁があって取り扱いも異なるダブルスタンダードが暗黙のものとして存在しています。

考えてみれば、絞る層は公務中に公金で賄われた自動車でフィットネスに出かけても「絞り取ることを考えている」「絞り取ることができる自分の体調をベストに保つことも公務」と言い放つことができるわけです。まあ搾り取られる層がこれを「絞り取った結果さえ出るならば、多少の事は良いではないか」という間抜けな支え方をする訳ですから、その特権意識に拍車がかかっても仕方がないのかも知れませんが。

経営者、為政者が市民、社員、職員に一層絞ることを求めながら、自らはそれらの人々の何倍もの収入を得て、職業倫理について特別な取り扱いを得る。その根拠が特別な地位と責任にあるというのならば、絞ったその先に構成員を水があふれるオアシスに導く事とそれに対する具体的な約束と説明をしなければならないと思います。

そして万が一約束が果たせなかったとき得られた特別扱いに見合った責任を取ってもらう必要があるでしょう。しかし、この国の搾り取る層が資材を没収されたり刑務所に入れられたりして社会的に抹殺されるといった形で責任を取っているのを見たことがありません。せいぜい後に残った一般社員、職員に泥をかぶせてトンずらが関の山でしょう。

ならば、かの層が我慢を求めてくる事、痛みを求めてくる事に眉に唾しながら敏感に見て欲しいし、求めてくる内容と矛盾する行動をしているのを見つけたならば、もっと怒ってしかるべきだと思うんですが。

無理なんですかね。搾り取られる者同士バッシングしちゃうし。
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Unknown (非国民通信管理人)
2008-07-27 17:41:46
>GXさん

 この辺は経営者だけでなく現場の管理職でも、ヒラ社員が同僚を見る場合でもあり得る視点ですよね。目の前にある小さなムダに拘泥してしまい、ムダを潰しているつもりが大局的に見るとマイナスである、誰もが陥る可能性のある穴でもあるでしょう。あ~、掃除に役立つかは分かりませんが。

>さらさん

 上には甘い世の中ですから。単に「上」が強権的に振る舞っていて、それに「下」が反発する状態ならば希望もあるのですが、むしろ「搾り取られる者同士バッシング」するのが主流、バッシングの対象を一緒になって叩けば英雄として遇される、そんな有様でもありますし。効率よりも「絞り上げること」が重視されるのは、絞られる側の自覚のない協力があってのことでもあります……
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生産性 (案の運)
2008-07-28 15:35:45
大半の経営者は『生産性』を『費用対効果』としか捉えられません。
(広義の『費用対効果』を大きくするの手段の1つとして、
 『生産性』の向上は欠かせませんが)

結果として、『サービス残業』と呼ばれる賃金不払いや
恒常労働力の派遣社員への置き換え、
さらには『移民受入』という名の、安価な労働力輸入が
さも社会の要請であるかのように主張されます

一人あたり・単位時間あたりの人件費が下がれば、
製造コストが下がり『費用対効果』=見かけ上の『生産性』は
良くなるように見えます。

これは、製造業の生産技術部門が、
「購入原価を下げさせることで、生産性を向上させました」
というようなものでが、これはエンジニアの仕事ではなく
ネゴシエータの仕事ですが…。

社内なら、購買部門への配置転換で済むのでしょうが、
低賃金の国が生産性を上げてきたときに、
生産性の中身が問われます。

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Unknown (非国民通信管理人)
2008-07-28 23:54:16
>案の運さん

 まぁ要するに、働く人に無理を強いることで見かけの生産性を上げようとしているワケですよね。ところが低賃金の非熟練労働者を含めると、人件費あたりの生産性は上がっても、時間あたり、人員あたりの生産性は低下、韓国や中国に追い上げられることで、既に中身を問われ、誤魔化しを続けて延命を図っている段階にあるのかも知れませんよ。
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