心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「自由期」と「新老人期」

2017-09-21 20:31:23 | Weblog

 ステンドグラス工房に通っている家内が、先日、嬉しそうに作品を持って帰りました。手先が器用なことは知っていますが、数か月でこんな作品ができるとは驚きました。不器用な私にはできませんが、モノづくりに熱中できるのは良いことです。
 きのうカレッジの終業式があり、来賓の方の祝辞に妙に納得してしまいました。この夏105歳でお亡くなりになった医師・日野原重明先生の言葉を引用する形でライフサイクルに触れ、35歳から65歳未満は「成年期」、65歳から75歳未満は自分の時間を自由に使える「自由期」、そして75歳以上は自立して生きる「新老人期」なのだと。シニア受講生全員に次への期待を寄せるお話しでした。確かにそうです。現役を退き、たっぷりある時間を思うがままに生きている「自由期」、その真っただ中に私はいます。

 話は変わりますが、家田荘子さんのブログには時々、お寺の香炉の写真が掲載してあります。無病息災を願ってお線香の煙を身体に浴びる風景はよく見かけますが、器としての香炉、それを支える足元に目を向けていらっしゃる。
 今朝、散歩がてらにお参りしたお不動さんの香炉をじっくりと眺めてみました。天邪鬼(あまのじゃく)が三体、一生懸命に香炉を支えています。それも一体一体に豊かな表情があって、宗教的な意味はわかりませんが、ついつい見とれてしまいました。新しい発見です。
 ものを見つめる「視点」によって違う風景が見えてくる、ということなんでしょう。「拘るな」「捕らわれるな」「偏るな」。閉塞感が見え隠れする時代状況のなかで、改めて多様な「視点」の大切さを思ったものでした。
 「視点」といえば、先日、京都こころ会議の第1回国際シンポジウム「こころと共生」に行ってきました。この日は、脳神経科学、分析心理学、宗教学、公共政策、臨床心理学の、国内外の先生方のお話しをお聴きしました。
 注目したのは、広井良典先生の「持続可能な社会、持続可能なこころ」でした。先生は、「現在」という時代を、「日本社会における文脈」「人類史的な文脈」そして「資本主義・ポスト資本主義という文脈」から解説されました。
 約20万年前に人類が誕生して以来今日に至るまでの間に、三つの大きな局面があったのだと。拡大と成長と成熟化へと進む過程で、物質的生産の量的拡大から「内的・文化的発展への転換」が認められるのだと。例えば、農耕社会が成熟段階に入った紀元前5世紀頃、仏教の「慈愛」や「空」、儒教やギリシャ哲学における「徳」、キリスト教の「愛」、などの新しい「価値」「視点」が、地球上に同時多発的に生まれたように.........。
 そして産業化(工業化)社会が定常期(成熟期)に入った現在、GDPに変わる新しい指標、「豊かさ」を表わす新たな「指標」「価値」が生まれてくる段階にさしかかっているのだと。モノが溢れ、情報が溢れる時代、物質の豊かさと心の豊かさが問われる時代、「多様性」の在り様が問われている時代。「こころと共生」というテーマ設定は時宜を得たものでした。
 この日、京の町は台風一過、久しぶりに清々しい秋の一日となりました。シンポジウムの帰りに、何気なく立ち寄った本屋さんで、「日経おとなのOFF」10月号に出会いました(笑)。今号の特集は『歩くの大正解』です。「歩くで医者いらず」「いい歩きはいい足から」「スゴイ歩き方6選」「1日8000歩、うち20分速歩きが新常識」などなど。「体幹ウォーキング」についても詳しく説明してありました。ついつい立ち読みしてしまいましたが、きちんとお持ち帰りでありました。以来、朝だけでなく夜もお散歩をするようになりました。
 あすは街歩き企画の下打ち合わせ(下見)のため仲間と近江八幡に出かけます。今回のテーマはヴォーリズ建築巡り。11月に予定していますが、既に30名近い申し込みがあります.......。そしてあさっては、いよいよ「歩き遍路」です。

コメント