心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

桃始笑から菜虫化蝶へ

2014-03-16 09:44:18 | Weblog

 今朝、愛犬ゴンタとお散歩にでかけました。明るい陽の光が街を照らし、丘の上の大きな柳の枝先は淡く柔らく見えます。家々の庭先では桃の花が満開でした。七十二候では、桃始笑(ももはじめてわらう=桃の花が咲き始める)から菜虫化蝶(なむしちょうとかす=青虫が羽化して蝶となる)へと移り変わる季節。きょうは館野泉さんのピアノで「夜の海辺にて--カスキ作品集」を聴きながらのブログ更新です。この曲、何の関係もありませんが、村上春樹の「カフカの海」を彷彿とさせるものがあって、気に入っています。
 夜と言えば、小林秀雄の「無常という事」の書き出しを思い出します。
 「比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問われていはく、生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給へと申すなり」。これは、「一言芳談抄」のなかにある文で、読んだ時、いい文章だと心に残ったのであるが(以下、略)

 木々が聳える比叡の御社、それも夜も更けた頃、かんなぎ(神に仕えて祭りを行い神楽を奏し、祭りの初めに神おろしなどをする人)を真似た若い女性が、静まり返った夜気の中で朗々と歌う。鼓の「ていとうていとう」という音が響く。その心を問われた女性は生死無常、人生のはかなさを憂う・・・・・。
 能楽に通じる世界がそこにはあります。能楽堂に響く鼓の音色。空気を引き締める凛とした響き。ジャズピアノとは異なるけれども、同じように頭の中が空っぽになる。あまりの心地よさにいつの間にか眠ってしまいそうになる。不思議な世界が広がります。そこには人の世の泥泥しさは微塵もなく、独りの人間が立っている。そんな自分がいる。
 広辞苑を紐解くと、「無常」とは一切の物は生滅・変化して常住でないことの意。生死無常、諸行無常と難しい言葉が並びます。
 なにやら小難しい書き出しになってしまいましたが、先週は、火曜、水曜と広島に行き、いったん戻ったあと週末に再び広島入りして、昨日の夕刻自宅に戻りました。広島では定年退職者を囲んでささやかな懇親会を催しました。大阪では新体制を機会に幹部の懇親会がありました。職場を去る方もいれば、新たに仲間入りする方がいます。人事異動の季節を迎えて、なにやら人の世も慌ただしくなってきました。毎年のように繰り返される風景が、そこにはあります。
 私も、春を迎えて仕事内容に少し変化がありそうです。定年年齢を前にして、昨年末に仕事関係の書籍をすべて処分してしまいましたが、さあてどうしたものか。能楽の世界を極めようと、NHK講座で古文のお勉強を始める準備をしていたのに、なにやら強引に現実の世界に引きずり降ろされそうな気配です。
 週末、広島に向かう途上、古文の入門書を探しに紀伊国屋書店に立ち寄りました。売り場を探し回っていて経営書のコーナーを通りかかると、なぜかそこで足が止まってしまいました。ここ数年、新しいお勉強は止めて、どちらかと言えば仕事とは全く異なる世界から仕事(現実社会)を見つめながら、それまでに蓄えた知見をもって何とか凌いできました。なのに、その日手にしたのは野中郁次郎、マイケル・E・ポーター、そしてフィリップ・コトラー関連の書でした。鞄の中には既に「鶴見和子曼荼羅(華の巻)」が入っていて、それでなくても重いのに、真新しい3冊の本が加わり、肩にずしりとくる重さ。結局1泊2日の出張中「華の巻」は一度も開くことなく、コトラーのマーケティグン論をおさらいしておりました。
 定性分析や定量分析によって人の動きを探る。思いを量る。大切なことですね。でも、人を突き動かすものはもっと奥深いものではないか。理論だけで推し量ることのできない何かが隠されているのではないか。40数年も仕事人生を送っていると、理論という言葉に振り回されて辟易してしまうところも無きにしも非ず。でも、時代を鳥瞰する視点をもたないと何も見えてこないのも事実。なにやら釈然としないまま、広島に向かいました。
 今朝の朝日新聞の朝日求人欄「仕事力」に平田オリザ先生がご登場です。前回の第1回目は「人と違えと育てられた」、第二回目の今日は「社会性を獲得するために」でした。昨年、「わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か」で関心をもった先生ですが、高校生の頃には自転車で世界一周旅行をされた。帰国すると父親が創設した劇場の経営を引き継ぐ。多額の借金をかかえて金融機関との駆け引きで社会性を学ぶ。劇団経営を通じて、「自分が正しい」という思い込みを崩すことの大切さを学び、他者の暮らしや価値観を学ぶ。あのすばらしい著書の背景に、このような生き様が隠されていたのかと。
 PCの前に座って、思いつくままにテキストに書き込んでいたら、きょうも意味もなく長文になってしまいました。このブログにお越しいただいた方々のことはなんにも考えずに、ただただ書き綴った駄文になってしまいました。それはともかく、悲喜こもごもの春。なにかが蠢く季節。春分の時季も、すぐそこまで来ています。それぞれの「春」が目の前に訪れようとしています。

※写真説明
上:開花した新種のクリスマスローズ
中:本来なら昨秋のはずが、季節外れで種を放つブルースター
下:ライラックの花芽。開花まで定点観測をいたしましょう。
付録:私の仕事の出発点とも言えるバス停。その法面にいま、水仙の花が満開です。 

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