心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

詩人まどみちおさんと鶴見和子先生

2014-03-02 09:19:32 | Weblog

  童謡「ぞうさん」や「1ねんせいになったら」などで知られる詩人まど・みちおさんが先日お亡くなりになりました。104歳でした。難しい言葉が氾濫している世の中にあって、ひらがなばかりのやさしい言葉で綴られた童謡の世界。多くの子供たちの心を捉えました。ご冥福をお祈りいたします。
  むかしむかし、子供たちが家内と一緒に大きな声で歌っていた「やぎさん ゆうびん」。姪の「ゆうこちゃん」が田舎の離れで大きな声で歌ってくれた「ぞうさん」。古き良き時代の風景が浮んできます。
 そんな「ゆうこちゃん」が、先週の土日、子供を連れてやってきました。ゆとり世代最後の大学生になる息子のアパート探しです。日曜日にはそのお供をしました。聞けば「ゆうこちゃん」も40半ば。我が子の初めての独り立ちに、不安と期待が入り交じって、母親らしい一面をのぞかせていました。小さい頃から「ゆうこちゃん」と呼んでいたので、久しぶりに会った今でも「ゆうこちゃん」なのでした。

 その翌日は、仕事帰りに1カ月ぶりの上洛でした。夕刻から始まるセミナーに参加しました。テーマは「ブータンの魅力とGNHの現在」。いわゆる幸福度に関するお話しでした。幸福度という極めて個人的なものをどうやって量るのか。そもそも、人はどんな状態を幸せというのか。幸せって一体なんなんだ。と考えていくと、だんだん難しくなってきます。その日の結論は、社会発展モデルの進化系という言葉でお開きとなりましたが、判ったような判らないような。でも、ひとつの課題をいただいたので、そういう意味で充実した2時間でした。
 週の後半には、私にとって大きな発見、大きな感動がありました。鶴見和子先生の蔵書に触れる機会を得たことでした。京都の某私立大学におじゃまする用事があったのですが、その大学の図書館で大切に保存されていることは以前から承知していました。用事が済むと、さっそく図書館に直行です。4千冊あまりの蔵書が並ぶ書庫をひとつひとつ見て回りました。図書、研究資料、ノート類がきれいに整理されてありました。東京にお住まいだった鶴見先生は、後年、宇治の老人ホームに入居されましたが、その際、自宅の多くの図書をこの大学に寄贈されたようでした。その後、お亡くなりになった際、ホームの蔵書も寄贈されたのだそうです。学生に自由に読んでほしいというご希望だったようです。
 書庫をみると、私の蔵書と同じ本もちらほら。それだけ、私が鶴見先生から多くの影響を受けたんだと改めて思いました。そのうちの何冊かを、恐る恐る手にとってみました。赤や黒の鉛筆で線を引いた頁が何か所があります。余白にはメモ書きもあります。これが読み込むということなんでしょうか。先生がどういうところに注目され、何をお考えになったのか。その足跡を伺い知ることができるような気がします。全身に震えが充満してくるのを覚えました。(写真の本は、最近再読している岩田慶治著「アニミズム時代」。丹念にお読みになった跡を伺うことができます)
 研究ノートも多数ありました。生々しい自筆を追いながら、先生の思いが伝わってきそうでした。ふだんは書庫の奥に大切にしまってあるのだそうです。私が研究者だったら、その1枚1枚を丹念に読み解き、ひとつの論文を書くことができるのでしょうが、なにせ素人の物好きにすぎません。でも、たいへん貴重な出会いをさせていただきました。
 詩人まど・みちおさんは1909年(明治42年)生まれ、鶴見和子先生は1918年(大正7年)のお生まれ。ほぼ同世代の方々ですが、敗戦後の日本の行く末に大きな足跡を残されました。その夜は、久しぶりに鶴見和子曼荼羅Ⅰ「基の巻」を手に取って、「思想の冒険 序論」を読み返しました。また昨夜は鶴見和子曼荼羅Ⅶ「華の巻(わが生き相<すがた>)の古本をアマゾンに注文しました。

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