心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

モーツァルトの『交響曲第40番ト短調K.550』

2014-03-22 23:30:42 | Weblog

 先週発売の「クラシックプレミアム」には、モーツアルトの3大交響曲として知られる、交響曲第39番、40番、41番(ジュピター)が収められていました。カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。そのうち、第40番ト短調K.550をこよなく愛した人がいます。小林秀雄です。

『もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。ともかく、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。街の雑沓の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。』(作品「モーツアルト」冒頭から)
 その頃、小林秀雄は中原中也の愛人・長谷川泰子と恋におち、同棲を始めたけれども、長くは続かず、大学卒業と同時に彼女から逃げ出し、関西を転々としていました。作品「モーツアルト」の書き出しの部分は、まさにその荒んだ頃の風景だったろうと思います。
 小林秀雄講演集CD第6巻「音楽について」の中に、小林のこんな肉声が残っています。

『あれは僕が大学を出た年ですからね。あんな驚いたことはないですよ。あんな経験をまたしません。あんな鮮明な、ああいうふうなことは、想い出とか何とかというんじゃないんですからね。サッサッサッ、本当に音が聴こえるんですからね。だから、もう驚いちゃったんですよ。ああいう経験は、青年時代でなければできないなあ。音を思い出すとか連想するとか、そんなことはできますけれどね、あんなふうに知らないうちに、夢の中にみたいに。』

 大阪・道頓堀の雑踏の中を歩く小林秀雄の姿、青春の迷いのなかで苦悩する人間の姿を垣間見る思いがします。ト短調シンフォニーの美しさとは切り離すべきと思いつつ、どうも私はこの曲を聴くと小林秀雄の青春時代のひとコマを思い出してしまっていけません。久しぶりに、CDに収録されいる、R・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏をSPレコードの電気録音版で聴きました。1927年の演奏なのだそうです。そしてカラヤンの演奏はその43年後の1970年に収録されたものでした。今年は、その44年後にあたります。SPレコードの演奏から87年を経過していることになります。
 三連休とはいえ、中日の今日は半日仕事でした。明日は、孫君たちと一緒に家内の両親のお墓詣りにでかけます。久しぶりに一緒に夕食でもして帰りましょう。そんなわけで、週末の夜のブログ更新とあいなりました。
 さきほどコーヒーがほしくなって階下に降りると、愛犬ゴンタ君がぐっすりとお眠りでした。それも大きなイビキをかきながら。ずいぶんなお歳ですから、ぐっすり眠るのが日課のご様子です。平安な日々を暮らしております。
 そうそう、昨夜は東京から甥がやってきました。甥といっても50代半ばのベンチャー企業の社長さんですが、11年ぶりの来訪でした。春の選抜高校野球に21世紀枠で出場した母校を応援するためで、お昼頃に品川駅から甲子園球場に直行して応援した後やってきました。残念ながら母校は1回戦で敗退してしまいましたが、ご本人は甲子園で応援できたことに満足しているご様子。二人で遅くまでお酒をいただきながら昔話に花が咲きました。
 概ね文章が固まったので、コーヒーブレークです。そっと窓を開けてみると、ひんやりと夜気を感じますが、夜のお空にはぼんやりとお月さんが浮んでいました。あと1週間もすれば、桜が咲くかもしれませんね。来週の土曜日は、フェスティバルホールで開かれる杉本文楽「曽根崎心中」をご鑑賞の予定です。日曜日は、春休み中の孫長男君らを連れて京都にお花見にでもでかけましょう。

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