心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

村の鎮守の森

2010-09-19 23:56:37 | Weblog
 『近くに住んでいた綿屋が商用で狭山に行ったとき、狭山池のほとりに美しい娘が悲しそうな顔をして立っていた。声をかけると、「実はこの池の中に恐ろしいものが落ちているので、取り除いてほしいのですが、どなたさまも引き受けてくれません。」と訴える。綿屋は、「そりゃ気の毒に、こんなに深い池ではどなえもなりへん。」と言うと、「いいえ、水は私がなんとかします。」と着物を着たまま池に飛び込んだ。みるみる池の水は干上がってしまった。見ると池の底にピカピカ光った鍬が一本落ちていた。こんあもんかいな、と拾いあげて捨てると、娘は再び現れ、「御礼に何でも差し上げます。」と頭を下げる。「なんにもほしゅうはないが、村では干魃が続いて綿や稲が枯れてしまいことがある。そんな時に雨が降る方法があったら教えてほしい。」と頼みました。「おやすいごようです。」と娘はにっこり笑って、胸の中から鱗を三枚出してきて、「これを村の鎮守様に納めて、お困りの時にお祈りして下さい。」 綿屋は村に戻ってから、若宮八幡に奉納、以来、祈雨の霊験あらたかで、村は繁栄した。』(大阪伝承地誌集成)<旭神社の由緒から抜粋>


 きょうは朝から義父のお墓参りに行きました。その途中、街の一画にある神社に立ち寄りました。その名は若宮八幡宮旭神社(大阪市平野区)です。民家やお寺が立ち並ぶ街のなかに忽然と現れる、この神社は、733年頃に祭られたとあります。西洋で起きた十字軍の歴史よりもさらに古い1200年あまり前から、この土地の人の生活を見守ってきたことになります。

 旭大神(素盞嗚尊、旭牛頭天王)が祭られ、摂社は若宮八幡宮とあります。天照大神、春日大神、堅牢地神、諏訪大神、公守大神、勝手大神、丹生大神、嶋戸大神が合祀されていると聞くと、なにやら南方熊楠の神社合祀反対運動を思い出します。境内に入ると、いちょうの御神木を中心に左に旭神社、右に若宮八幡宮と、ふたつの社殿があります。この一帯は中世以来、環濠都市として独自の発展を遂げて来た「平野郷」といわれます。人の生活に必要な「水」にまつわる故事来歴が多いのも、そういう土地柄だからでしょう。樹齢600年といわれる「くす」が聳えています。樹齢400年の「いちょう」、樹齢300年の「むく」。この3本の樹は、現在、大阪府の文化財(天然記念物)にも指定されています。

 あまり時間がなかったので、今回は拝礼をしたあと足早に眺めただけで失礼をしましたが、境内には、少し変わった狛犬さんや意味不明の不思議な亀(?)の石像、果ては人間の首を置いた石碑(これは気持ち悪くて撮影しませんでした)など、なんとも不思議な世界に迷い込んだような錯覚に陥りました。

 そんな次第で、今日はそのあと家内の親戚を何軒か回ってきました。いつも失礼ばかりしていますが、なんと還暦祝いをいただいてしまいました。それも半端な額ではありません。こんな歳になって自分の生き様にお祝いをいただくなんて。帰りがけに立ち寄った実家でも、デイサービスを受け始めた病弱の義母までお祝いをいただき恐縮した次第です。昔、小さい頃、お正月になると親戚の方々からたくさんのお年玉をいただいたことを思い出してしまいました。
コメント