心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

テノール歌手 アンドレア・ボチェッリのこと(続編)

2021-05-11 14:59:05 | Weblog

 二十四節気で早くも「立夏」を迎えた5月の半ば、朝のお散歩をしていても柔らかな若葉が眩しい、そんな今日この頃です。花壇もいつの間にか賑やかになってきました。ハーブ畑ではカモミールやセージ、ラベンダーやローズマリーの花が咲き始めました。
 あと1週間もすれば、コデマリの花が私の目を楽しませてくれます。このコデマリ、実は4年前の6月、北海道に行ったときに帯広の観光庭園「紫竹ガーデン」から連れて帰ったものでした。観光地化した富良野とはひと味違う素朴なお花畑が気に入ったものでした。その紫竹ガーデンの名物社長、「紫竹おばあちゃん」の愛称で親しまれた紫竹昭葉さん(94歳)が先日、お亡くなりになったのを新聞でみました。花柄の派手な服装と帽子を被ってお出迎えをいただいたことが思い出されます。ご主人を亡くしたあと60歳を過ぎて6ヘクタールもの土地を購入し整備して開園されたイングリッシュ庭園でした。年間10万人もの観光客が訪れるのだそうです。ご冥福をお祈りいたします。

 さて、毎週金曜日に更新していたこのブログですが、自粛生活のため暇を持て余して最近一日ずつ更新が早くなって、とうとう今週は火曜日になってしまいました(笑)。昨日は久しぶりに事務所で1日を過ごしましたが、今週もう一度出かければ、当分の間在宅勤務(?)になります。
 ということで、きょうは先週に引き続いてアンドレア・ボチェッリの続編を綴ることにいたします。CDの整理がひと段落したあと、以前全曲を入れていたiPod nanoを取り出し、ボチェッリの曲すべてをもう一度入れ直しました。
 このMP3プレーヤーには現在、ボチェッリのほか、新井満(歌手)、グールド(ピアノ)、館野泉(ピアノ)の曲が入っています。変わり種として小林秀雄講演集(全8巻)や「歩き遍路」のときにもっていった般若心経まで入っています(笑)。
 ここ数日、出かけるときはiPod nanoを忍ばせています。朝夕のお散歩もボチェッリを聴きながら歩いていますが、どこまでも歩いていけそうな気分になるから不思議です。
 40代後半というと、なんとも仕事が忙しい時期でしたが、そんな頃になぜボチェッリにはまり込んだんだろうと考えながら歩いていて気づいたことがありました。それは、挫けそうになった私の「心」を立て直すに十分なボチェッリの「心」「エネルギー」を感じ取ったからに違いありません。生きる勇気をいただいたような気がしています。
 数日前、本棚から取り出した「アンドレア・ボチェッリ 沈黙の音楽」(早川書房)に、こんなくだりがあります。「朗々とした太い声で、情感にあふれ、言いようのない苦悩に満ち、聞く手の心にストレートに響いてくる。歌い方はどこまでものびやかで、自由で、自然だった。ときには優しく、またときには激しく、しかし常に力強く、堂々としていた」と。
 ネットで、映画「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」が2年前に公開されているのを知りました。そこには、世界最高峰のテノール歌手アンドレア・ボチェッリの自伝小説完全映画化と記されてありました。さっそくAmazonのPrime videoで探しました。
 先天性緑内障のため視力がだんだん低下していたボチェッリですが、寄宿学校に通っていた頃、事故のために完全に失明してしまいます。乗馬を好みトスカーナの丘を駆け巡っていた彼は、後にピサ大学に進んで弁護士をめざしますが、歌の夢が捨てがたく精進を重ね、ついにはサンレモ音楽祭で優勝して一躍スターの座を射止めます。
 ボチェッリの曲を聴いていると、イタリアはトスカーナの広大な田園風景が浮かび上がってきます。目が見える見えないということではなく、目の前の風景を鷲づかみにする「心」「愛」「躍動感」が曲を通じて伝わってきます。 そしていま、70代を迎えた私にとって、これから先、ボチェッリがどんな水先案内人になってくれるのだろう。そんなことを思うと、何かしら嬉しくなってしまいます。残された人生に悔いはなし。ゆったりまったりと楽しく過ごすことができたらそれで十分です。


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