心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

遠い遠い昔の風景

2011-12-04 09:46:28 | Weblog
 晩秋の曇天模様かと思いきや、明るい陽の光で目覚めました。朝食もそこそこに、愛犬ゴンタとお散歩です。先日から気になっていた丘の上のお家の玄関先を彩る紅葉を撮りたくて、デジカメをもってでかけました。ゴンタと散歩をしていると、時々、あっと思う紅葉樹に出くわすことがあります。きょうは、セヴラック作曲の「大地の歌」「ラングドック地方にて」などを舘野泉さんのピアノ演奏で聴きながらのブログ更新です。

 ところで、先週、四国・高松に向かう途中、新幹線の中で腕時計の金属バンドが外れました。「携帯で時間を確認できるから腕時計は要らないかも」と思ったのですが、いつも左手首にあるものがない。あって当たり前のものがない。なにかしら落ち着きのなさを感じました。そこで、10年ほど前に購入した時計屋さんに立ち寄って、修理をしていただきました。小さなピンを何本か入れ替えて完了、修理代は部品代300円でした。なんだか心が晴れやかになりました。だめですねぇ。モノに振り回されています。でも、時間はモノではありません。人間の英知であり、自然そのものでもあります。時の流れは呼吸と同じ、そんな受けとめ方をしていますが、どうなんでしょうか。
 先週の日曜日は、朝6時起きでお出かけでした。年1回の催しがあったからです。田舎の町の関西の会です。数年前から世話役を仰せつかり、しかし今年は広島兼務となり、準備会もずいぶん欠席をいたしましたので、本番は失礼するわけにはいきません。帰阪した翌朝、朝早くに家を出て、会場のホテルに向かいました。皆さん早々とお集まりで、資料やお土産のセット作業、受付の準備などに追われました。受付開始は10時30分、徐々に同郷の方々がお見えになります。受付担当の私は、名前の確認、会費の徴収、領収書と資料のお渡しと、マニュアルどおりの作業をこなします。無事に総会が終わると、正午からは盛大な懇親会です。今年も神楽のアトラクションやお楽しみ抽選会などで会場は大賑わい。町役場からも多くの方々がやってきて、大阪都心部のホテルの一室が、昔懐かしい出雲弁で充満しました。



 そんな懇親会の席で、美味しい地酒をいただいていると、背後から「・・おちゃん?」の声。振り返ると、年配の見知らぬ女性が笑みを浮かべていました。「思い出せないの?真向かいの○○です」と。でも、思い出せない。失礼にならないように相応のご挨拶をしていったん別れました。でも、気になってしようがありません。隣の方と何杯かお酒を酌み交わしている間も、気になってしようがありませんでした。
 しばらくすると、急に、遠い遠い昔の風景が、ぼんやりと、それも霞みがかかったような淡い風景として浮かんできました。と、次の瞬間、霞みがかった風景の中から、真向かいの家の姿がぼんやりと浮かんでくる。そして、顔の見えないご夫婦の姿、その横に子供の姿.....「あっ、○○のおねえちゃん」。慌てて席を立って、さきほどの女性の姿を追いました。急ぎ足で近づきました。「すみません。○○さん」。彼女は私の姉と同級で、今も姉とは交流があるのだと。だから、私が大阪にいることも、どこに勤めているかもすべて知っているのだと。そして、なんと私の勤務先まで歩いて行ける所に住んでいるのだと。
 私が幼稚園か小学校低学年の頃のことです。よく遊んでいただきました。といっても、姉との間に座って「おままごと」のお手伝いだったような、そんな記憶があります。50数年前。懐かしさ半分、そしてあまりにも古い昔のことなので恐ろしさ半分、そんな不思議な感覚に襲われました。古き良き時代のことを思い出しても、何もすることができない歯痒さ。いくら足掻いてみても、古き良き時代は決して戻ってくることはありません。だから、私は、昔のことを心の奥底に封印して生きてきた。60年の間、連々として「在る」私の歩みを、私は真正面から見つめることができないでいる。どうやら、このあたりに、私の幼稚性の原因が隠されているのかもしれません。そんな気がします。あまりにも早く母を亡くしたからなのでしょうか。

 昨夜、長男君から電話がありました。今年の年末年始は7月生まれの孫も連れて帰省するのだと。久しぶりに家族全員が揃ってのお正月を迎えます。古き良き時代に、大家族のなかで迎えたお正月とは比べようがありませんが、都会の片隅でささやかなお正月を迎えることができそうです。
コメント    この記事についてブログを書く
« 秋の大阪散策 | トップ | 音楽に癒されて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿