心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

電脳空間に足りないもの。

2020-08-29 09:55:03 | Weblog

 近所の本屋さんに行こうと炎天下のなかを歩いていると、頭上にぽたりと一滴。さては鳩の仕業かと見上げてみると、夏の空が広がっています。そのまま歩いていくと、またもぽつり。淡い雲間から大きな雨粒が舞っていました。
 その後、何事もなく家に帰ってスマホで雨雲レーダーを覗いてみると、夕刻にかけて奈良から生駒を越えて大阪平野に雨雲が移動してきます。そう、待ちに待った「夕立」です。午後4時過ぎ。ぽつりぽつりと舞っていた雨粒が大きな塊となって、一瞬のうちにザーという音とともに地面を叩きつけました。乾ききった庭の土に吸い込まれていきます。お疲れ気味の草木が息を吹き返しました。
 処暑を過ぎ、空気感に変化が見えます。まだまだ暑いけれど、なんとなく肌には秋の気配。昔の人はよく言ったものです。第四十一候処暑次候「天地始粛」(てんちはじめてさむし)。ようやく暑さが鎮まるの意です。夜には秋の虫の音が聞こえてきます。
 などと悠長なことを言っていますが、今週は一日だけ事務所に出かけたほかは自宅で過ごしました。この秋シニア向け講座を再開するにあたってホームページ更新の総仕上げです。それが終わると次は、FacebookやTwitterです。別にウェブまわりの専門技術者でもなんでもありませんが、見よう見まねのやっつけ仕事です(笑)。
 分厚いガイドブックやマニュアルを見ても、専門用語が並んでいるので基礎的な知識に乏しい私には半分ぐらいしか理解できません。そんな古希のお爺さんは、とにかく手を動かすのみ。わからないところは本の目次を頼りにページをめくり、なんとなく分かったつもりで手を動かす。それでも分からないときは、ネットで答えを探しますが、これが結構あるんです。まあこんなものかと.......。
 私がパソコンなるものに出会ったのは、ずいぶん昔のことです。社員研修でIBM端末の前に座り真っ黒いDOS画面に対面したときでした。課題は簡単な文章を作成してプリントするのですが、文章なんてペンで書けばよいのに機械を使う必要があるんだろうか。これが第一印象でした。
 それがいつの間にかペンを捨て、ワープロ、そしてパソコンで文章を作る時代に様変わりします。マイクロソフトのオフィスが登場すると、今度は頭脳の中までパソコンに支配されてしまいました。「知識社会」なんて言葉が躍る時代です。その後歳をとると、ついつい忘れてしまいがちなので、最近はスマホが手放せません。パソコンと連動するkeepをつかってスマホがメモ帳替わりです。スケジュール管理もそうです。これでは頭脳が退化していくはずです。
 新刊本の多くはAmazon kindleで事足ります......。子どもたちが設定してくれたAmazonphotosでは、日々更新される孫の写真や動画をいながらにして楽しむことができます。
 でも、何か足りないものがあります。視・聴・嗅・味・触の感覚のうちの「触」です。皮膚で感じる空気感、石ころや木や紙の肌触り........。電脳社会では、五感のうち「触」と「嗅」と「味」が欠けています。いずれも感性を育む重要な要素です。いずれかに偏ってしまうと頭でっかちになってしまいます。子どもの頃に楽しんだ漫画に登場する火星人になってしまわないか(笑)。でもよくわかりません。古希のお爺さんの杞憂であればよいのですが。
 明日は山本能楽堂二回目の「能活」。テーマは「紅葉狩の巻」です。

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