心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

点と点を繋ぐ楽しさ ~ スローライフ

2020-08-01 10:15:28 | Weblog

 きのう、やっと近畿地方にも梅雨明け宣言が出ました。でも、その日を境にがらりと天候が変わるわけではありません。午後遅くには暗雲が立ち込め、音を立てて大粒の雨が降り出しました。でもでも、その時間はごくわずか。そのあとは何事もなかったかのように、真夏の太陽が顔をのぞかせていました。
 そしてきょうから8月。セミの大合唱で目が覚めましたが、あと半月もすれば私も70の大台に。早いものです。....コロナの関係で孫たちの夏休みはほんのわずかだとか。きょうはこのあと、孫次男君がお一人様でご来店です(笑)。
 孫とは言えお客様をお迎えするので、朝早く庭のお掃除をしました。梅雨の間に草木が生い茂っています。深入りは避け(笑)、手の届く範囲で済ませましたが、フェンスに這わせているアケビの蔓先に10個あまりの実がぶら下がっていました。秋が楽しみでもあります。

ステレオアンプを新調
 ところで、長く気楽な自粛生活では、音楽や読書を楽しむ時間が多かったように思います。そんなこともあって先日、ステレオのアンプをグレードアップしました。といっても新品ではありません。初めてヤフオクなるものに挑戦して買い求めました。これまでのアンプに比べると格段に音質がアップしました。ただ、予期せぬ事態も。22キロものアンプを2階の部屋に運ぶとき腰を痛めてしまいました(笑)。

きょうもグレン・グールド
 きょうは、グレン・グールドのCD「ザルツブルク・リサイタル1959」を聴きながらのブログ更新です。スウェーリンクのファンタジア、シェ―ンベルクのピアノのための組曲、モーツアルトのピアノソナタ第10番、そしてバッハのゴールドベルク変奏曲....。私が9歳の頃、新進気鋭のグールドがヨーロッパを演奏旅行したとき、ザルツブルクのモーツアルテウムで行ったソロ・リサイタルで、彼のライブ録音としては貴重な音源になります。
 グールドと言えば数日前、読売新聞夕刊の「私の本棚」に、青柳いづみこ著「グレン・グールド 未来のピアニスト」(ちくま文庫)が紹介されていました。青柳さん自身がピアニストであるということに、これまで読んだグールド評とは異なる何かがあるのだろうと興味津々。グールドのピアノを聴きながら、気ままに読み進んでいます。
結果を聞きに大学病院へ
 話は変わりますが、今週は2週間前のポリープ切除に関する結果を聞くために大学病院に行ってきました。驚くことに、受付ロビーには大勢の方々がいて三密状態。私が向かった受付窓口では、ソーシャルディスタンスをとりながら長蛇の列、ずいぶん時間がかかりました。それほど人が多かったということです。
で、結果はと言えば、「癌化の一歩手前だった部位は完全に除去できた」「切除した個数が多かったので1年後にもう一度検査しましょう」というものでした。やれやれ。これで当分の間は、おいしいお酒を楽しむことができそうです(笑)。
「能の見える風景」
 今週は久しぶりにお勉強会にも出かけてきました。山本能楽堂で開かれた、休日の朝の能講座「能活」です。この日は、伊勢物語23段をもとに作られた世阿弥の「井筒」がテーマでした。在原業平と紀有常の娘の恋の物語と言えばそうなんですが、お能は幽霊の劇、魂の情念の劇とも言われるように、主人公は紀有常の娘の亡霊です。約1時間にわたって「井筒」に纏わる解説を、ときに能面、装束の説明を交えてお話いただきました。仕舞も演じていただきました。18日には、その「井筒」を鑑賞する予定です。
 なぜお能などというものに親近感をもったのか。その発端は白洲正子さんの影響が大きいのですが、さらに前のめりになったのは世界的な免疫学者だった多田富雄先生の著書との出会いでした。東京は神田・神保町の古書店「髙山本店」から連れて帰った多田先生の「能の見える風景」「脳の中の能舞台」「花供養(白洲正子&多田富雄)」などが本棚に鎮座しております。その横には、多田富雄と鶴見和子の往復書簡集「邂逅」もあります。
 極めてシンプルな舞台の上で演じられるお能。「静」「情念」の世界。謡の半分も聞き取れないのに身に迫ってくる不思議な力.....。「能活」を通じてお能の世界を極めたい、そんな気持ちが強くなっています。

 若い頃、気の向くままに読み漁った本、知見が、ここにきてなんとなく繋がってきています。それが、よりダイナミックに迫ってくる。これもシニアにしか経験できない学びの「楽しさ」なんでしょう。大切にしていきたいと思っています。

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