暖かいを通り越して暑ささえ感じる今日この頃ですが、そんな初夏の季節に「歩き遍路」に行ってきました。今回は、愛媛県と高知県の境にほど近い久万高原にある44番札所・大寶寺と45番札所・岩屋寺。その久万高原を下って松山市内の6カ寺を巡りました。青紅葉から漏れる陽の光が辺りに光る初夏の風情を楽しんだお遍路でもありました。
前夜10時50分に大阪駅前BTを出発すると、翌朝6時前にJR松山駅に到着します。簡単な朝食を済ませて6時50分発の久万高原行のバスを待っていると、乗り場でなにやら必死にスマホと睨めっこをしている若い女性がいました。すると彼女、急に私に「高松の栗林公園行のバスはここですか」とカタコトの日本語で尋ねました。掲示板を確認して乗り場と発車時刻を教えてあげると、「切符はどこで買う?」。自動販売機を指さすと「日本語分からない」と。なんと日系アルゼンチンの方でした。祖母の母国を訪ねて一人旅をしているのだと。「で、どうなの?日本の印象は」と尋ねると「来てよかった」と。言葉を繋ぎ合わせているだけのカタコトの日本語でしたが、楽しい旅ができているご様子でした。今回は、人との出会いが印象に残ったお遍路でもありました。
8時過ぎに久万高原のバス停に着くと、さっそく歩き出します。大寶寺までおよそ30分。大きな藁草履が奉納されている山門の前に立って、3年前バスツアーで来た時のことを思い出しました。
次に向かったのは岩屋寺です。今回の行程の中では難所にあたるコースになります。歩き始めて少し経ったところで、町の婦人部の方々が運営されている「お接待所」に案内され、お茶とお菓子と果物をいただきました。傍にいた世話役の男性から、かつては2万人近くいた人口が8千人にまで減り、高齢化率が46%になっている現状を伺いました。基本、農業が主体の地域です。それ以外に若者が働く場が少ない。だから都会に出て行かざるを得ない。そんな現状を伺いました。
でも、皆さん笑顔が絶えずお元気です。今は若者を増やすのがこの町の大きな課題だとか。傍にいた女性の方がおっしゃっていました。都会から農業をしに移住する若者を支援する制度があるとのことで、少しづつ定着している様子。農業実習を含めて町ぐるみで応援しているのだそうです。こんなポスターもありました。「心から安心して移住子育てを」「久万高原町はシングルママ、シングルパパを全力で支援します」。
大自然に囲まれた素晴らしい町。古くから伝わる歌舞伎も継承するなど文化度も高い。先日旅した中欧の町々を思い出します。狭い国土の何分の一にも満たない所に人口が集中し、絵空事のようなビジネスが手を変え品を変えて蠢いている。何か大切なものを置き去りにしてはいないか。......農業で快適に暮らせるまちづくり。成功してほしいと思いました。
シャガの花が咲く山道を歩いているうちに「八丁坂」の入口に到着です。岩屋寺はこの急な坂道を登り切った先にあります。八丁坂頂上休憩所でひと息ついたあと平坦な尾根道を歩きながら歩いていると、目の前に山岳修験者たちの行場である「逼割行場」が現れました。岩の裂け目をよじ登って頂上にある白山権現にお参りするのだそうですが、私には無理です。 さらに、三十六童子が点在する山路を降りていくと、岩屋寺の山門が見えてきます。お寺の周りには2000万年も前の地層が残る礫岩峰が聳えています。本堂横の礫岩の中ほどに、開山の法華仙人を祀った仙人堂跡がありました。登り口の看板に「危険な場所ですので転落しない様に十分御注意ください」と記されています。長い梯子を前に一瞬戸惑います。3年前に来たときは登りませんでしたが、今回は時間がたっぷりあります。よし!と登り始めましたが、あと3段というところで足が止まってしまいました.......。そのとき、もう一人の私が背中を押しました。やっとのことで登りきりました。上から下を眺めてびっくりです。高すぎる。高所恐怖症かも。
納経所に行く前に穴禅定(お水供養所)にもお参りしました。燈明で微かに照らされていますが真っ暗なお堂の中を壁伝いに進みました。ここでふと思い出したのが、先日読んだ村上春樹の「騎士団長殺し」でした。第2部「還ろうメタファー編」で、主人公が不思議な深い森、深い洞に入っていくシーンと重なります。ついつい暗闇の「色」を考えてしまいました。村上春樹風の不思議な世界でした。
こうして第1日目の予定は無事終了です。岩屋寺のバス停前のお店でアイスクリームをいただいたあと、この日の宿である国民宿舎小岩屋荘までのんびり歩いて向かいました。ここは松山。もちろんお宿は温泉付きです。
翌日は、久万高原から松山市内に下っていくことになります。いろいろなルートを考えた末、比較的楽に歩けそうなルートということで、久万高原から塩ヶ森までバスに乗り、そこから峠を下って46番札所・浄瑠璃寺をめざすことにしました。これがなかなか気持ちの良い下り道でした。どんどん下って平野部に入りしばらく歩くと浄瑠璃寺、少し歩いて47番札所・八坂寺です。
その後、遍路の元祖といわれる衛門三郎の屋敷跡に建つ別格霊場・文殊院や札始大師堂にもお参りしました。そして48番札所・西林寺へ向かいましたが、途中にある久谷大橋から重信川を望むと、なんと水が流れていません。流れていた形跡はあるので、田植えの時期だけ農業用水にでも使っているのでしょうか。不思議な風景でした。
軽く昼食をとったあと49番札所・浄土寺へ向かいました。その途中、身体に障害をお持ちの若い男性がやってきて「接待です」といって5円硬貨を渡してくれました。私のような者になぜ?と思いましたが、お礼を言って受け取ると嬉しそうに帰っていきました。澄んだ目をした彼に、私はどう映っていたのでしょう。そのお心を大切にいただきました。
実は2日目はここまでにする予定だったのですが、時計を見ると2時半。まだ行けるということでさらに足を延ばして50番札所・繁多寺、51番札所・石手寺と参拝しました。
石手寺では、スペイン語圏の外国人観光客の一行に出会いました。スペインの世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の巡礼を経験された方々でしょうか。四国のお遍路を興味深く眺めていらっしゃいました。
二日目の宿は鷹の子の近くにある「たかのこのホテル」を予約していました。こちらでも、肌に源泉がまとわりつくようななんとも気持ちのよい温泉を楽しみ、2日間の疲れを癒しました。
中欧旅行、歩き遍路、そしてボランティア(講座運営サポート)。ふだんの生活と旅が入り乱れ、でも楽しい老後生活が送れていることに感謝しなければなりません。
※きょうのブログ更新は少し長くなってしまいました。最後までお目通しいただき、ありがとうございました。