心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「時間」を引き寄せる

2016-05-28 09:44:58 | 四国遍路

 連日の暑さとは裏腹に、柔らかな曇り空に覆われた大阪です。ゴンタ爺さんと朝のお散歩を終えると、コーヒー豆を挽いて香しい朝のひとときを過ごします。このまったりとした時間が私は大好きです。カメラをもって庭に出て、何か変化を探しているとアジサイの花が目に留まりました。次にブルースター。アケビの実もずいぶん大きくなりました。
 先日、最寄り駅で燕さんに出会いました。最近お目にかかったことがなかったので、見ていると一生懸命に巣づくりをしています。そういえば昔、実家の玄関先の巣の中で親鳥に餌をねだる幼鳥の姿をじっと見つめていたものでした。
 ところで、先週ご紹介した岩波新書「四国遍歴」の「香川・へんろ道」の章で、著者の辰濃さんは「私たちはいつもあくせくするばかりで閑を創れないでいる。忙しい、忙しいが口癖」だと述懐します。言われてみれば、スケジュール表と睨めっこしながら意識的に忙しい状況に追い込んではいなかったか。追い込むことによって仕事をしている気持ちになってはいなかったか。それが短絡的な発想につながってはいなかったかどうか.....
 そんな言葉に共感したのにはわけがあります。これまで盆暮れぐらいしか取ったことのないお休みを、最近月1、2回のペースで取得しています。先日もふだんの日にお休みをいただきましたが、日曜日とは異なる街の風景を肌で感じます。すれ違う方々も違います。腕時計をつけないので、時間というものを置き忘れてしまいそうになります。それでいて確実に1日は過ぎていきます。1分、10分、1時間がものすごく長く感じられます。1冊の本を手にとると、普段ならスキマ時間とスピードに拘ってしまいますが、どっぷりとその世界に漬かっている私に気づきます。
 リタイアに向けて、私を急き立てる脅迫観念のような「時間」の呪縛から解放することに、まずは取り組まなければならないかもしれません。時間というものをもう一度私の側に引き寄せる。そういうことなんでしょう。
 辰濃さんは「お遍路は、日常的なものを断つ、あるいは捨てることからはじまる」と言います。これまでとは違う世界が待っているのでしょう。いえいえ世界が待っているのではなく、自分自身が変わることで初めて見えてくるものがあるということなんでしょう。その境地に至った時に初めて、小林秀雄の言うところの、「美しい花がある。花の美しさという様なものはない」の境地に足を踏み入れることになるのでしょうか。
 きのう仕事帰りに、石川文洋著「カラー版四国八十八カ所~わたしの遍路旅」(岩波新書)と「山折哲雄の新・四国遍路」(PHP新書)を持って帰りました。
さて、きょうは夕刻から、社員OB会のお招きで会合に出席して1時間ほどお話しをしたあと懇親パーティー、そんな予定が入っています。帰宅が遅くなりそうなので、少し早めのブログ更新を思い立ちました。
 BGMには珍しくフォスター名唱集のLPレコードを出してきました。「おお、スザンナ」「故郷の人々」「草競馬」「夢みる佳人」「オールド・ブラック・ジョー」などなど。ロジェー・ワーグナー合唱団の歌声を部屋に充満させながらの楽しい更新作業でありました。

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