初夏の陽を浴びて、ジャーマンカモミールの花が咲き始めました。実はこのカモミール、春先に園芸店の売り場の隅っこに「ハーブ3種(ジャーマンカモミール、アティーチョーク、ルバーブ)90円」という格安の値札が付いていたものです。今にも枯れそうな弱々しい苗でしたから、商品価値なしと見なされたのでしょう。それがいま、我が家のプランターですくすくと育っています。
我が家のハーブの多くは、こうして育てたものです。元気に育つと地植えにし、あとは自然にお任せです。だからお庭のいたるところにいろんなハーブが顔を覗かせています。茂ってくると、それを摘み取ってハーブティをつくります。それが私の健康法なのかもしれません。
きょうの土曜休日は、縁あって薬用植物園におじゃましました。広い園内にあるひとつひとつの植物がすべて、雑草と思しきものまでも薬効がありました。触ったり、嗅いだり、味わったり。ジャーマンカモミール、学名カミツレもいたるところにありました。ターシャ・テューダーのようといったら年齢的に失礼になりますが、30数年にわたって育ててこられた方から、ひとつひとつ丁寧に説明をいただき、改めて薬草の奥深さを知ることになりました。6種もの苗をいただいて帰りました。
前置きが長くなってしまいましたので、そろそろ本題に移ります。お題は、先日読み終えた谷川俊太郎&内田義彦の対談「言葉と科学と音楽と」(藤原書店)です。ページをめくるとまず、「音楽に最初に感動した体験」が話題になります。詩人の谷川さんは、中学1年の頃に聴いた信時潔作曲の「海ゆかば」に感動し、その後ヴェートーヴェンの「運命」「英雄」「田園」へと繋がっていったのだそうです。これを聞いた経済学者の内田さん、「信時さんの曲はいいな。あの人は、どう言ったらいいか、もったいないことをした」と。信時潔は、戦後の再評価の中で辛い立場に立たされた、山田耕筰に次ぐ日本作曲界の重鎮でした。ひょんなことから東京の近代音楽図書館にまで行って直筆の譜面をみた私とも相通じるものがあります。
その内田さんは小学校の頃に聴いた室内楽が最初の出会い、ついでヴェルディの歌劇「アイーダ」から「凱旋行進曲」に嵌り「人生というものを音楽という媒体によって体験した最初の経験だった」とのことでした。
そんな両氏のやり取りを眺めながら、私の音楽体験ってなんだったんだろうと、霞みがかった古き良き時代に思いを馳せました。....それは幼稚園のお昼寝の時間に流れるBGMでした。今思えばバッハの「G線上のアリア」、そしてドビュッシーの「ベルガマスク組曲」「子供の領分」の中のいくつかを編曲したものでした。眠りたくないのに、ある瞬間に部屋中が急に静まりかえる不思議な時空間のなかで、ぱっちり目を開けている子供、それが私でした。そのメロディーと共に今も私の頭の片隅に残っています。
もうひとつ音楽体験があります。それは兄がよく聴いていたジャズボーカルでした。私自身は深入りすることなくこの歳になりましたが、先日、隔週音楽雑誌「ジャズ・ヴォーカル・コレクション」付録のCDを聴いて、思い出しました。歌の名前も歌手の名前も知らないのに、聴き覚えのある歌がずらり。エラ・フィッツジェラルド、ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイ、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエ、アンドリュース・シスターズ、ヘレン・メリル、アニタ・オデイ、チェット・ベイカー、ナット・キング・コール.....。あまり後ろ向きになってはいけませんねぇ。
そうそう、今週は月曜、火曜と連続して呑み会でした。ひとつは職場の仲間、もうひとつは異業種の方々とのお勉強会兼呑み会です。40数年にわたる仕事人生ですから、濃淡はあっても限りなく多くの方々との出会いがあって今の私があります。余すところ2カ月。仕事の合間をみて、これまでお世話になった方々へのお礼の意味を込めて盃を交わします。....と殊勝なことを言っておりますが、私自身お酒が嫌いではありません。(笑)
今夜は、ドビュッシー名演集をBGMに、薬用植物園でいただいたカモミールの花10個を浮かべたフレッシュティーをいただきながらのブログ更新でありました。