先週末は東京にでかけていました。金曜日は昼過ぎから夜まで同業他社との会合でした。翌日の土曜日は、午後から同業他社の面々との勉強会でした。始まるまでの時間を持て余し、午前中はお茶ノ水界隈から神保町を経由して市ヶ谷まで、東京散策を楽しみました。
歩き出してまず目についたのがニコライ堂。明治期にロシア工科大学教授の設計により建築されたもので、正式名称は「東京復活大聖堂」というのだそうです。次に向かったのは、神保町でした。いうまでもなく有名な古書の街です。ここで1時間余り。そのあと九段下まで歩くと、なにやらこんもりとした森が見えました。市ヶ谷に向かって左側が北の丸公園、右側は靖国神社でした。少し境内を散策して、汗を拭い、午後の会場である市ヶ谷界隈に向かいました。いつも電車と車での移動ばかりでしたから、点と点が少し繋がったように思います。
お勉強会を終えると、夕刻7時過ぎの新幹線に飛び乗って帰途につきました。車中読み終えたのが鶴見和子曼荼羅Ⅸ「環の巻」。600頁のうち約半分が資料編でしたので、思ったより早く読み終えました。つぎにカバンのなかから取り出したのは、神保町の巌松堂図書さんで見つけた学芸総合誌・季刊「環(歴史・環境・文明)」2007年冬号(2007年3月10日発行)でした。特集「鶴見和子の詩学」とあり、2006年7月31日に亡くなった鶴見さんの追悼記念号です。
鶴見さんは、1995年に脳内出血で左片麻痺になられたけれども、言葉と認識能力は失うことなく、その後は宇治の介護付有料老人ホーム「京都ゆうゆうの里」で過ごされていたようです。コレクション鶴見和子曼荼羅(全9巻)も、この時期に刊行が始まっています。追悼号にちりばめられた歌の数々....。
斃れてのち元まる宇宙耀いてそこに浮遊す塵泥我は
片身麻痺の我とはなりて水俣の痛苦をわずか身に引き受くる
手足萎えし身の不自由を梃にして精神自在に飛翔すらしき
生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ
パラダイム転換などと大それし念を抱きて歩みつづけむ
おもむろに自然に近くなりゆくを老いとはいわじ涅槃とぞいわむ
若い頃には歌を勉強されていたようで、お倒れになったとき、長い間封印していた歌が迸るように出てきた、英詩を朗々と詠んだ、という記述がどこかにあったように思いますが、後年は歌の本も出版されています。それにしても、自らの人生を果敢に生きる鶴見さんのお人柄に改めて感動した次第です。お亡くなりになって未だ3年足らず、つい最近のことです。帰りの新幹線の車中では、ある種の感慨をもって追悼記念号を読ませていただきました。
そして、いま、私の手元には、鶴見和子曼荼羅Ⅲ「知の巻」(社会変動と個人)があります。このシリーズ4冊目に入ります。老年期に向かう私の、これからの生きざまを考えることになります。
【写真説明】
1枚目はお茶の水駅からすぐのところにあるニコライ堂です。2枚目は、古書の町「神田神保町」界隈。そして3枚目は、やっと開花したプルメリアです。ハワイの空港で購入して3年目の開花となりました。
歩き出してまず目についたのがニコライ堂。明治期にロシア工科大学教授の設計により建築されたもので、正式名称は「東京復活大聖堂」というのだそうです。次に向かったのは、神保町でした。いうまでもなく有名な古書の街です。ここで1時間余り。そのあと九段下まで歩くと、なにやらこんもりとした森が見えました。市ヶ谷に向かって左側が北の丸公園、右側は靖国神社でした。少し境内を散策して、汗を拭い、午後の会場である市ヶ谷界隈に向かいました。いつも電車と車での移動ばかりでしたから、点と点が少し繋がったように思います。
お勉強会を終えると、夕刻7時過ぎの新幹線に飛び乗って帰途につきました。車中読み終えたのが鶴見和子曼荼羅Ⅸ「環の巻」。600頁のうち約半分が資料編でしたので、思ったより早く読み終えました。つぎにカバンのなかから取り出したのは、神保町の巌松堂図書さんで見つけた学芸総合誌・季刊「環(歴史・環境・文明)」2007年冬号(2007年3月10日発行)でした。特集「鶴見和子の詩学」とあり、2006年7月31日に亡くなった鶴見さんの追悼記念号です。
鶴見さんは、1995年に脳内出血で左片麻痺になられたけれども、言葉と認識能力は失うことなく、その後は宇治の介護付有料老人ホーム「京都ゆうゆうの里」で過ごされていたようです。コレクション鶴見和子曼荼羅(全9巻)も、この時期に刊行が始まっています。追悼号にちりばめられた歌の数々....。
斃れてのち元まる宇宙耀いてそこに浮遊す塵泥我は
片身麻痺の我とはなりて水俣の痛苦をわずか身に引き受くる
手足萎えし身の不自由を梃にして精神自在に飛翔すらしき
生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ
パラダイム転換などと大それし念を抱きて歩みつづけむ
おもむろに自然に近くなりゆくを老いとはいわじ涅槃とぞいわむ
若い頃には歌を勉強されていたようで、お倒れになったとき、長い間封印していた歌が迸るように出てきた、英詩を朗々と詠んだ、という記述がどこかにあったように思いますが、後年は歌の本も出版されています。それにしても、自らの人生を果敢に生きる鶴見さんのお人柄に改めて感動した次第です。お亡くなりになって未だ3年足らず、つい最近のことです。帰りの新幹線の車中では、ある種の感慨をもって追悼記念号を読ませていただきました。
そして、いま、私の手元には、鶴見和子曼荼羅Ⅲ「知の巻」(社会変動と個人)があります。このシリーズ4冊目に入ります。老年期に向かう私の、これからの生きざまを考えることになります。
【写真説明】
1枚目はお茶の水駅からすぐのところにあるニコライ堂です。2枚目は、古書の町「神田神保町」界隈。そして3枚目は、やっと開花したプルメリアです。ハワイの空港で購入して3年目の開花となりました。