心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

初夏の京都・大原三千院

2009-07-05 10:05:11 | Weblog
 このところ、何かと考えることの多い日々が続いています。だから、帰宅しても昼間の高揚おさまらず、夕食後デスクにつくまでには若干の勇気が要ります。そんなとき、ぼーと聴くCD、それはキース・ジャレットの「MELODY AT NIGHT WITH YOU」です。この曲、聞けば「キース・ジャレットが慢性疲労症候群という難病と闘病中に、妻へのクリスマス・プレゼントとして自ら録音したもの」なのだそうです。そういえば、静かに淡々と流れるピアノの音が優しく私の高ぶる心を和ませてくれます。真夜中の部屋に静かに充満するジャレットのソロアルバムが気に入っています。
 ところで、土曜日の出張が続きましたので、きのうはお休みをいただき、家内とぶらり京都は大原・三千院に出かけました。紫陽花が見頃なのです。ただ、それは家内の希望。私はと言えば、大原の温泉での一服でした。先日来、腰が本調子ではない。温泉旅館に泊まるほど心の余裕もない。それなら、大原の里にある湯元を尋ねよう、というわけです。
 午後2時過ぎに大原のバス停に到着すると、寂光院をめざして15分程度歩きます。こんな時期ですから、お客は数名。自然林のお庭に設えた露天風呂(五右衛門風呂)を独り占めにして初夏の風を楽しみました。結局、食事を含めて1時間の滞在でした。しゃきっとした腰の具合を確かめながら、いよいよ大原の里の散策です。この時期、赤シソの畑が至る所で収穫間近。聞けば、京都の「しば漬け」に赤シソは欠かせないのだと。納得です。

 三千院には、多くもなく少なくもない参拝客の姿。8世紀から今日に至る歴史の重みを考える時間をいただきました。なによりも、本堂の極楽浄土院に安置されている阿弥陀三尊像には、しばし心の安寧をいただきました。平安の時代からずっと鎮座するお姿に、自然と手を合わす気持ちになるのは、私自身が素直になれたということでしょうか。しばしお坊さんのお話に耳を傾けました。
 でも、なぜ観音さまは、こうも心豊かなお顔をされているのでしょうか。人々の悩みを温かい心で包みこむような、そんな自然の空間(空気)が充ち溢れていました。パンフレットを眺めてみると、「釈迦の五戒」が紹介されています。不殺生戒(死なすな殺すな)、不妄語戒(騙すな欺くな)、不偸盗戒(盗むな奪うな)不邪淫戒(乱すな弄ぶな)不飲酒戒(頼るな溺れるな)。ごく当たり前のことが述べられています。しかし、このごく当たり前のことができないから、おかしな時代になりつつある。昨日も、高校生が駅のホームで同級生を刺殺したニュースがありました。やはりどこかが病んでいるのでしょう。道徳の授業を増やせば解決できる問題でもありません。ある種宗教の意義も無視できないということなんでしょうか。私にとっては、ひとつの課題をいただきました。
 そんな京都の帰り道、発売されたばかりの季刊誌「考える人」を手にしました。今号の特集は「日本の科学者100人100冊」。とりあえず、帰りの電車のなかで、中村桂子氏と池内了氏の対談「科学者にお茶の時間を」を楽しく読みました。きょうの日曜日は、三千院でいただいた延命水で煎じた美味しいコーヒーを楽しみながら、ゆっくり眺めることにいたします。

【写真撮影】
上段1枚目は三千院の紫陽花苑。いま、大原の里では、平家物語に登場する沙羅双樹(シャラソウジュ)の花も咲いています。ナツツバキの一種なのだそうです。2枚目は有清園に佇む極楽浄土院。下段は、プリメリアの花芽の実況中継です。今週は、一段と蕾が膨らみました。
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