昨日は、雨の一日でした。そのためか妙に真剣に今年1年を振り返る時間をいただいたような、そんな年末休暇を過ごしました。そして今日は、朝から青空が広がっていますが、しかし年末寒波の到来なんでしょうか。北風が舞うなかを愛犬ゴンタとお散歩をしてきました。公私ともに慌ただしい1年が、幕を閉じようとしています。
ところで、今週の25日、職場の食堂でいつもどおりワイワイがやがやと昼食をとっているとき、遠くにあるテレビ画面にオスカー・ピーターソンがピアノを弾いている姿が目にとまりました。コンサートでもするのかしらと、ぼんやり考えながら、すぐにみんなの輪の中に戻っていったのですが、帰宅して夕刊をみて驚きました。ジャズピアノ界の巨匠『オスカー・ピーターソンさん死去』の見出しが躍っていました。
実は、先週の23日に、わたしは久しぶりにオスカー・ピーターソンが聴きたくなって、ソロ・アルバムのLPを聴いたばかりでした。「やさしき伴侶を」「身も心も」「A列車で行こう」.....。虫の知らせだったんでしょうか。彼がカナダ・トロントの自宅で亡くなったのは、その23日だったと新聞は報じています。
ジャズにのめりこんでいるわけではないのですが、不思議なことにジャズピアノのLPとCDが、棚に並んでいます。人間って面白いもので、時に自分の『論理』を壊したくなるものらしく、わたしも、すべてをデフォルトしてしまいたいという思いに駆られることがあります。混沌として出口が見えない隘路のなかで、もがき、不安に苛まれる。そんなときに、わたしの心に「やすらぎ」と「勇気」を与えてくれるのがピーターソンでした。何も考えず、ただ、ぼんやりと音の渦の中に身をおいて、硬直した脳みそを物理的な音の振動に晒す。すると、いつの間にか、見失いかけていた出口がぼんやり見えてくることがある。以前にも書いたかもしれませんが、わたしにとってジャズは「座禅」のようなもの。ピーターソンとは、そんなお付き合いをさせていただきました。感謝です。
さて、このブログの更新も、今年最後になりました。いつも「いったい誰に向って語りかけているの?」と自問しながら、今年も性懲りもなく、「心」の風景を綴ってきました。そんなブログをご覧いただきました方々、そしてコメントをいただきました方々には、この場をお借りして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。本来なら、もっと踏み込んでお話ができればと思いますが、スパムメールまがいのコメントをいただくようになって以後、少しコメント反映の制限をさせていただく失礼をしております。申し訳ありません。ネット社会の光と影を思い、一抹の寂しさを感じながら、しかし時代の進展を見つめていきたいと思っております。
最後になりましたが、皆様には、どうか良いお正月をお迎えになりますように。
ところで、今週の25日、職場の食堂でいつもどおりワイワイがやがやと昼食をとっているとき、遠くにあるテレビ画面にオスカー・ピーターソンがピアノを弾いている姿が目にとまりました。コンサートでもするのかしらと、ぼんやり考えながら、すぐにみんなの輪の中に戻っていったのですが、帰宅して夕刊をみて驚きました。ジャズピアノ界の巨匠『オスカー・ピーターソンさん死去』の見出しが躍っていました。
実は、先週の23日に、わたしは久しぶりにオスカー・ピーターソンが聴きたくなって、ソロ・アルバムのLPを聴いたばかりでした。「やさしき伴侶を」「身も心も」「A列車で行こう」.....。虫の知らせだったんでしょうか。彼がカナダ・トロントの自宅で亡くなったのは、その23日だったと新聞は報じています。
ジャズにのめりこんでいるわけではないのですが、不思議なことにジャズピアノのLPとCDが、棚に並んでいます。人間って面白いもので、時に自分の『論理』を壊したくなるものらしく、わたしも、すべてをデフォルトしてしまいたいという思いに駆られることがあります。混沌として出口が見えない隘路のなかで、もがき、不安に苛まれる。そんなときに、わたしの心に「やすらぎ」と「勇気」を与えてくれるのがピーターソンでした。何も考えず、ただ、ぼんやりと音の渦の中に身をおいて、硬直した脳みそを物理的な音の振動に晒す。すると、いつの間にか、見失いかけていた出口がぼんやり見えてくることがある。以前にも書いたかもしれませんが、わたしにとってジャズは「座禅」のようなもの。ピーターソンとは、そんなお付き合いをさせていただきました。感謝です。
さて、このブログの更新も、今年最後になりました。いつも「いったい誰に向って語りかけているの?」と自問しながら、今年も性懲りもなく、「心」の風景を綴ってきました。そんなブログをご覧いただきました方々、そしてコメントをいただきました方々には、この場をお借りして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。本来なら、もっと踏み込んでお話ができればと思いますが、スパムメールまがいのコメントをいただくようになって以後、少しコメント反映の制限をさせていただく失礼をしております。申し訳ありません。ネット社会の光と影を思い、一抹の寂しさを感じながら、しかし時代の進展を見つめていきたいと思っております。
最後になりましたが、皆様には、どうか良いお正月をお迎えになりますように。