心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「こころ」の棚卸

2007-12-02 10:44:59 | Weblog
 1か月ほど実家に帰っていた長女が、きのう初孫を連れて自宅に戻りました。そのためか、きょう日曜日の朝は、静かな空気が我が家に漂っています。晩秋の明るい陽光が、私の部屋に静かに差し込みます。目の前の梢では、シジュウカラが慌ただしく飛び交っています。どこからか犬の鳴き声が聞こえてきます。ほんとうに静かな朝です。そんな朝の空気のなかに、グレン・グールド奏でるバッハ「イギリス組曲」が静かに溶け込んでいます。
 ここ一か月、子育て指導に明け暮れた家内も、やっと平常に戻って、ほっとしたり、急に寂しくなったり。複雑な気持ちなんでしょうが、これも致し方ありません。それを察してか、遠くにいる子供たちから久しぶりに電話があります。それぞれに母親を思う気持ちが伝わってくるので、わたしとしては、子供たちの優しさに安堵しています。
 それにしても、初孫と暮らした1か月、子供の成長の早さを改めて思いました。生まれて1週間ほどで我が家にやってきた時に比べると、ずいぶん大きくなったし、表情も豊かになったし、何よりも目が透き通って見えるようになるから本当に不思議です。これから、80年も90年も生きていくことを考えると、不確実な社会を生き抜いていく「強かさ」と「温かい心」を身につけて大きく育ってほしいと願っています。
 さて、ことしも、いつの間にか師走を迎えました。帰宅途中に商店街を通っていくと、いたるところにクリスマスの飾りつけがあります。年末商戦の籤引会場や、年末宝くじ売り場には人の列です。そんな人ごみを避けて、少し足を延ばしてLPレコードショップに立ち寄って帰りました。そこで見つけたレコードに、オットー・クレンペラー指揮のマラー作曲交響曲第4番があります。第4楽章の歌曲を歌うのは昨年亡くなったエリザベート・シュワルツコップです。実はこれ、わたしが初めて手にしたレコードで、手許にあるものはずいぶん聴きましたら摩耗が激しく、探していたものでした。それほどに、クレンペラーの第4は、わたしにとっては思い入れのあるものでした。およそ半世紀前の1961年4月にロンドンで録音されたものです。
 十数万年前、原人から別れてヒトが誕生したといわれます。それを思うと、50年、100年なんてほんの一瞬の出来事でしかない。そのひとつひとつを繋いでいくものは何か。ある種普遍的な「こころ」のあり様を、わたしたちは忘れてはならないのだろうと、最近多発する悲惨な事件に接して思う、今日この頃です。年末を迎えて、そろそろ「こころ」の棚卸をしなければ。
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