きょうも爽やかな休日の朝を迎えました。小鳥の囀りに5時頃には目が覚め、しかし起きるでもなく、昨夜いったん閉じた枕元の本に手を伸ばして再び読み始める、なんとも贅沢な時間を楽しみました。
いま読んでいるのは鶴見和子さんの「日本を開く」(岩波セミナーブックス)です。内発的発展論の視点から"日本を開く”ということを考える、それを柳田國男、南方熊楠、大江健三郎の仕事を通じて追ってみる、そんな内容です。読み始めて、柳田の「遠野物語」の時代的・精神的な背景を知ることになり、その奥深さに驚き、一方では明治維新以後今日に至る価値観の変遷とこれからの有り様を考えさせられました。読み込んではいったん本を閉じて考える、そしてまた開く、そんな繰り返しです。追いつき追い越せの時代を通り過ぎてぼんやりしている我々に、舶来の文化を無批判に受け入れるのではなく「内」なる自己をみつめ、向き合うことの大切さを教えてくれます。自分でちゃんとものを考えろと。
このところ再び経営分野に足を突っ込みだしてきて、舶来のビジネス手法に翻弄されながら、しかし足元が見えない現状に一抹の不安を抱いています。皮相的なビジネス論に少しうんざりしています。そこに、この内発的発展論が現れた。もっと根源的な時代認識と人間観が必要だとわたしに迫る。グローバリゼーションという言葉に踊らされるのではなく、まさに自分の足元を見つめ、そこから継続的かつ内発的なエネルギーを感知したい。確かめたい。そんなことを、ぼんやりと考えています。この著書には、これまでのわたしの読書遍歴のなかに登場する、脈絡のあるようでなかった方々が多数登場します。わたしの甘い思想遍歴を集大成するきっかけにもなります。ぼんやりと頭の中を整理していければと思っています。
ところで昨日の土曜休日は、久しぶりにLPレコードを物色しに日本橋界隈を散策して来ました。最近は、グレン・グールドを作品を漁っています。「ピアノによるワーグナー・コンサート」という変わったLPを手にしました。他に何枚かを抱えて、古本屋に立ち寄りました。柳田國男、南方熊楠の著書を物色しました。変わったところでは、徳富蘆花の「自然と人生」明治33年8月発行。25銭。鶴見さんの本に少し登場したのでさっと目を通すことに。...こんなお遊びをしながら休日はあっという間に終わります。そして再び仕事の場に。でも、大きな方向性は見失わないようにしたいと思っています。
いま読んでいるのは鶴見和子さんの「日本を開く」(岩波セミナーブックス)です。内発的発展論の視点から"日本を開く”ということを考える、それを柳田國男、南方熊楠、大江健三郎の仕事を通じて追ってみる、そんな内容です。読み始めて、柳田の「遠野物語」の時代的・精神的な背景を知ることになり、その奥深さに驚き、一方では明治維新以後今日に至る価値観の変遷とこれからの有り様を考えさせられました。読み込んではいったん本を閉じて考える、そしてまた開く、そんな繰り返しです。追いつき追い越せの時代を通り過ぎてぼんやりしている我々に、舶来の文化を無批判に受け入れるのではなく「内」なる自己をみつめ、向き合うことの大切さを教えてくれます。自分でちゃんとものを考えろと。
このところ再び経営分野に足を突っ込みだしてきて、舶来のビジネス手法に翻弄されながら、しかし足元が見えない現状に一抹の不安を抱いています。皮相的なビジネス論に少しうんざりしています。そこに、この内発的発展論が現れた。もっと根源的な時代認識と人間観が必要だとわたしに迫る。グローバリゼーションという言葉に踊らされるのではなく、まさに自分の足元を見つめ、そこから継続的かつ内発的なエネルギーを感知したい。確かめたい。そんなことを、ぼんやりと考えています。この著書には、これまでのわたしの読書遍歴のなかに登場する、脈絡のあるようでなかった方々が多数登場します。わたしの甘い思想遍歴を集大成するきっかけにもなります。ぼんやりと頭の中を整理していければと思っています。
ところで昨日の土曜休日は、久しぶりにLPレコードを物色しに日本橋界隈を散策して来ました。最近は、グレン・グールドを作品を漁っています。「ピアノによるワーグナー・コンサート」という変わったLPを手にしました。他に何枚かを抱えて、古本屋に立ち寄りました。柳田國男、南方熊楠の著書を物色しました。変わったところでは、徳富蘆花の「自然と人生」明治33年8月発行。25銭。鶴見さんの本に少し登場したのでさっと目を通すことに。...こんなお遊びをしながら休日はあっという間に終わります。そして再び仕事の場に。でも、大きな方向性は見失わないようにしたいと思っています。