心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

狸さんの交通事故に思う

2006-09-03 16:32:10 | Weblog
 空気が澄んで見えます。遠くの山肌もいつになく緑が映えて見えます。空の青さも美しく、処暑というドアを開いた途端に秋の風情を感じる、なんとも心地よい休日の朝を迎えました。
 でも、可愛そうな出来事がありました。昨年の秋にも「狸さんと人間圏」と題してご紹介したことがありますが、狸さんの交通事故が起きてしまいました。今朝、愛犬ゴンタと散歩をしていると、街路樹の下に獣臭を感じて目をやると、狸さんの可愛そうな姿がありました。わたしが住む街は、高度成長期の少し前ごろ、大きな里山を造成してつくられた街です。引っ越して来た頃に残っていた里山も、いまではほぼ完全に姿を消し、ほんの数箇所に、その面影を残す所があるのみです。それでも狸さんは家族揃ってよく頑張って生きてきました。夜遅くバス停から我が家に向かう途中、ときどき狸さんの親子に出くわすことがありました。何を食べて生きているのだろうと思いながらも、毎年のように子狸の姿を見かけましたから、それなりの生活はできているのでしょう。でも、車には適いません。ちょうどカーブに差し掛ったところですから、何十キロというスピードで我がもの顔に走る鉄の固まりには、なす術もなかったのです。おそらく、一人で歩いていての遭遇ではなかったと思います。あまりにも急な出来事に、家族たちは泣く泣く最後のお別れをして草むらに帰っていったのでしょう。本当にかわいそうなことをしました。
 ところで昨日、仕事の関係で新聞記者の方とお話しする機会がありました。たまたま彼女の上司と懇意にしている関係もあって、なにやかやとお話しができました。でも、話題はどうしても最近の社会の有様に及びます。みんなが「なにか変?」と思っているのに、適切な手が打てないまま状況は悪化の一途をたどっています。惨たらしい事件の多発を嘆くのは簡単でも、では再発防止に向けてどんな行動を取るべきかを考えようとすると、政党の数だけ話が拡散してしまう。「なにか変」。問題は、わたしたち大人が、次代を担う子供たちに「夢」を提示できていないことに尽きる。生きることの楽しさと知的好奇心を伝えているか。大人自身が「夢」を見失ってはいないか。自信を見失ってはいないか。....なぜか、昨夜彼女と話していた場面が頭に浮かんできました。非常に大切な視点をいただいたような気がします。目先の利益に目を奪われることなく、狸さんと人間の共生、人間と地球との共生といった、もう少し広い視点からものごとを見つめることの大切さに気づいたものです。
 きょうは午後、オックスフォードのニュー・カレッジ・チャペルで録音されたCD「エレミアの哀歌」「アヴェ・マリア」を聴きながらブログ更新を行いました。
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