Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

索引2024年06月

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知的に働くよしよしな制御

2024-06-30 | 文化一般
日本からのお土産のスパークリングワインが面白かった。山形の高畠ワイナリーという所からのシャルドネのもので、ブルートとなっていて、実際に全く悪くはなかった。炭酸を注入しているだけにしては泡の肌理も細かった。小瓶で一杯づつしか飲んでいないので、その実力とまでは評せないが決して悪いものではなかった。

そういえばそれを持ってきた人が宿で開ける時にコルクを飛ばしていた。その無様さを今は笑うのだが、嘗て引っ越しの壁塗りの手伝いに出かけて打ち上げのゼクトを開ける時にコルクを天井にぶつけて白い粉が上から落ちてきたことがあった。余り人を笑えない。

しかしそういう人が仕事で天秤などを使っていることが信じられなくて訊ねると、デジタル式だという。なるほど身体が不自由でもどのような仕事にでもつけるようになることはとてもいいことだ。

それはいいとして、履いているズボンの後ろが破れていて、下着も半ケツとなっているとなると、これはもうまた異なる次元である。

金曜日の中継は流していただけであるが予想よりも良かった。理由は、ポストモダーン的な中にも知的な制御が効いていた指揮であり、少なくともサロネン指揮等では到底聴けない音楽の引用が作曲家の創作意志としてしっかり聴こえたことである。

ティーレ氏の批評に示唆されるこの作品に作曲家リゲティ個人のアウシュヴィッツとの繋がりやなど本来置かれていた環境が今回の制作に見え隠れしたということにも通じる。その隠してある演出意図がその音楽的な扱いに表現されていたとして間違いないであろう。

最終的には中継映像などを観てみないと結論は出せないのだが、各紙の批評などを読んで、そして録音したものを改めて聴くとその音楽的な狙いがはっきり分析される筈だ。

上の批評ではケントナガノの指揮は他の作品に比べれば、アンサムブルをさせながらの水先案内人としてとても上手に機能していたと成功を語っている。前々音楽監督であったので地元評論家にとってはいいところもわるいところも隈なく知っている筈だ。

木曜日の筋肉の張りは肩周辺に少し残った。それでも大したことはなかった。逆に若干腹などに張りがあるのは嬉しい。先にも言及したが、発汗の感じが変わってきたのと、熱が溜まらなくなっているのと、呼吸を上げずに運動が出来るようになってきたのとの全て関連しているようだ。

発汗に関しては数年前からも夏場には早朝に発汗しておいて、午後を涼しくという配慮はしていた。それでも現在のように汗管が素直に通るような感じは今迄なかったのである。水道管と同じで、管がいつでも通るようにしておけば大きな峠を越えることなく発汗する。同様なことは運動負荷を上げてある水準まで行かないと反交感神経が働かないとか、所謂ホルモンの出方が変わった感じがするのである。子供のころから最も運動に抵抗を感じていた発熱も全く同じ現象であって、運動負荷を落としても運動が出来るというのがとても喜ばしい。やはりゆっくりでも急登を走る習慣つけたのが、少々早く平らな道を走ることよりも皮下脂肪も下げてスタミナをつけるようにしたのだろうか?



参照:
複雑系の大波をサーフィン 2024-05-31 | 生活
ブーレーズの死へグルーヴ 2024-04-18 | 音
コメント (2)
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