Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

我について来る認識

2024-06-28 | アウトドーア・環境
暑くなりそうだった。前晩に走っておいたので、買い物の前に少し身体を動かしたかった。パンもないので朝から、前晩から準備をしておいた三種の出汁で味噌汁を作り、納豆や塩海苔や梅干しで米一合を食した。その元気で10時前に出かけた。燃料も入れないと標高440mの峠まで上がれない。比較的安く10リットルだけ給油して、10時30分過ぎに森に入る。いつもの近道は棘に覆われて苦労して、掃除の為のブラシを引っかけて失った。

なんとかハイキング道に出て、向こう側の谷に下りていく。10時40分には始められた。完璧ではなかったが、先日からの掌が吸い付く感じは続いていて、とても手に荷重が出来るようになっている。チュークも変えていないので、どこが変わったのかは分からない。この間に握力がつくようなトレーニングもしていない。あり得るのはランニングで手の振りがよくなった分、肩から指先まで神経が通るようになっているのかもしれない。

それに気をよくして二つ目に力のいる課題を試したが、どうも上手く行かなかった。腹筋が上手く使えなかったかもしれない。しかし何よりも感じるのは気温が摂氏28度を超えているような状況でも息が上がらなくなっている。最近は気温が高くてもゆっくり走れるような癖がついているので、もしかするとスタミナはついてきているのかもしれない。

何を隠そう買い物に着込んでいくのが面倒で、ボールダーの帰りに済ましてこようという魂胆だったが、アマゾンの配達までに帰宅できてよかった。森の中の滞在時間は一時間もなかったのだが、それなりの価値があった。来週にも出かけられるといい。

発汗も前夜に続いてしたのだが、やはり嘗てのような熱はけが悪い感じが弱くなってきている。加齢の影響で代謝作用が弱ってきているのかなという懸念もあるのだが、勿論走る速度も上げればそれだけ厳しくなる。但しクライミングやボールダリングは一部は耐久力、一部では瞬発力の両面のバランスが必要なので、発汗して息が荒くなり過ぎると直ぐに限界が迫ってくる。それを押さえながらのメリハリを効かせれるようになって気がするが、余りにも楽天的な思い込みだろうか。

体重もコントロールされている認識があって、少なくともその点では決して悪くない筈だ。最も懸念されているのが筋力の低下なのだが、少なくとも脂肪は落ちてきていて、対体重でのバランスが取れていればよいということになる。シャワーで適当にクールダウンはしたのだが、まだお昼時ということで余り冷やさなかった。

エンゲル指揮で大成功裏に終わりメディア化されたニールセン作曲「マスケラーダ」が英国のメディア紹介雑誌グラモフォンで7月の特選盤になっている。制作の主旨やデンマークから外国に紹介するだけのその制作意図にかんして叙述してある。歌手陣やその演出そしてその劇進行の大きな効果に言及していても指揮者のエンゲルには触れていない。如何にもであるが、エンゲルの指揮が如何にその劇場効果の中で嵌まっているかということであって、玄人でないと分かり難いところもある一方、本番では最終的に圧倒的な支持を受け続けている。要するに玄人でも判断できないような新たな次元の芸術活動に踏み込んでいるということに尽きる。こうした時代を拓く活動を友人がやってくれているのは取り分け嬉しい。時代は我々について来る。



参照:
詰将棋のような遊び 2024-06-07 | アウトドーア・環境
時代の耳への観想 2024-04-20 | 音
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