日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

台風18号の中で朝日俳壇の「句」を読みとる

2013-09-16 13:41:36 | 文化考

台風18号が豊橋に上陸し、甲府あたりを通過している。京都桂川増水の様子や福知山の河と道の区別がつかない水没した様がTVで放映されている。関東北部を通過するようだが、時折強風はあるものの薄日が差したりしていて奇妙だ。
この夏の猛暑と時折酷い目にあった暴雨に、何者かの意志を感じるなどと言いたくなりもする。その夏と秋への変わり目を、今朝の朝日俳壇の選句を拝借して書いておきたくなった。この朝日新聞の俳壇は、金子兜太、長谷川櫂、大串章、稲畑汀子,四氏の選による。

「月の出の月の大きさ臥す妻へ」(長山敦彦:金子兜太選)
僕の妻君も病院通いだがおかげさまで元気、仕事に厳しくそれはそれで助けられているが、日がな本に読みふけっている。ぽいと読み終えた「かげゑ歌麿(高橋克彦)」をわたされた。面白い。

「電柱の陰ありがたき極暑かな」(瓜生硯昭:長谷川櫂選)
そうなんだ!厚木駅のプラットホームで電車を待つときに、細い電柱の下に身を寄せたものだ。こんな素朴な言い方で句になる。mo「猛暑」ではなく「極暑」。この語句が要なのだ。

「秋祭り遠く闇夜の奥深く」(宮田明:大串章選)
棟方志功の青森なまりの朴訥な一言を思いだす。遠くにいてそのざわめきが消えていくときの吹いてくる風に秋を感じ、厳しい冬を想う「ねぶた」の真髄論考だ。

 
「また今日も残暑に負けて家居かな」(小田島美紀子:稲畑汀子選)
そうなんです。僕だけではないのだ、参っているのは!

長谷川櫂選にこういう一句があった。
「負けたとは言わぬ八月十五日」(塘浩一)
これが俳句なのかと一瞬思ったが、僕の言いたかったことを言ってくれた。

<写真、「ラジオのように」のブリジット・フォンティーン。このレコードを聴きながら書いている。(文とは何の関係もないが今日は「敬老の日」。仕事に追われて少々参っていて、のんびりしたいとぼやいたら、「のんびりするのは80歳になってから」と音楽館を取り仕切っている横田さんからの厳しい一言。ニヤリとしている横田氏の顔が浮んだ)>


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