日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

白井晟一のサンタ・キアラ館と交接して 官能的エロスに!

2012-09-16 13:41:39 | 建築・風景

2年前になる2010年、東京造形大学で「SIRAI、いま 白井晟一の造形」展が行われた。さらに同年9月、高崎市の群馬近代美術館で「建築家 白井晟一 精神と空間」と題した建築展が開催され、その後松下電工汐留ミュージアムに巡回されたことは記憶に新しい。

この`精神と空間`展のカタログの、実行委員会の委員長を担った布野修司滋賀大学教授の「虚白庵の暗闇」と題する一文は、「サンタ・キアラ館」に対する如何にも布野らしい記述から始まる。

「白井晟一は、僕の『建築』の原点であり続けている。理由ははっきりしている。僕が『建築』について最初に書いた文章が《サンタ・キアラ館》についての批評文なのである」と言うものだ。
この建築を布野は「二つの量塊」と捉え、量塊周囲を徘徊し、二つの量塊の交接と見えたものは、そのものズバリの官能的エロスを擽る、とする。そして、`そういえば私の立っているここは、うら若き乙女たちの園だった`となると、読む僕も妙に恥ずかしくなって布野の顔を思い浮かべたりするが、若き日のこの記述から白井展(白井論)をスタートさせるのだから、多分布野は己の感性を慈しむように白井に重ね合わせていたに違いない。

この`官能的エロス`は言うまでもなく無くなった「虚白庵」の暗闇にかぶさるものだし、親和銀行の本店(佐世保)や大波止支店の打ち合わせのコーナー、これも銀座に在った東京支店の石の『外壁』にも見て取れるものだ。
そして僕の感性は、九鬼周造の「いきの構造」、や谷崎潤一郎の諸文、その挿絵を描いた棟方志功へと飛ぶ。さらに白井建築を撮った写真家村井修へと言うことにもなるのだ。

この度の見学は、岡倉天心の六角堂を望む五浦(いずら)観光ホテル別館大観荘に宿泊して行ったJIA保存問題委員会の、「理論合宿」時に行ったもので、茨城キリスト教キャンパスにある、このサンタ・キアラ館と、2年前に建てられた晟一の長男昰磨(たくま)氏が担当した「セバスチャン館」とを合わせてみるものだった。

配布された資料には学内の先生方による、面白い記述がある。暗くて評判が悪く慣れるまで厄介だったが、建築雑誌や美術誌に紹介されて海外からも認められるようになって評価がかわったなどと。

キアラ館は、礼拝堂と教室棟(研究室や教室)の二つの用途が組み合わさったものである。礼拝堂は屋根面、外壁をレンガで包み、事務所棟の2階の側面には、大きなガラスが使われている。
今回の震災でガラスが割れて修復が大変だったと聞いたが、布野は一体となった二つの建築を量塊と捉え、そこに白井の底にある官能的エロスを感じたのだ。

ところで量塊とは面白い表現だ。この礼拝堂はいわば彫刻のようなものだ。穿つという言い方がある。キャンパス内のこの台地だから可能になった。白井は機会を得たのだ。ご子息に担当させた`セバスチャン館`のあと、自分がやると引き受けたところに建築家としての白井晟一の想いに夢を馳せるのだ。

さて私事。明日から一週間、20年前に女川を撮った写真家小岩勉さんに案内していただき、我が体調を気遣いながら宮城の沿岸沿いの集落を案内してもらう。建築家としてそうしないと何もできないような気がしている。


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2 コメント

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お気をつけて ()
2012-09-19 12:58:28
行ってらっしゃい~~(^^)/
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時間がほしい! (penkou)
2012-09-23 12:23:44
mさん
おかげさまで一昨日の夜帰宅しました。
いろいろと考えることもあって少し時間がほしいものです。
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