日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

9・11と3・11

2013-09-21 21:57:37 | 建築・風景

<9月12日にメモをしたまま10日ほど経ってしまったが、少し手を入れてUPすることにした。時の経つのが早いと言うことよりも、読み返してみると改めて考えてみたいことと、問いたいことが現れるからだ>

『今朝もBSで、NYヤンキースの試合開始の様子を見た。イチローの名が先発オーダーにないので溜息が出たが、時差のあるアメリカでは試合開始の前に9・11の黙祷がなされる。全ての球場でなされるのかどうかは分からないものの感じるものがある。
9・11。12年前になる2001年の9月11日、ミノル・ヤマサキが設計したワールド・トレードセンターが、アルカイダによる(とされる)飛行機の体当たりによって崩壊し、多くの犠牲者が出た事件である。

休日だったので多くの人々がそうだったと思うが、僕もTVに釘付けになって(呆然として)見入ったが、まず眼にしたのは一機が突っ込んだ直後だった。
飛行機の体当たりとは思わず、各階に仕掛けられた爆薬が、リモートコントロールによって同時爆発したのではないかと一瞬思った。すぐに飛行機によるテロだと分かったが、超高層の上階に突っ込んだだけでこの建築が崩れ落ちるなんてありえないと、その構造に違和感を覚えた。

その翌年の秋、東京大学本郷キャンパスで行われた建築学会の大会で、建築家林昌二さんがこの事件をテーマに、建築としてのワールド・トレードセンターに触れながら講演をされた様が思い出される。

隈研吾さんが、設計した馬頭町の広重美術館を題材にして、歩いていくときに格子の重なりから見えてくる日本の美の文化について語った後の林さんの題材は、このワールド・トレードセンターについての論考だった。
隈さんの話が終わると、学生と思しき若手の聴衆がぞろぞろと退席したのが気になったが、終わってから林さんが「受けなかったねえ!」と僕に溜息をついたのが忘れられない。

林さんの論旨をはっきりと覚えていないが、僕の考えていたこの事件の捉え方とは視点が違っていて興味深く、素晴らしい論考でしたが!とやり取りしたものだ。その林昌二さんが居ない。僕は何かにつけ林さんならどういうコメントをされただろうと思うのである。

3.11もそうだ。
ヤンキースの試合は、ワシントンDCに近いヤンキースタジアムで行われたので黙祷がなされたのか、大リーグの全ての試合でこの日の試合で黙祷がなされのかなど報道されなかったのでわからないが、今年の3,11に行われた日本のプロ野球ではどうだったのだろう。7年後の東京オリンピック、12年後に東北で行われる野球ではどうなのだろうと、ブェノスアイレスでの安倍総理のしてやったりの笑顔が気になるのだ』


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2 コメント

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Unknown (Tosi)
2013-09-23 17:18:05
WTC跡地再開発にかかわる主要建築家のひとりである槇文彦先生が、東京五輪の主会場について「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」という重要な議論を提起されているようです。それ以外の施設が集中する「東京ベイゾーン」についていえば、日経が堂々と喧伝しているように、バブル崩壊後に停滞した臨海開発に「改めて息を吹き込む」ことが五輪開催の本当の目的であることは誰の目にもあきらかです。招致の途中から「五輪開催は震災復興の象徴となる」という正当化のための論拠が後付けで加えられましたが、仮に、「高揚感と期待感」で液状化の不安を忘れさせることによって、湾岸の住宅開発、超高層マンションの分譲を後押しするということが「震災復興の象徴」としての五輪開催なのだとすれば、その意味ではまさしくその通りでしょう。また、開催決定はDOCOMOMO選定の貴重な文化遺産である築地市場の存続にもとどめの一撃となりそうです。
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO59537750Q3A910C1L61000/
このような実態はかなり知られていたのに、なぜ昨年末の都知事選で宇都宮健児候補は勝てなかったのでしょうか?
東京都の有権者が青島幸男を知事に選出できた頃にはバブル崩壊がまだ記憶に新しかったこともあり、鈴木俊一の臨海開発に対してだけでなく、バブルをともなう無理な経済成長そのものに対する反省や嫌悪感が世論のなかでかなり強かったと思われます。しかし、これと正反対に、鮮明な記憶が失われたことと長い経済停滞のせいで、現在の日本には一種のバブル再来期待が拡がっているようにみえます。先進国・飽和(縮小)市場国では、資産バブルに依存する以外には強い成長はもはや可能ではないといえますが、もちろんそんな成長は持続可能ではありません。バブルは大きくなればなるほど崩壊後の調整過程が長く厳しいものになることもよく知られているはずですが、後々のことより目先のことしか考えられなくなってしまった人々が増えているのかもしれません。残念なことですが、そう考えなくては安倍政権や猪瀬都政が支持されてしまうことを説明できないのです。
日本は人口減少に直面する縮小市場(高齢者関連市場を除いて)国であり、オフィスや住宅を例にとっても、実需面からみれば全体としては供給過剰の状況にあるにもかかわらず、鈴木都政時代の時代錯誤な開発計画が装いを変えつつも結局執拗に生き延びてしまい、さらに、強い成長がまだ可能であるかのような幻想をふりまく安倍政権と日本銀行の極端な景気浮揚・緩和政策とあわせて、愚かしい投機的狂熱が繰り返されることが懸念されます。
2011年の原発震災は近代を根底から問い直す機会を私たちに提供したにもかかわらず、当事国日本では、フクシマの現状さえもが意図的に過小視されているあいだに、非常に逆説的なことに、時代錯誤な成長主義イデオロギーがむしろ強まってしまいました。こんにちの世界においては、量的により少なく質的によりよく生きることをめざして、国内総生産に代わる豊かさの代替的な指標(社会的および環境的基準を考慮に入れた)の提案をともなう、持続可能な経済と社会への移行が必要であるはずなのに、そのような方向転換が日本においては欧州などに比べていっそう大きく遅れてしまうおそれも強くなったように思えます。
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共感します (penkou)
2013-09-25 10:26:02
Tosiさん
示唆に富んだ長文の論考をお送りくださってありがとうございます。
共感します。私は東京に事務所を構えていますが神奈川県人なので都知事選については傍観していましたが、いまに限りませんが政界にはやりきれないものを感じている一人です。7年後のオリンピック、あの人のスケールを超えた競技場案への懸念を表明された槇さんのスタンスに心が打たれました。では私たちは何をすればいいのかということになりますね!
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