日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

コンドルと銀河館

2005-08-04 13:28:22 | 建築・風景

ジョサイア・コンドルは、1877年(明治10年)政府の招聘を受けて来日した。なんと弱冠25歳。
ロンドン大学で建築と造形美術を学んだものの、設計の実績はなかった。
しかし彼は明治政府お雇い建築家の一人だといわれるように、数多くの建築を創るとともに、工部大学校(今の東京大学)造家学科教授として東京駅をつくった辰野金吾や、迎賓館・赤坂離宮(当初は東宮御所)の片山東熊などを育て、日本の近代化に大きな役割を果たした。

そのコンドルが設計した上野の東京帝室博物館の部材の一部を利用して建てられた建築が、レストラン「銀河館」として再生され、神奈川県湯河原の吉浜海岸(最寄り駅JR真鶴)小道地蔵堂のとなりに建っている。
この建築は、博物館解体の際、売りに出された材木を使って昭和元年に建てたという。改修を担った建築家藤木隆男さんによると、棟札がなくそれらの確証は得られなかったが、階段の親柱、中柱は「ジョサイア・コンドル図面集」の階段詳細と酷似、また建具枠や扉、金物なども当時の和洋折衷の保養所として精緻、多数改造・修理の痕跡が見られ、帝室博物館の建築部位の再利用と推定可能だという。

7月29日、熱海の委員会の後、鈴木博之先生や名古屋大の西澤さんなど数名で訪れた。首都大学の桐敷先生や思いがけず(お互いにどうしてここにいるの?)横浜国大の吉田鋼市先生も加わり、藤木さんに案内されながら内部を見学した。
サラセラニック様式の階段、といわれても良くわからないもののなんとも可愛らしく、思わず手で撫でたくなってしまうが、周囲の窓や扉ともうまく取り合っていていい感じだ。
この建築は木造の2階建て、こじんまりしているし外部は淡白、内部空間がこんなに豊かだとは一見しただけでは窺えない。そこがなんとも好ましいが、何より素晴らしいのは、この建築の検証が確立されるまで「モノとしての建築」をできるだけ保存しつつ、新しい活用の一新されたイメージを現出させる試みに徹した、という建築家藤木隆男さんのスタンスである。
つくりたがり屋の多い建築家の中にあって、其の見識に打たれる。

ワインをあけ、オーナー今田さんの心尽くしの料理を堪能しながら、話はコンドルからなぜか伊東忠太にとび、取りとめもなく建築談義に話が弾み、至福のひと時であった。

それにしても歴史学者には周知らしい帝室博物館が、コンドルが創った事には今の今まで気がつかず(というよりそういう建築が嘗てあったことを知らなかった)上野の博物館(其れを引き継いだ!)というとコンペで渡辺仁が帝冠様式で設計し、伊東忠太が屋根にそりをつけさせ、其のコンペには前川國男が落選を承知の上でモダニズム形態?で応募してモダニズム建築の歴史の上では画期的な出来事だと記録され、しかし其のコンペは、実はプランができていてファサードだけをデザインさせるという歴史をも内在するものだったというような様々なことを思いおこさせられる。
銀河館でそういう能書きを言い合いながら食事を楽しむのも一興かもしれない。其れが今回の仕事は「夢の追跡」だったと藤木さんの言う「夢」を僕たちも共有できる楽しさのような気がする。





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2 コメント

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Unknown (made in 湯河原)
2005-10-19 23:22:26
「コンドルと銀河館」の中に「静岡県湯河原」とありますが、湯河原は神奈川県です・・・ギリギリですが。
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ありがとうございます (penkou)
2005-10-22 22:13:06
間違いを教えてくださってありがとうございます。修正します。

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