改修工事を行っていた六本木の国際文化会館が、3月31日の夕刻と4月1日午後の観桜会・内覧会を経て再開する。大ホールの完工は6月になり正式のOPENは7月になるのでプレ再開ということになる。それでも全室に設置したユニットバスをバリアフリー化し、紙張り障子を継承した研究宿泊室は当面満室とのことだ。
桜が満開のこのときに再開できるのは感慨深い。
一時は取り壊して建て直すと理事会決定がなされ、危機感を持った僕は古参の会員、歴史学者や建築家とともに設立した「国際文化会館21世紀の会」(Iハウス21世紀の会)では事務局長を担い、建築学会の「国際文化会館保存再生計画検討特別調査委員会」にも関わりながらその存続に腐心した。
再開に先立ち25日に試泊させてもらったが、気になっていたガラス屋根によるエントランスロビーの増設部もしっくり収まりホッとした。
アドバイザーとして指導した建築家阪田誠造さんと、設計を担当した三菱地所設計の底力を感じる。厳しい予算と工期のなかでの提案、解決は大人の仕事だと思った。
国際文化会館の建つこの地は、旧岩崎邸の跡地で、今に残る魅力的な和風庭園は当主岩崎小弥太の指示によった小川治兵衞(植治)の作庭によるもので、この建築の設計をした3名の建築家の主眼は、この庭園との調和にあった。
戦後間もない1955年(昭和30年)、戦後日本の文化人の国際交流を推進するために外務省の思惑の中でロックフェラー財団の寄付などを得て建てられた。トウインビー、グロピュースや日本に一度しか来たことのないコルビュジエもその折ここを訪れている。
この建築の設計者の決定や設計、施工中の建築家の姿には、思わず笑みがこぼれてしまう様々なエピソードが伝えられている。
例えばコンペに当っては、俺たちを審査する建築家が日本に居るのかと言ったとか言わないとか。
結局前川國男・吉村順三・坂倉準三の共同設計となった。
今となっては僕たちの作った[Iハウス21世紀の会]が行ったシンポジウムが、この建築の存続の大切さと危機とを社会に広く伝えることになり存続のきっかけを作ったと思うが、そのシンポジウムで、まだ若き日前川事務所の所員として現場を担当した鬼頭梓さんが、3名の建築家の様子を語ってくれた。
たまたま3人がそろうとゴルフの話しかせず、しばらくすると「さあ帰ろう」と一緒に帰ってしまう。
前川さんが来ると鬼頭さんの耳元で「坂倉はディテールを知らないから坂倉に相談したら駄目だよ」とささやく。さらに「デザインは相談して良いが、吉村はディテールに詳しいから吉村となら相談しても良い」
僕はシンポジウムの司会をやりながら思わず笑ってしまった。
前川さんは座り込んで、折角描いた図面を赤鉛筆でぐちゃぐちゃにしてしまう。坂倉さんは後ろに立って「君、そこはもっとピシッと!」と厳しく、先生の立っている間に描き直さなくてはいけないから大変だった。吉村さんは穏やかに指導してくださった。
国際文化会館(Iハウス)は、そうやって建った建築なのだ。
コンクリート打ち放しと、木枠と木の建具との調和も素晴らしく、評論家浜口隆一は俊工時、この和風建築は今の時代に即しているかと疑問を呈した。しかしその批評からはこの典型的なモダニズム建築をそう観た当時の建築界の様相が伺えるが、どう観ても和風とは思えない。しかし和風庭園との融合性を見ると、確かにコンクリートでフラットルーフ建築と和との調和にトライした成果を僕たちは享受しているのだという思いに胸が熱くなる。
池に面したレストランでフルコースをご馳走になった。これも試食だ。ワインに陶然として観る庭越しのライトアップされて赤い光に輝く東京タワーは美しい。同席した建築構法の研究者や著名構造家と、ちらちらと東京タワーを見やりながら、この改修の成果を語り合った。
改修の目的は、浴室とトイレのない部屋があった研究宿泊室のユニットバス設置とそのバリアフリー化、部屋の増設、エントランスホールや大ホールの増設改修、耐震化、設備の更新などで、様々な課題が蓄積されていた。勿論資金調達が最大の問題で、会員制のこの組織を維持していくこと自体に関わる困難に直面していた。
この会館の存続は、この会館の建て直しを図った高垣理事長の決断と指導力によるところが大きかった。館内の委員会設置、有識者からのヒヤリングなどを経、取り壊し案に対する対案を1ハウスの会を経て建築学会に求め、当初はそれでもこの建築の持っていた庭との取り合いのイメージのみの保存から、残して改修する建築学会委員会からの提案を受け入れた決断は、後世に伝えて行きたい。この改修は大勢の会員や外国からの研究宿泊者にも受け入れられるに違いない。
会館の運営については楽観は出来ずこれからも困難があるだろうが、再生のスタートが切れた。
学会委員会での論議は、このモダニズム建築のオーセンティシティに関することが多かった。改修に当たって、この建築の何が、どこが歴史的価値があり、どのようにデザインし実施するか。エントランスホールの中庭側への増床のガラス屋根の問題もそのひとつだった。既存に対峙するか、既存と違和感のないデザインにしていくかという課題だ。
僕は概して違和感のない意匠のほうが良いと主張した。しかしどこをどう改修したかとわからなくてはいけない。単に記録集としてまとめるだけでなく、表示をして多くの人にわかってもらったほうが良い。
表示の仕方は様々で、この建築では写真や図面イラストを使ってポスター上のグラフィックデザインされたものを、ロビーの壁に展示するのが良いのではないかと、試泊と何よりこの建築の存続を決断した理事長宛へのお礼の手紙に書いた。
モダニズム建築のオーセンティシティはこれからの課題だ。この改修はその格好の事例になる。
桜吹雪の中で再開するこの建築は1955年度日本建築学会賞を受賞、DOCOMOMO100選に選定、つい最近国の有形文化財(登録文化財)に登録された。
設計、施工時の逸話も面白いです。実に生々しい。そして、この成果を今後に繋げることの重要性。読み応えがありました。卒業した3年生や、I君はじめ在校生にも読ませなければ!
更には“フルコース”ですか…。本当に良い仕事ですねー(笑)。
一泊させていただいたり食事をいただいたのを役得(笑)というのでしょうか。よい仕事?仕事とはいえないけど仕事でしょうか。
僕もほんの少しですが社会や建築界に貢献できるようになったのかもしれないと思います。何しろフルコースですから(笑)。
創ることと残すこと、永遠の命題なのかもしれませんが、残すことも創ることだと言いたい(とは言いながらいつも言っていますけど)と思います。
お金を稼ぐことだけが仕事というわけではなく、このような価値ある活動が仕事であると思っております。
関西の日程が固まってきましたので、来週頭に松隈様にお電話させていただこうと考えております。(メールではご挨拶させて頂いたのですが、御覧になってくださったかが判らず少々不安です。)
何はともあれ、是非「聴竹居」を学生と共に拝観したいです。