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脚本家 橋田壽賀子さん逝く

2021-04-27 09:14:03 | Weblog
脚本家 橋田壽賀子さん逝く
2021.4.27
脚本家の橋田壽賀子さんが亡くなった。今月初め4月4日のことで既に3週間余りが過ぎた。95歳とのことである。
「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」などの人気ドラマを世に送った誰もが知っている脚本家である。
書き物によると、橋田さんは終戦時の1945年8月は丁度20歳、この世代は当時としては「死ぬのが当たり前」の青春時代だったという。
海軍の経理部に勤め、特攻に臨む青年たちを見送りつつ「私も明日にでも死ぬんだからと、死ぬことを普通に考えていた。天皇陛下万歳と、お国のために死ねるのはいいことだ、と何の疑問もなく思っていた」「洗脳時代の時代の恐ろしさを次の世代に伝えたい」。「戦闘場面は描きませんが『戦争と平和』は私が書いてきたドラマの底に流れるテーマだと思います」「戦争になったらすべてが壊れてしまう。本当に平和っていいなと思います」とも語っていたという。
旅好きで世界周遊の船旅に何度も参加。南極ではペンギンとの出会いを楽しんだそうである。
「どん底だった時のことを思えば、今はちょっとのことでも幸せを感じます。」とも語っている。
「おしん」は1983年4月から翌84年3月まで一年間放送され、平均視聴率50%越えという驚異的記録を残したテレビドラマである。
 明治時代末期、東北の寒村に生まれ、幼くして女中奉公に出された少女おしん。時代の波に翻弄されながらも懸命に生きる、健気で純真な姿に日本中が心を打たれ、空前の大ヒットとなった。その人気は海外まで広がり、世界70ヵ国以上の国・地域で放送された。
 海外の多くのメディアは「おしん」の脚本家の死を悼み、惜しんだ。「おしん」の影響力の大きさをうかがい知ることができる。
 筆者も40代初め、欠かさずテレビを見ていた記憶がある。先日も橋田さんの回顧を含めて「おしん」の総集編をテレビで放送していたが、3時間超のドラマを結局最後まで見てしまった。あらためて感銘を受けたものである。

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