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北九州市の鉄道遺産(その4)

2011年06月12日 | 鉄道
北九州市の鉄道遺産(その4)(最終回)

八幡東区尾倉町のトンネルは、「大蔵線」の鉄道遺産。小倉から大蔵(この二つの地名は対照的に付けられたのだろうか?たとえば足立山を小蔵・皿倉山を大蔵とか。蔵を山の意味で使うのは珍しくない。)を通って黒崎に達していたのは、鹿児島本線の最初の経路である。軍部の要請で海岸を避けて建設されたが、大蔵を最高点とする山越えがあって、後に戸畑回りの海岸沿いの路線に主役を譲った。有名な茶屋町橋梁が「大蔵線」の遺産である。大蔵の最高点に達する以前に高度を稼ぐために築堤があったので、茶屋町橋梁は現在の路面よりずいぶん高いところを通っている。他に、大蔵川を渡るところの橋台も見られる。尾倉町では、南北方向の小さな谷で線路の傾斜を緩やかにするために築堤を築いて横切り、その下を道路がくぐるところがある。道路はレンガ造りのトンネルを通るが、これの珍しい所は、線路の通っていたところの一部に家が建っていること。また道路トンネルの内側には片側を仕切って何かの収納スペースを作っている。つまり、上の面も下の面も一部が私有地?となって私的に使われている。


道路の北側からトンネルを見る。


道路の南側から。右の坂は上の線路跡の道路に通じる。


同じく道路の南側から。トンネルの一部を仕切っている。

「大蔵線」跡はこの付近でかなりよくトレースできる。直線的で傾斜が少ないので自転車通学・通勤によく用いられるという。
「大蔵線」は1911年に廃止され、山越えの無い戸畑回りの「戸畑線」が鹿児島本線となった。「戸畑線」はその後も変化し、牧山のトンネルで旅客線を短絡させ(貨物線は現在も海線)、枝光―八幡間で新日鉄跡地を短絡して、スペースワールド駅を新設するなどのショートカットを行った。この新日鉄工場跡迂回部分は道路などになっているが遺構はなさそう。
新日鉄くろがね線(鉱滓線)は、八幡地区と戸畑地区の工場を内陸経由で結ぶ線で、以前は複線だったが現在は単線。同線の枝光橋はスペースワールドと鹿児島本線の間を通って道路をまたぐが、1985年までは西鉄枝光線、1999年までは鹿児島本線もまたいでいた。それでずいぶん立派な鉄橋が並行して2つ架かっている。「さすが鉄のまち」と感じさせる。南側の鉄橋が現在鉱滓線に使われている長いワーレントラス橋で、北側の鉄橋は2連のアーチ橋である。珍しい「ブレーストリブタイドアーチ」という型だそうで、現在は鉄道橋としては使われておらず(1972年頃まで使用)、何かの太いパイプが通っている。重厚なアーチ橋よりも単純なワーレントラス橋の方が荷重に耐えるとのことで、技術の進歩を感じる。


鉱滓線の旧枝光橋。鹿児島本線車内(枝光・スペースワールド間)から撮影。むこうが現役の鉱滓線で、古い橋はパイプ橋として使われている。

スペースワールド駅付近は、この枝光橋の他に八幡製鐵高炉跡の記念物として鉱滓や鉄鋼を運んだ構内鉄道の車両などが保存されている。また、あまり知られていないがスペースワールド駅の北側に構内鉄道で使われていた蒸気機関車が展示されている。鉄道好きには面白い所。

北九州市の鉄道遺産に関する記事は、これで終了。また何か気付いたら投稿しよう。



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